ドイツ日記 Les plaisirs et les jours

ドイツに滞在して26年経過。2年後に日本へ本帰国予定。ゴルフを始めて4年半ですが相変わらず下手な初心者ゴルファーです。

筋肉痛

2005年01月13日 | 日記
昨日2週間ぶりにバレエのレッスンに行ったのだけど、その帰り道にすでにふくらはぎが筋肉痛となってしまった。クリスマス休暇の2週間全く運動せずにじっと椅子に掛けて食べて飲むだけだったからなあ・・早く年末・年始太りを解消しなくてはいけない。
それにしてもこのところ、やけに気温が高くて気持ち悪いくらい。もともと私が住んでいる西部はドイツでも冬は暖かいところで滅多に雪など降らないが、それにしても変。何しろ、この時期で気温が15度前後もあるんだもの、このところずっと。このまますんなりと春になるとは思えないのできっと寒波が来るんでしょうねえ直に。クリスマスを過ぎてそろそろ朝も明るくなる時間が早くなりつつある。春よ来い、早く来い!って感じですが、いつもカーニバル絶頂期はめちゃくちゃ寒いからこれから本格的に寒くなるのかなあ・・。

「薬指の標本」 小川洋子

2005年01月12日 | 読書
 このブログ日記を書き始めてからというもの、パソコンの前に座ってネットで遊んでいる時間が圧倒的に増え、その分読書に当てる時間がすごく減ってしまった。それではいけないと今年から心して読書にも時間を割かなくてはと思ってます。1年でどれくらい読めるのかこの日記に記録してみようと思います。まず今年第一冊目は週末にサウナの合間に読んだ文庫本から: 小川洋子の短編が2つ。「薬指の標本」と「六角形の小部屋」 小川洋子の本はそんなに読んだことがないなあ、これまで。「妊娠カレンダー」くらいかな。だからこの文庫本は多分彼女の作品では2冊目。何だか不思議な作風。男と女の恋愛話や別れ話というか傷ついた関係とかがテーマなのに、ちっともそんな感じがしないというか・・・下手するともっとドロドロした感情のやり取りになるところが汗も涙も官能の匂いもしない爽やかな風がさあーっと吹いておしまいという感じ。でも人が消えるようにいなくなったりするのって何?究極の恋愛=死ってこと? 最近の小説ってこんなスタイルが多い。絶対に本当の感情を表さない、人に本心を明かさないような格好つけた書き方というか、でもそれが逆に痛々しく感じられるときがあるけど。きらいじゃないけど、村上春樹より少し好きかな・・というくらいかな。「薬指の標本」も「六角形の小部屋」もファンタジーっぽい着想で面白いけど、うーん・・。「薬指の標本」がフランスで映画化されるって本当かしら?どこかで読みましたけど。そういえば、彼女の作品はほとんどフランスで翻訳されて出版されているらしく知人のフランス人もいつか「ホテルアイリス」を読んでいたな。映画になったら見に行きます。
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バッド・エデュケーション(La mala educacion)

2005年01月10日 | 映画
「La MALA EDUCACION」邦題「バッド・エデュケーション」スペイン2004年
2004年のカンヌ映画祭のオープニング映画
監督:Pedro Almodovar ペドロ・アルモドヴァル
出演:Gael Garcia Bernal、 Fele Martinez、Javier Camara、etc.
作品製作で行き詰っていた映画監督エンリケのところにある日、寄宿学校の友達で今は役者をしているイグナシオと名乗る男が訪ねてくる。おもしろい作品があるので映画化して自分を使ってくれというのだ。持って来た作品の内容は自分たちが修道院付きの寄宿学校にいた頃の話で神父の自分への性的虐待が重要なテーマになっているという。ここから、現実と過去とが交錯し、しかも映画の撮影シーンと現実も交錯し・・とややこしいのだが、途中エンリケは本当のイグナシオはすでに死んでおり、イグナシオを名乗って自分に近づいてきたのはその弟だということを知る。さらに、関係のあった元神父が登場してイグナシオの死の真相を暴露してしまう。子供時代の穢れのなかったイグナシオがボーイソプラノで歌う「ムーン・リバー」と「帰れソレントへ」が美しくって感動物だった。あの美しい少年だったイグナシオが薬中毒のオカマになっていようとは・・。うーーん、いつものようにというか、いつにもましてというか アルモドヴァルの映画は映像も色がどぎつくって Super Kitsch なんだけど、出てくるのがまたオカマとかゲイとかでオモシロイですけど、彼やっぱり何かにトリツカレテますね。

