創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-15

2018-11-29 07:17:35 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・3/7>
新・創価学会を斬る 藤原弘達 昭和47(1972)/6 日新報道

       ----------(以下、本文)----------77
交通違反
⑬ 交通車故も運命とトボケ
 四十一年二月五日、石川県羽咋郡志雄町の学会員で工員の豊島次郎(25)が、学会集会のあと学会員の西山静子さん(33)をモーターバイクに乗せての帰途後輪がパンク、彼女はふり落とされてミゾのなかに落ち死亡した。ところが豊島はこれを「運命だ」として警察に届けなかったのである。
 さらに彼女が志雄病院に運ばれ、生死の境をさまよっているとき、学会員が病院に押しかけ、他の入院者にかまわず声高に御題目を唱えていた。
 豊島一家は学会一家として知られており、両親、兄、妹が全部学会員、とくに兄は地区の幹部をしていた。そして事ある毎にこの兄は「俺を誰だと思っている。創価学会幹部の豊島だぞ」とおどし文句を並べていた。
 この事件から一か月もたたない二月二十八日、新聞配達をしている父義勝さん(59)が同じ国道で交通事故を起こし、頭に一か月の重傷を負ったのである。

⑭ 公明党議員ひき逃げ罵声事件
 昭和四十年十二月十六日
 上林弘作議員に対する問責決議
 上林弘作議員は、去る十一月六日午後七時三十分頃、乗用車を運転し、千葉県長生郡本納町本納ニ七九九番地先、国道交叉点において、本納町南吉田ニ九七番地農業・高山忠(47)の乗用するモーターバイクと衝突し、失神した高山氏を抱きかかえて置去りにしたため、翌七日ひき逃げとして茂原署において取調べを受け、十二月十匹日検察庁に書類送検された。
 新聞各紙は右の事実を大きく報道し、ために市民から厳しい非難をうけるに至っているが、このような行為は、人間道徳の基本である人格の尊重を無視した、もっとも恥ずべき行為であって、本市議会の名誉をはなはだしく傷つけ、市民の議会に対する期待を裏切った行為としてまことに遺憾にたえない。
 先に交通安全都市の実現を決議した本市議会として、この議会の名誉を失墜させ、市民の期待に背反した同議員は、すみやかにその責任を明らかにされるよう強く要望する。

 これは船橋市(千葉県)議会で、全員一致で可決された。主人公の上林弘作は公明党市議で上林繁次郎参議院議員の実弟である。そしてこの間責決議の審議のとき、公明党市議は全員欠席した。
 さらに事件目撃者の話によると、逃げるとき上林は「この馬鹿野郎!!」と被害者に捨てぜりふを残したのである。次回の市議選で上林が落選したのはいうまでもない。

詐欺
⑮ トラック部隊で七千万円詐取される
 被害金額七千数百万円。いくら物価高の世の中とはいえ、なみ大抵の金額ではない。会社再建に文字通り血の出るような苦心を重ね寝食を忘れた経済活動のなかにあって、わずかな時間を見つけては、大学ノートに記した平本社長(東京・八王子 ㈱桑都染美会〕の怒りの手記を紹介し、事実を本人の手で知らせるとともに、全国の企業家に対し、大いなる警告を発したい。

「妻はこのショックからすっかり人間が変わってしまい自律神経失調症になった。顔に湿疹ができるようになった。精神的打撃が肉体にまで及び安静加療を要すと医師より宣告され、以後しばらくの間、半病人の生活がつづけられたのである。子供たちもこの世の中で一番恐しいのは鬼でもなく、怪獣でもない、創価学会なのだと固く信じこむようになった。すっかりふさぎ込む父のことを見て、お金を人に騙し取られて困っている、そのお金があれば大きな家が幾つも建つのだということを他人に話しているのを伝え聞き、哀れというか、もういたたまれない気持に襲われた。
 私はこの世のなかでの暴力とは何かを考えたとき、殴る、蹴る、などということよりも最も凶悪なものかあることを知った。それは市民生活を根底からくつがえす経済事犯だと……。」

被害①
 昭和四十三年の秋、株式会社・藤村ニットの藤村秀夫社長が連れてきた三十六、七歳の白鳥敏夫なる人物がいた。白鳥の妻は偶然にも私の知人の妹であった。そんなこともあって彼を信用した。住所(東京都葛飾区お花茶屋)も私の知人に近かった。工場は長野県松本市北上横田にある中村メリヤス(有)だった。
 結局はひっかけられた。被害額は約百万。再三再四督促をしたので染工賃の一部として力ーディガンとスカート五十組、十五万円相当を持って来て、必ず十日ぐらいのうちに解決するから待ってほしいということなので待つ。しかし一向に履行しない。止むなく公明党八王子市議会大塚重又議員に事情を話し善処をお願いする。大塚議員は快く引き受け、創価学会葛飾支部を通じて話してくれた。
 返事は『本人が必ず決済するからもうしばらく時間を借してほしい』ということなので、再度待つ。
 一向に何んの連絡もない。
 十一月も中頃になりはっと気づいた。『これは学会員同士の手口ではないのか』と。そこで再び直接本人に電話で詰問したところ、その返事があまりにも意外なので思わず自分の耳を疑ったほどだった。
 曰く『あなたは共産党だろう。創価学会に敵意をもつからこのようなことになるのだ。支払って貰いたかったら御本尊様を拝みなさい。』
 三十分ほど話をしたが返事はこのことの繰返しであった。

