昨日、国際柔道連盟の理事選で、山下泰裕氏が落選し、国際柔連における日本人が一人もいなくなるというショッキングなニュースがあった。
そのニュースをラジオなどで聞いていたら、
「『柔よく剛を制す』という柔道の精神が消え去ってしまう」
とか、
「寝技が軽視され、立ち技が断然優勢になるような、単純に力がモノをいう柔道に成り下がってしまうだろう」
という声があった。しかしながらもうとっくの昔に技が重視される柔道というのは消えうせたといっても過言ではないし、アテネ五輪では逆に日本勢はそうした柔道の流れに対応していたはず。だから女子に至っては、7種目5種目も金が取れたのではないか?
今の「国際柔道」というのは技を積極的にかけなければ負ける。ひと試合に2つの警告がつけば即失格となって負け。それも下手をすればあっという間にくる。
しかし、柔道のことをしらない人間にとってみれば、「国際柔道」のほうが見ていてハラハラしてくる。対する、全日本柔道選手権は一度日本武道館で見たことがあるが、途中で「眠たくなってきた」ほど。ちなみに確か全日本柔道は「効果」という項目はなかった。
かつて、日本では無敵を誇った小川直也は、オリンピックではとうとう金メダルが取れなかったが、その理由は攻めの遅さにあったといわれている。つまり小川がまさかの敗戦を喫したあたりから柔道の流れは既に変わっていたといえるのではないか。
というわけで、柔道のことは全く知らない私だが、来年の北京で男女合わせて金が一つも取れないという状況に追い込まれれば大ピンチといわざるを得なくなろうが、今の柔道の流れも攻めを速く、そしてたくさん仕掛けなければならないという観点に立てば、アテネのときと同じような形で対応できると思われる。
前置きが長くなったが、柔道に次ぐ日本生まれのオリンピック種目といえば「競輪」である。しかしオリンピックで行われているのは「ケイリン」であって、「競輪」ではない!という声がよく聞かれる。競輪専門解説者でさえそのように言っているわけで、そういったほうが「都合がいい」場合があるのかもしれない。
ところで、日刊スポーツの今日の別刷で、下重会長と中野さんの会談が掲載されていた。冒頭で下重会長が競輪とケイリンの違いのギャップを嘆いていたが、それを聞いた中野さんが、その2つは決して別のものじゃない、と返している。
確かにルールが「若干」違うのは承知の通り。ところで、3年前の近畿地区プロを見に行った際、「ケイリン」が行われていたが、これが結構面白かった。競りなし、牽制なしと、競輪の「醍醐味」と言われているものがないにもかかわらず迫力満点の展開。場内も大喝采だった。ところが競りあり、牽制ありの従来の競輪を見るととたんに「眠たくなってしまう」のはなぜなのか?
トレーニング的な観点からいうと、以前にも書いたが、競輪とケイリンではやることはほとんど一緒ということも言われている。となると、競輪とケイリンって、柔道とJUDOほどの差のものなのか、と思えてくるわけだが・・・
だったらJUDOにも対応している柔道家はもちろんいるわけ(でないと五輪で金など取れるわけがないわな)で、ケイリンに対応できる競輪選手がいてもおかしくないのではあるまいか。
実際のところ、80年代の頃の競輪選手は、本気で世界選のケイリンを勝つことを目標に置いていた。逆に、本家の意地とプライドをかけて、絶対に金を取らねば、という気持ちを持った選手が多かったわけで。
ま、現実には甘くはなかった。87年に本田晴美が金メダルを取るまで、銅が精一杯。でも、銅メダルを取れるだけマシだといえよう。
ましてや初期の世界選ケイリンこそ、「競輪」と「ケイリン」という違いがあるものだった。どちらかといえばケイリンはポイントレースに近い形のものだった。だから6日間レースで歴代2位の勝利数を誇るダニー・クラークや、ポイントレースで世界選7連覇を果たしたことがあるウース・フローラーといった長距離系の選手がやたらと強かった。そんな異種競技戦であっても、競輪選手は勝たねばならないと意気込んでいたぜ。
しかし、今の「ケイリン」って、長距離系選手はまず勝てない。瞬時に踏みなおしが要求される展開に変わってしまい、間をおいて踏みなおさねばならない長距離選手がケイリンに出場する機会は今やほとんどない。となると、競輪選手が本気で取り組みさえすれば、今のほうが本当はケイリンで勝つチャンスは高いと見る。
もっとも、テオ・ボスやクリス・ホイといった選手や、アテネでダブルを達成したライアン・ベイリーといった選手は長く一定したスピードを保つことができるタイプ。そうなると、最低でも400だったら1周は逃げ切れるだけの力を持たねば世界レベルには到達はできないということもできよう。
ところで現在日本の監督をしているマニェ氏だが、彼はどちらかといえばパワー系の選手で、最後の200あたりから一気に全開するような走りに目を見張るものがあった。逆にいえば、マニェ氏や、ヒュープナーといった選手の走りについていけなくなった競輪選手はそのあたりから凋落しはじめたといえる。
そして、日本を凋落させた「原動力者」?マニェ氏が今日本の監督をやっているというのも不思議な縁である。もっとも、マニェ氏がジュニア時代の頃のフランス・トラック短距離界といえば、プロは中野さんに毎年勝たれ、アマといえば、ルッツ・ヘスリッヒら東ドイツの黄金時代。フランスは昔は強かったけど、今はすっかり弱体化、と言われた時代だった。
だからマニェ氏の話を日本の選手はよく聞いたほうがいいと思う。そして恐らく、マニェ氏は若いお前らが競輪を変えろ!と諭しているはず。
さらにいえば、競輪とケイリンが違うなんていう話なんかになったら、何を考えているのか!って怒鳴られるんじゃないか?
「ナカノはケイリンと競輪は違うなんて言ってたのか!」
って。
ま、若干のルールの違いっていうのは、他のスポーツを見ても少なからずある。野球だって、大リーグとプロ野球では若干ストライクゾーンが違うって毎回言われているし。思うに競輪とケイリンの違いっていうのもそんなもんじゃないのかな?