小森のおばちゃま亡くなる

2005年01月10日 | 日記
小森和子さんが95歳で亡くなられた。淀川長治の告別式の時の車いす姿が最後だったけど、95歳だったとは。長生きだわ・・。私も今年はがんばって出来るだけ多くの映画を見たい。ということで
本日9日(日本はもう10日だけど)は朝から天気もよかったので昼過ぎに家を出た。まずアンティークマーケットに行ってみるがあまりの人ごみでゆっくりと見てられない。アンティークは本当に鑑識眼とか値段の相場とかの知識がないとね、交渉もできないし。そういうわけで早々に退散し午後3時から映画を1本見る。本日はスペインの監督 Pedro Almodovar の「La Mala Education」バッド・エデュケーションという映画。強烈だったなあ・・。何しろ修道院の寄宿学校での男の子同士の愛とか、神父の男の子への性的虐待とか、ゲイとオカマとかの愛とサスペンスがてんこ盛りだったもんね。いつもの監督のテーマですよね。映画の後は久しぶりにサウナへ行った。3ヶ月半ぶりだったけど、いつもの常連のサウナ客は相変わらず来ていた。サウナでボーっと半分眠り、外で休憩しながら読書して3時間半ばかり過ごした。90度サウナでは1時間に1回いろんなアロマの入った水を石にかけてくれるのだが、これがアロマセラピーサウナで最高!それにこのとき果物・・たいていオレンジの輪切りだが・・をサウナ客に振舞ってくれる。やっぱりいいな、サウナは。日本にいればきっと今至るところに出来ている何とか温泉という大浴場に行けるけど、こっちじゃそれも叶わないし。せめてサウナにでも行ってリラックスしなくてはね。


親密すぎる打ち明け話(Confidences trop intimes)

2005年01月09日 | 映画
仏原題「Confidences trop intimes」独タイトル「Intime fremde」邦題「親密すぎる打ち明け話」
フランス 2003年 監督 Patrice Leconte 
アンナ:Sandrine Bonnaire ウイリアム:Fabrice Luchini
アンナは結婚生活に問題を抱えていて精神分析医のところを訪ねた積りが、同じ階の違う扉を開けて税理士ウイリアムのオフィスに行ってしまう。税理士を訪ねるクライアントもしばしば家庭のゴタゴタを抱えているため、アンナの打ち明ける話を聞いていてもそれが間違って自分のところにやってきたとはわからない。しかし最後にどうもおかしい、訪ねる相手を間違っていると気づいても、それをアンナにはっきり言うチャンスを逃してしまうところから2人の奇妙な関係が発展していく。アンナの打ち明け話を聞きながら、ウイリアムは自分自身を分析し出し、というか自分がアンナによって癒されて変わっていくことを発見していく。そしてアンナもウイリアムの話を聞いてもらうことによって癒され変わっていき、彼に感謝しながら新しい人生を踏み出す決意をする。ウイリアムを演じたFabrice Luchiniが抜群によかった。冴えない小心な税理士のおどおどした目つき、アンナを知ってうきうきして踊りだすところ、ひとりで寂しく夕食を取るところ、昔の奔放な女に翻弄されているけど何も言えないところ、自分を捨てて他の男とつきあっているその元カノが訪ねてくるとなると、いそいそとうれしそうに料理を作ったりするところなど・・。
これはお勧めです。大人のメルヒェン映画です。いつものパトリス・ルコント映画ですが。