被害②
 昭和四十三年のこれも秋である。私が第三工場長にしていた須長睦夫(37)の親子は、創価学会員であった。大石寺登山とか折伏、座談会等学会活動のため工場にいなかったり、早く帰ることが多かったので、工場責任者としてふさわしくないと判断していたが、適当な人物もいないので止むなく工場を閉鎖する決心をしたのである。
 当社の機構は各工場がそれぞれ独立採算制になっているので、工場長が経営権をもっていた。したがって工場長の良否にすべてがかかっていたわけである。
 十一月の末にこの第三工場の土地および建物の売却を第三者に依頼したところ、あるひょんなことから登記所にはこの須長が八王子市中野町井上某氏より土地を買っていることが記されているのを見つけたのである。この金の出所に疑惑が生じた。
 ところがである。四十五年一月十七日夜九時半頃であったろうか『社長さん工場が火事です』と第三工場の女子従業員から電話があり、まさかと思い『どんな状況だ』と聞きなおしたところ『もう手がつけられない状態で類焼を防ぐのが精いっばいだ』という返事。観念して防寒仕度で現場に行く。夜目に余りにも鮮やかに白煙を上げ焼け落ちてくすぶっている。
 翌日より処理の対策に入った。須長の父(七十歳)は焼死したので須長の責任究明は待つことにした。
 その時学会員の一人が『このようなことがあるから信仰しなさいよ』と折伏にやって来た。創価学会員が焼死したことを問えば『運命だ』と言う。
 こんな時、八王子市元本郷町の加藤某という学会員が『学会員が起こした事故だから、学会でこのような時にこそ力を貸して、弁償して下さるよう手紙を池田会長先生に出そうと思って支部の幹部に相談したら、一言のもとにはねつけられた』と言ってきてくれた。
 須長の父親の葬式は学会葬だった。香典は学会が全部持ち帰り香典返しということもなかった。学会員は生存中、功徳のための寄付だ、寄付だですごし、死んでも香典で学会の経済の支えとなる。あの天皇制絶対の時を思う。死して御国の礎となったものだ。学会員は死して学会の経済の柱となるということか。
 時がたつにつれて須長の行動に不審な点がでてきたので行動調査をする。まず土地を買ったらしいという情報が入った。八王子市中野町の忠実屋付近らしいという。早速、その付近一帯の土地所有者の調査を依頼する。
 五月中頃、その土地を突き止める。時を移さず立川市の三多摩法律事務所を通じ、仮差押えの申請を東京地方裁判所八王子支部にする。その時、八王子税務署より須長の所得に関し調査あり。税務署の目的は、土地買入資金の出所究明であった。

 その時点で初めて須長を呼び事情を聞く。須長と親しい桑都染美会第五工場責任者藤谷を立会わせる。
 私は須長に本社の被害事情を説明し、取引先の委託品を焼失したので弁憤する義務があることを確認させる。桑都染美会と須長の契約によりどのように弁憤するかを問うたが、須長は黙秘してうつむくばかりだった。
 止むをえず案を出す。『あなたが土地を買ったことは税務署もすでに知っているほどである。だからその土地を火事の弁償として出すか、それとも所得税として税務署に物納するか、その二者択一である。
 火事の弁償として出せば土地代金の半額を本社よりあなたに返す。土地は不動産業者が見積って坪六万円なので百五十坪あるから九百万円で売却できる。そうなれぱ四百五十万円をあなたに返す。あなたの所得は税務署でI千万円以上であろうから、いかにその土地をもっていたくとも、六、七百万円の税金を納めなければならない。競売にかけられれば六百万円ぐらいしかならないだろう。いずれにせよ、なくなる土地なのだから、火災の弁償として出したほうが道義的にも筋が通るのではないか』と言ったところ、須長は涙を流しながら…『自分の土地に自分の家を建てるのがおれたち親子の長年の夢だった』と言い、遂にこの申入れを承知しない。
 そこで最終案を提案する。『調査費用と弁護士の費用を含めて百万円出すならば土地差押えを止める。これが最大の譲歩だ』と言ったところ、しばらく考えていたが承知した。
 火災直後に、金も何もないが、何年かかっても誠意を示すと言っていた須長の言葉はやはり嘘であった。買った土地がありながら、百万円だけ出してケリをつけようということなのだ。

 しばらくして税務署から須長の所得について調査に来た。従業員数、材料の買入先、染色工場の一般経費につき克明にきかれた。須長は火災で帳簿は焼失して何もわからないということで税務署は千二百万円の所得と査定したとのことであった。
 ここにも嘘がある。自宅に帳簿類は持って行つているはずであり、帳簿があれば正確に査定され、千二百万円以上の所得になることは確実だからである。
 須長は四十三年七月に第三工場の責任者として独立採算制で開業したのだが、その年も翌四十四年も無申告だった。親しい者からの知らせによれぱ創価学会に多額の寄付をしていると聞かされたが、香典まで学会に寄付するのだから当然かもしれない。
 選挙の時は、公明党への投票依頼に菓子折りや酒を持って戸別訪問をしていたという。もぐり営業で脱税し、選挙には買収に等しい行為をする。創価学会・公明党は不正行為を指導しているのではないかと疑いたくなる。
 火災による被害金額は、委託商品三千万円、建物、型紙等一千万円に達するが、火災保険はわずか二百万円程度のものであった。火事は原因不明の失火と結論づけられたが、私は税務署で査定された千二百万円の所得の脱税と工場を売却されることにより、自分の工場長としての職が奪われることへの反感ではなかったかと考えている。この二つの事実からして、不純な動機による放火説をとるが、私自身では調べる方法がなかったのである。
 ----------(次回に、つづく)---------84

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