YSCCのYSCCによるYSCCからの魂の叫び!!

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まさに本日感じていたこと

2008-02-27 01:03:47 | Weblog
激しく荒れた春の嵐。

鉄道の駅前には、夜遅くまで働いて帰ってくる
お父さんを迎えに来た車が数珠つなぎに列をなしていました。

家庭の一側面を想像させるに十分な光景でした。

さて、常々感じていながらも本日強烈に感じてたことが、
記事として出ていましたので抜粋しました。

以下~

~本質をくみ取ることが大切~

子どもたちにとって学校のトイレのスリッパは、
なかなかそろえにくいもののようだ。

むしろ、きちんとそろえられていることの方が少ない。

乱れていることが続くと私は、ついつい子どもたちに
お説教したくなり、「スリッパをそろえることは、
片付けをしないわがままな心にブレーキをかけることになるんだよ」
と話したり、時には自分でそろえたりする。

ある時、D男がそのことについて作文を書いてきた。
「僕は、スリッパをそろえられない時があります。
そんな時は、もうひとりの自分が『めんどうくさいから
そろえなくてもいいじゃないか』と言います」。

自分の中に、そろえようという心と、面倒だから
いいじゃないかという心があって、いつも闘っているというのだ。

履きものをそろえ続けられることはすばらしい。
しかし、心の中で葛藤(かっとう)しながら履きものを
そろえることについて自ら考え、迷いながらも実践していこう
とする生き方もいいのではないかと思う。

E男のことも思い出した。

E男は元気な子だが、字を丁寧に書くことが苦手だった。
何度も練習させ、丁寧に書けるようになってきたある時の日記。

ひらがなばかりで字も粗雑だった。
私は「また、元に戻っている」と腹立たしく思ったが、
半面、その内容はお世話になった方へのお礼の気持ちにあふれていた。

「できているか、できていないか」、「丁寧か、丁寧でないか」。
そんな表面的な二者択一で子どもたちのことを判断し、
「できていること、丁寧であること」のみが正しいと思う自分の浅さを思った。

その子の心の中に一歩入ってみると、子どもの方が広くて深い心を持って
生きていることに気づく。

子どもたちの様子からその心をくみ取ることが、
教師の大事な仕事であると気付かされた。~

大切なのは、くみ取るという暖かくて、おおらかに包み込むような気持ち
であり、決して拙速な表面的な判断ではないということです。

コメント
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