2005年も1週間経過

2005年01月09日 | 日記
朝から一日中どんよりとした曇り空で2時頃セシルの家にフランス語のレッスンに出かけようとしたら雨が降り始めたが終って出てきたらもう止んでいた。バレエもまだ始まらないし、運動不足だな・・。体重は?十キロの大台を出たり入ったり。これでもちょっと前に比べたら数キロ減ったんだけど。要するに夜あまり食べなければ痩せるとみた。当然だけど。目標は今年の末までにあとマイナス5キロ・・・無理だよね・・。本日は早めに夕食を済ませて7時半からの映画を見にアルトシュタット(Old Town,旧市街、Vieille Ville)に行く。本日見た映画は パトリス・ルコントの新作で「Confidences trop intimes」邦題は多分「親密すぎる打ち明け話」。久しぶりに見たパトリス・ルコントの映画だったけど、よかった。最後ちょっと泣けた。この監督の映画を見たのはこれで、5本目。「仕立て屋の恋」1989年、「髪結いの亭主」1990年、「タンゴ」1992年、「イヴォンヌの香り」1994年。いつも出てくる男がおかしくて、悲しくてかわゆい。今回も税理士役の Fabrice Luchiniがなかなかよかった。前回見た「イヴォンヌの香り」は駄作だったけど、今回は合格。それにしても、彼の映画では常に運命の女に出会った男が変わっていくのを描いているのだけど、ま、それは私の大好きなDavid Cronenberg監督でもそうだけど、クローネンベルグと違うのは大人のメルヒェンみたいで、冴えない男が女を女神のように慕い・・悲劇も喜劇のようで・・。今回はめでたし、めでたしでした。うーん、何でこんな小学生の感想文みたいになってしまうんでしょ。情けない。帰宅してイタリアはシシリー島の養命酒Avernaを飲みながら書いてます。

国連主導で津波被害の復興支援

2005年01月08日 | ニュース・トピック
昨年末にアメリカが提唱して緊急支援をすると言ったとき、私は「また国連無視してアメリカ主導でやろうとしている・・・」と苦々しい思いを抱き、それにブッシュのポチ小泉が即賛同したもんんだから、ますますイヤーな気分だったけど、結局国連主導で復興支援を行うことでアメリカも了解したみたいですね。アメリカも、イラク侵略・破壊・殺戮の時と違ってあっさりと引き下がったようですね。破壊は好きだけど、建設はどうでもいいってことかな?それにしても、私のアメリカ嫌いはますます筋金入りとなってきて、アメリカが何をやっても悪くしか取らないようになってしまっている。昔はアメリカも結構好きだったのに、誰かもっとまともな外交や政治をやる連中が出てきて昔の私に戻してほしい。ところで今回アメリカを説得して国連中心の復興に持っていく努力を日本がしたというように書いてあるのをどこかで読んだけど本当なんでしょうか?昨夜のARDのニュースでもアメリカの態度に嫌味な批判をしていたな。ドイツも筋金入りのアメリカ嫌いというか不信なのかも。義援金のインフレ合戦が続いていたけれど、日本もドイツも結局国連の安保理入りを目指してのアッピールでしょうね。それは別にして、本日のニュースでは津波復興のためのドイツ民間人の寄付金額が2年前の夏の自国のエルベ川氾濫災害時よりもはるかに多く集まったと言ってました。何でもすでに失業者や低所得者層の3分の2が寄付をしているそうです。

リーガポカール(杯)日本で開催か?

2005年01月06日 | サッカー
いつも参考にする当地のスポーツジャーナリストのサイトを読んでいたらこんな記事を発見した。イタリアのセリエAやイギリスのプレミアリーグのようにもっと世界的に有名になりたいけどマーケッティング面で出遅れているドイツのブンデスリーガがもしかしたらリーガ杯のゲームを日本でやるかもしれない・・って。実現するでしょうか?

スマトラ沖地震の与えたショック

2005年01月06日 | ニュース・トピック
日本の国民やメディアがどういう反応を示しているのかよくわからないけれど、ここドイツでは26日にスマトラ沖地震が発生してからというもの、国をあげて救済活動をしているし、ニュース時間の大半は10日経過した今でもこの地震関連に費やされている。日本と違い、ドイツ人の行方不明者が未だに1,000人(以前に3200人と書いたがこれはダブルカウントなどがあり間違いだったとのこと)を超えているという大きな被害もさることながら、東南アジアの貧しい諸国に追い討ちをかけるような天災(人災とも言えるかも)に国民のショックと関心は非常に高いといえる。本日5日の正午から欧州全体で犠牲者のために3分間の黙祷を捧げようという呼びかけがあり、ドイツ国会や欧州議会はもとより、多くの組織で黙祷が行われた。教会はもちろん、電車もバスも3分間ストップ、テレビの放送も3分間ストップするか静かな音楽を流すかで欧州全体で喪に服した。うちの会社でも大会議室に社員が集まり黙祷した。地震発生から国民に対する寄付の呼びかけも活発に行われているし、また多くの民間人が寄付をしている。日本ではどうなんでしょう?こちらの人は日頃はケチというか節約するが、本当によく寄付をするようだ。うちのある社員は「給料の一部を天引きして皆で寄付しては?」という呼びかけメールを全員に出していたが・・どうなるかな?昨夜は国営放送のひとつが寄付呼びかけのチャリティガラコンサートを全国放送で行い4,000万ユーロ以上が集まったらしい。F1レーサーのシューマッハーは個人で1,000万ドルを寄付したとのこと。国としてもシュレーダー首相は5億ユーロの援助を決めたようだし。こういう災難時の助け合いと連帯の心はやはりキリスト教の教えから来ているのでしょうか? その方面に全く疎い私は何とも言えませんが、街の乞食にもよく恵んでいるし、節約家のドイツ人もやる時はやるのね。それにしてもだ、アメリカは大義のないアフガニスタン・イラクへの侵略と破壊に大金を湯水の如く費やしているというのにこの地震の援助に最初はたったの1500万ドル出すと言っていた。今でこそ少し上乗せしたようだけど、本当にどうしようもない国だ。でもって、元大統領などを使って民間からの寄付を募ろうとしている。ばかげた他国侵略に使う金があったらもっとまともなことに使ったらどうなのさ。だからアメリカは大嫌いだ。しかもアッピールだけは上手くってColin Powellを災害現地に派遣したりして。あーあ、ムカつくったらありゃしない。

