創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明のスキャンダル-33

2018-09-12 09:34:59 | Weblog

  <サイコパス・池田の“人脈・金脈・性脈”>
創価学会・公明党--スキャンダル・ウォッチング
     これでもあなたは信じますか   内藤国夫  (日新報道 1989/06)
    ------(P.205)---(以下、本文)-------

福島 源次郎
    いま一つ迫力に欠ける、かっての側近中の側近の池田批判
 「『人間革命』は現代の御書である」という福島の有名な言葉は、「池田大作が現代の御本仏」と説くのと同じこと。古い信心歴のある学会員なら誰もが知っている。福島は絶頂期に「ゴマ源」と仇名されるほどの池田センセー教の熱烈な信者・布教者だった。その福島があっという間に挫折し、姿を消した。一体、何があったのか。
 福島は、東京大学を卒業したエリート学会員である。学会に入る前に、同じ日蓮正宗の擅信徒の団体である法華講にいた。昭和四十年頃から彗星の如く学会中枢に現われる。四十四年=男子部長、四十五年=青年部長、四十七年には四十の若さで副会長になった。これは、今でも最年少副会長のレコードである。
 福島は『人間革命』第三巻が『聖教新聞』紙上に発表された四十三年頃から、「師への帰命」(仏様に南無すること)を熱烈に訴え始めた。言論出版妨害事件が起きて池田自身、四面楚歌の状況に置かれた時にも「福島が一番、真面目である」「福島が一番、真剣だ」と手放しで誉めちぎった。そんな池田べったりの福島が、なぜ奈落の底に転落したのか。
                      ☆
 早い話、福島は池田を生き残らせるためのスケープゴー卜にされたのである。
 福島失脚の直接の原因は、五十四年三月六日、九州・大牟田会館で学会の謗法問題について釈明する指導を行なったことに端を発する。この指導は全くもって最悪のタイミングで行なわれた。五十三、四当時は、いわゆる宗門問題が激化、その中でも池田本仏論に代表される学会員の異常な池田崇拝が、集中批判を浴びた。「師への帰命」を最も中心的に唱え続けてきた福島は、自分のセールスポイントを失いつつあった。大牟田発言は、そういった鬱憤が一遍に爆発した。
 曰く「会長本仏ということは、僧侶から起こった邪推である。会長が本山にいったりすると『先生、先生』とみんなが慕うのに反して、猊下をお慕いして近づこうとはしないところから、僧侶がやっかんで会長本仏などと邪推したのである」「本山の宿坊は旅館と同じで、宿泊費をとられる。霧島研修所は無料である。これは会長のポケットマネーからまかなわれているのである。会長先生の御恩にお応えしなければならない」
 この発言はやがて僧侶の側に漏れ伝えられ、宗門が問題とするところとなった。結局、この年の四月八日付け『聖教新聞』紙上に北条理事長名で「信徒の姿勢について」と題する談話を発表、「ことに大牟田での発言は、信徒にあるまじき不穏当、不謹慎なものであり、発言者の立場をあわせ考え、まことに遺憾であります」と初めて福島が公式に批判された。この談話、北条理事長名で発表されているが、もちろん池田の指示で行なわれた。 池田自身、その後「師への帰命、主師親の三徳などといわれるのは迷惑な話である」とか、「福島は勝手にいった」などといっているが、『人間革命』が一貫して師への帰命をテーマにしているのは、池田がそうさせたからだ。因みに、長谷川重夫という誰がどう考えても有能とは思えない人間を筆頭副会長にしているのも「自分を絶讃するものだけを大切にする」池田の態度の現われだ。
 福島はもちろん長谷川より有能だが、やはり「ゴマ源」の故に池田から重用された。だから、池田にとって都合が悪くなれば、簡単に切り捨てられる。福島は結局、この発言の責任をとって辞任。
                      ☆
 学会の外郭企業・日本図書輸送の役員に転じた。「七年以内に必ず学会の要職に戻す」との池田の口約束が反故にされたまま、五十八年三月、日本図書輸送の役員を辞任。自ら消息を絶った。
 六十年四月、福島は「師への帰命」のかわりに「師への諫言」を池田宛に郵送した。原稿用紙六十枚に及ぶこの『誠諫之書』で福島は「池田学会」の病状を余すところなく説き明かしている。諫言など、池田が聞く耳をもつわけがない。福島自身がよく知っているはずである。それでも福島はなぜ諫言しょうとしたか。『誠諌之書』が月刊誌『諸君!』にスッパ抜かれた時、福島の勇気ある行動を誉める評が多かった。が、中には『あれはやっばりゴマすりの書だ』
 「夫婦喧嘩に似て、どこか女々しい」といった悪評も決して少なくなかった。
 福島源次郎というかっての池田の側近中の側近は今、完全に池田から脱皮した。しかし、池田と正面から戦おうとしない。池田に諫言をするのなら、なぜ第二、第三の諫言をしないのか。
 また、なぜ諫言を公開で行なわないのか。福島の行動は今一つパッとしない。福島は学会きってのエリー卜だったが、実はただの世間知らずのアマちゃんなのか。それとも、周到な準備をして一気に決起するのか。あまり甘い期待をもたずに、今後を見守るしかない。

北風 清松
     選挙の“神通力“も切れ人気も下降線
 一時、週刊誌などで反池田造反説がウワサされた九州の副会長。今でも現役。造反したのか、今でも池田べッタリなのか、はっきりせず、謎に包まれた男である。というのも、今年の北九州市議選では戸畑区にビッチリ入り込んで、選挙の指揮、激励に努めている。同じ戸畑区には権藤恒夫、神崎武法、中野鉄造などの国会議員も入っている。
 「北風が造反」というウワサは、福岡一区から田中昭二に代わつて神崎武法が出馬することが決定した際にパッと拡がった。候補決定で北風が全くの蚊帳の外に置かれたことに腹を立てた、という事実はある。それが誇張されて報道されたわけである。ただこの時は、一時的にではあるが、本当に池田からホサれかかった。その結果、九州長という学会の要職から降ろされた。
 またこの時期、池田とともに米国に旅行した北風が、池田から「態度が悪い」と怒られた、という話もある。大橋敏雄によれば「北風が造反? そんなこと絶対にありませんよ。むしろ、北風は『私は生涯、池田先生に尽くします』というタイプ。ただ、池田には反抗しなくても、学会の組織、人事には相当の不満があることは間違いありません」とのことである。
                      ☆
 北風は、地元では「選挙の神様」と呼ばれている。北風が応援に入る選挙区は、不思議と必ず当選するのである。しかし、前回の衆院選挙では、北風が長崎に応援に入って宮崎角治を落選させた。で、「さすがの北風もとうとう神通力が切れたか」と、このところ北風人気も下降線を辿る。
 北風は地方担当の副会長としてはかなりマスコミを騒がせた方だが、それでも地元の北風人気は大したものである。北風は根っからの地元人間である。やはり同じ九州人として、地元の学会員の気持ちがよく分かるのであろう。北風が九州長を降ろされて後任にきた吉橋侃など、地元とはなんの縁もなく、東京からいきなり派遣された人間。この吉橋に地元学会員の不満が爆発寸前だという。吉橋が九州総合長でいられるのは「吉橋さんは池田先生直結の副会長だから」ということだけで、みんなイヤイヤくっついているのだ。
  -----(210P)----つづく--
                         --目次一覧は、本項第2回<H30・8・12>に登載--

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