ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

不安定さ

2013-12-12 08:21:16 | Weblog
「不安定さ」12月4日
 論説委員の与良氏が、『選挙が遠い甘えと危うさ』という標題でコラムを書かれていました・その中で与良氏は特定秘密保護法案について触れ、『しばらく選挙がないだろう今がチャンス、つまり「成立が早ければ早いほど選挙の時には有権者は忘れてくれているはずだ」と考えているからではないだろうか』と書かれています。
 与良氏は、TPP交渉についても同じような発想がうかがえるとした後、『政治家が「時間がたてば有権者は忘れる」と考えるってことは、有権者のみなさんがなめられているということ』とコラムを結んでいますが、その通りだと思います。そして、残念ながら有権者の「忘れやすさ」は、与良氏の警鐘にもかかわらず、改善されることはないと思います。
 さてそこで、この政治家の発想と教委改革の関係です。解散がある衆議院とは異なり、首長選挙はよほどのことがない限り4年間に1回しか行われません。つまり、首長は、任期初めの2~3年間は、選挙を気にせず、公約や世論を無視してかなり乱暴な政策を進めることが出来るということになります。
 こうした点を踏まえ、私は教委を廃止し首長に教育行政の権限を委ねるという改革について2つの問題点を指摘したいと思います。まず第一に、地方教育行政が個人の思いつきや先入観に基づいて行われる危険性が高いということです。教委改革を主張する人々は、選挙で選ばれた首長であれば「民意」に沿った政策推進が行われることとメリットに挙げますが、今回の世論の大勢を無視した秘密保護法案の扱いから言えることは、選挙を意識しないで済む任期前半においては、「民意」をくみ取ることよりも、首長個人の思いが強く反映される形に陥りやすいのです。
 2点目は、猫の目行政です。任期前半に「民意」を軽視してきた首長が、選挙が間近に迫ると、「民意」に迎合し、それまでの路線を修正するという行動をとる可能性が高いわけですが、そうなると4年間の任期中に、政策Aが打ち出され実際に動き出し、しばらくすると方向転換が示唆され、再選されるとまた当初の路線に近づき、次の選挙が近づくとまた「民意」に阿った木に竹を接ぐような修正が行われるという繰り返しに陥りやすいということです。
 これにもう一つの政治家集団である議員がからんだとき、猫の目行政はさらに深刻になります。政治家が選挙を白紙委任状と思い、有権者をなめきっている中で行われる教委改革には慎重にならざるを得ません。

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