「新撰組」 山南さんの死

2005年01月05日 | テレビ
人より遅れることおよそ4ヶ月で、ようやく新撰組の33回目を泣きながら見終わった。あーあ眼が痛い。 たいした成果も挙げずに内部抗争とリンチに明け暮れるところなんて、浅間山荘に立て篭もる前に群馬の山中に逃亡していた連合赤軍とまるでいっしょだわ。長期的ヴィジョンもなく自分たちのやっていることに自信も持てなくなってくると組織は硬直し始め、権力闘争が起こり・・・うーん、普通の日本企業も似たようなものか・・。山南さんの武士としての様式美にこだわる姿も美しいけど、所詮そんなことにこだわっている場合じゃなかったっていうか・・。江戸に逃げ延びて最後は新撰組と対決することもできたのに。あーあ、それにしても土方歳三ってこんなに教条的な男だったの?ま、山本耕史がかわいいから許してあげるけど、なんと言うか、皆内部抗争している場合じゃないってのに。ここに、やっぱり田舎者の農民集団の限界を見ましたね。これから、どんどん出演者が死んでいくんでしょうね・・。やりきれないなあ。

2004年に最も嫌悪した言葉

2005年01月04日 | 日記
それは、「自己責任」という言葉。

スマトラ沖地震の被害者は日を追うに連れ増加の一途を辿り、本日現在で165,000人が犠牲となった模様。ドイツでは身元が確認された遺体が今のところ60人、すでに現地を出てドイツに戻った旅行者は7,000人。しかし、いまだに1,000人以上が行方不明で下手をするとドイツ人行方不明者の数は3,200人に上るとも言われだしている。自国の被害者の数が多いこともあり、年末から政府の閣僚が中心となってドイツ人被害者を中心に欧州旅行者の救済と災害地援助に当たっている。日本人の行方不明者の数も680人になると本日のニュースに載っていたが、日本は国家として自国被害者の対策にどのように取り組んでいるのだろうか。まさかとは思うけど、被害地域に5億ドルの無償支援をしただけで終わりってことではないでしょうね。いつものように金だけ出して何にも感謝されないということをリピートするんじゃないでしょうね。それに日本人被害者の救済はどうしているんでしょう?また「自己責任」の一言で切り捨ててしまうんじゃないでしょうね。メディアがまたそれに同調して旅行に行って犠牲となった人たちを苛めるんじゃないでしょうね。その愚かなメディアに付和雷同して悪意に満ちた手紙やメールを被害者の家族に出したりするんじゃないでしょうね。
まさかとは思うけど、昨年の4月にイラクで日本人3人が拉致された後に日本国内で起こった「自己責任論」と政府の対応の仕方とメディアの報道内容、家族に対する邪悪ないじめには、目と耳を疑ってしまったし、それ以後、なぜ日本人はそんな悪意に満ちた対応をするのかと、考え込んでしまっている。ドイツにいてそのような日本人の態度に失望と驚きと不快感を感じ、一瞬国籍を変更しようかとまで思ってしまった。もちろんしませんでしたけど。なぜにいつ殺されるかもわからない状況にいる無力な者とその家族にあそこまで悪意に満ちた嫌がらせをするの?「自己責任」だから勝手に死ねと切り捨てるその心理って何?もちろん、危険地域に警告を無視して入ったことは悪いけど、そもそも何の大義もない侵略に加担している小泉政権を糾弾するのが先決じゃなかったの?外から見ると日本で起こっている「自己責任論」はとっても異様だった。ドイツでもイラクで拉致され殺された人が2人いる。しかし、「自己責任論」など起こらなかった。一昨年だったか、北アフリカを旅行中のドイツ人やスイス人だったか、数カ国の人が誘拐された。数ヶ月に渡って拉致された後に国が身代金を肩代わりし外相自らが交渉に当たり無事に解放されたけど、「自己責任論」など起こらなかった。ことほど斯様に国民の対応の仕方が日本とドイツで違うとそれがどこから出る違いなのか・・・と考えてしまうのだが・・。


