ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

部下を殴ってもお咎めなし

2019-08-11 08:46:28 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「今の…、昔の…」8月6日
 川柳欄に、武蔵野市竹とんぼ氏の『信長を例にパワハラ説明し』という句が掲載されていました。その日の秀逸にも選ばれていました。川柳を評価する目は私にはありませんが、何となくよくできていると感じました。
 そして、今から30年以上前のことを思い出しました。当時私は東京都の小学校社会科研究員に選ばれ、6年生の歴史的な内容についての、9人の仲間と共に授業の在り方を研究していました。そのとき、講師を務める指導主事から、「歴史的事象の意味について、現代の自分たちの視点で考えさせるのか、当時の貴族や武士、農民といった人々になったつもりで考えさせるのか」という問いを突き付けられていたからです。
 日本史上、人気の高い織田信長は、関係の書籍も多く、主人公としてドラマ化されることも多い人物です。中世を破壊し近代を開いた人物として、身分や出自に囚われず能力主義で人材登用をした人物、楽市楽座や鉄砲の積極使用など進取の気質に富んだ人物として描かれることもあります。既存の常識にとらわれない決断力あるリーダーとして、企業家にも支持されていると言われてもいます。
 しかし、彼の言動は、現代であれば、パワハラはもちろん、より深刻な人権侵害や犯罪と呼ぶのが相応しい行為で満ちています。秀吉も光秀も殴られ罵倒されていますし、一向宗徒の虐殺など、ヒトラーやポルポト級の極悪人ともいえるでしょう。そんな信長を英雄として子供に提示するのは、問題だという人がいるかもしれません。
 だからといって、現代に基準を当てはめれば、信長だけでなく秀吉も家康も独裁者であり殺人者です。足利義政は庶民が何人餓死しようが気にもかけない極悪人で、白河法皇は、庶民の飢餓も疫病も眼中になく個人の楽しみだけを追究した人格破綻者でしょう。日本史は、異常者の歴史になってしまいます。
 かといって、権力者ではなく、庶民をとりあげればよいという主張にも安易に頷くことはできません。そもそも資料が絶対的に不足していますし、庶民感覚というものも現代とはかけ離れていたのです。
 合戦に赴く下級武士の家族は、夫や兄が首を取ってくれば、それを水洗いして立派に見せようとし、敵兵の首を洗いながら「これで少しは出世してくれると暮らしが楽になる」と笑顔で会話をしているのです。生活向上を願う庶民の本音として扱うのは難しいでしょう。戦場に残された刀や鎧を集めて売っていた農民は、平和が続くと「商売あがったりだ、また近々派手に殺し合いをやってくれないかな」と話し合っていたのです。人命軽視も極まれり、です。小学生には刺激が強すぎるかもしれません。
 今も、授業の前に悩んでいる教員がいるのでしょうか。

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