オペレッタ 蝙蝠(Die Fledermaus)

2005年01月03日 | バレエ・オペラ・演劇
日本はもう3日ですが、こっちの2日夜は当地のライン・オペラ座にウィーン・オペレッタを見に行った。出し物はJohann Strauss(1825-1899)の 「蝙蝠」年末・年始には毎年恒例の出し物。例えて言えば日本で年末に「第九」をやるようなものか・・。大変に明るくって楽しくってばかばかしくも荒唐無稽な・・・ま、たいていのオペラやオペレッタのストーリーは荒唐無稽ですが・・・イヤー、よかった。久しぶりにげらげら笑った。オペレッタは途中台詞が入るからおもしろい。
ロザリンデとアルフレードがデュエットする所が最初の方にあるけど2人がハモッテなかったのが気にかかった。ロザリンデ役の人、高音がフラットしていたような・・。彼女の小間使いアデーレ役のEir Inderhaugというノルウェー人の子がすごくかわいかった。まだ若くって小間使いとかお似合いだけど、これから伸びるといいかも。それに幕間にラデツキー行進曲もやったので観客は手拍子でご機嫌だったけど、これって恒例なのかな?昨日のニューイヤーコンサートではこの曲は自粛してやらなかったらしいけど。オペラ見に行ったのは本当に久しぶり。2003年の6月に高校の同級生たちがドイツに遊びに来たときミュンヘンで「魔笛」を見て以来。でも来月の24日にはまた「フィガロの結婚」を見に行く予定。これもかなり前にウィーンで見たっきり。ま、ウィーンオペラとラインオペラじゃ比べられないかもしれないけど、気軽に行けるのは本当に有難い。何しろ、オペラが終って20分後には自宅だもんね。

休暇最終日

2005年01月02日 | 日記
1月2日晴れ久しぶりに青空になりつつある。12日間の休暇も今日で終わり。明日からまた仕事。夜オペラに行く前に服の整理をしようと思う。長年着ないもの、サイズが合わずにもはや着れなくなったものは処分せねば。今年はパンツばかりの生活を止めて少しはフェミニンにスカートも身に着けようと思う。だけど、パンツってやっぱり活動しやすくって好きなのよね。でもこの動きやすさがだらしなさ、行儀の悪さにつながってしまうのよ。読みかけだった数冊の本は結局そのままで新年に持ち越しとなってしまった。トホホ。今年はできるだけ、読書に精出したいものです。

年越しパーティ

2005年01月02日 | 日記
2004年の大晦日はM夫婦の家で年越しパーティを開催した。来るはずの「絵の先生」が何の連絡もなく登場せず、結局5人での飲み会となった。今回は焼肉で、前回とは打って変わってM夫の態度が大人しくけんかもなく静かに飲めた。12時を過ぎてクレマンで乾杯し年越しそばも食べてソファに横になって休憩するはずが、結局私とNさん、Y子さんの3人はソファで熟睡してしまい朝方6時半に外に出てタクシー乗り場まで歩いてタクシーで7時に帰宅。猫に餌をやり、再び眠り、11時15分からテレビで毎年恒例のウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見る。正月の天気は曇り。気温は8度で寒くはない。午後「絵の先生」からやっと電話が入る。何でも 前回登場した音大受験生のリサちゃんの家に遊びに行っていて風邪から熱を出して寝込んでしまい来れなかったとのこと。ま、無事でいたので一安心。休暇も残りあと1日。明日の夜は休暇最後の締めでオペレッタ「こうもり」を観劇の予定。