より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

権力の掌握

2012-05-29 06:03:34 | 教会の歴史 

(うぅぅぅんんん、何ゆえ、かくも、ジョセフの血が流されたことへの報復をブリガムたちは強調したのかねぇぇ???

(エンダウメントの儀式にも、ブリガムの指示で、一時期、報復の事柄が加えられてたかぁぁ・・・・  「エンダウメントの変遷」  2011-10-28 20:31:52 | ))

あぁぁ、そう、そう、そうでした、「血の贖い」という教義をブリガムが説いておったんでしたね、それが関係してくるかぁぁ・・・・しかし、これは、ジョセフの時は、おもには、動物の犠牲ではなかったんだろうか??或いは、死刑制度の保持みたいな?? それをブリガムは、拡大解釈したんでは??・・・・さらには逆手に取って、独裁者として秘密警察権力の掌握、反対者には粛清みたいな??・・・・

    「モルモン教と暴力・・・・モルモン教の初期の教えのなかに「血の贖罪」と呼ばれるものがある。「血の贖罪」とは,自らの血を注ぐことなくしてはけして赦されない罪があるとする教えで,二代目の指導者ブリガム・ヤングの教説に由来する。」
     http://garyo.or.tv/takahashi/boryoku.htm

     血の贖い ブリガム
     http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%A1%80%E3%81%AE%E8%B4%96%E3%81%84%E3%80%80%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%A0&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


     ブリガムが拡張したとウィキ(英語)には出てるね・・・・まぁ、少なくとも、ブリガムらが、「血の贖い」といったことを口にするようになったのは、『復讐の誓い』といった事柄が、エンダウメントに含まれた1845年以後ということか・・・・ジョセフの弟ウィリアム・スミスによれば、1845年ノーブー町で一教会員が殺害された事件で、正体不明者による襲撃についてブリガムは、殺された教会員が永遠の世で救われるための慈愛に基づいた行為であろうと語ったという・・・・1849年、デゼレト州での刑法制定にあたり、盗み、殺人、姦通に対して首を切って血を流すことが、最初、ブリガムの提案であった・・・・1888年まで、極刑の執行方法の一つに首切りが含まれていた・・・・管長会により説教壇で「血の贖い」が強調されるようになったのは、56-58年のモルモン・リフォーメイション(刷新運動)の時って・・・・
     http://en.wikipedia.org/wiki/Blood_atonement

     http://search.yahoo.co.jp/search?p=blood+atonement&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

     このへん、もうちょい、読み込んでみないと・・・・
     
(2012-05-26 12:35:43)うぅぅぅんんん、何ゆえ、かくも、ジョセフの血が流されたことへの報復をブリガムたちは強調したのかねぇぇ???(エンダウメントの儀式にも、ブリガムの指示で、一時期、報復の事柄が加えられてたかぁぁ)

彼らは、実のところは、ジョセフら暗殺への間接的加担者であった(フリーメイソンからの使者、教会乗っ取り陰謀説)??

であるからして、ヒラ会員・聖徒たちからそれを隠す意味でも、その強調、理由付けは有効であった??報復強調によって聖徒へのコントロールが容易に??

ジョセフ(1805-44.6.27)亡き後の、管長の地位継承に関して、ジョセフの弟サミュル・H・スミス(1808-44.7.30)は、ブリガムらのさしがねで毒殺されたというのがありましたんね・・・・19世紀は、世界中、陰謀・暗殺・・・・

繰り返しになりますが、( 2011-07-28 22:44:25 | )

「モルモンの泉掲示板で、以下のように、ジョセフの弟ウィリアムの・・・・

choi訳-part5  。WEB・ - 2007/07/13 17:35    

ウイリアム・スミス(1811-93)は、兄サミュエル・H・スミス(1808-44年7月30日)は後継指導者、大管長になるのを阻止された、そしてブリガム・ヤングとウイラード・リチャーズ(使徒、副管長、医師)の命令で毒殺されたと主張、ウイラード・リチャーヅが、サミュエルの看護にあたっていたホセア・スタウトに毒殺を指示・・・・

1908年、サミュエルの娘メアリーは記している。父と伯父アーサー・ミルケンは同じ頃同じ医者から処方されていて、アーサーは薬を止めたが、父は続け最後には薬を吐き出して言った、「毒を盛られた…」

ウィリアム・クレイトン(1814-79、 ジョセフの書記、秘書)の1844年7月12日付けの日記によれば、ジョセフはかつてジョセフとハイラムが取り去られた場合、サミュエルが彼の後継者であると語ったと…

サミュエルの妻リヴィラ・クラーク・スミスも、夫はホセア・スタウト(ダナイトの一員、ノーブー町警察長、法律家)によって殺害されたと語ったと・・・・

     ホセア・スタウト(1810-89)
     http://en.wikipedia.org/wiki/Hosea_Stout

     http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22samuel+h+smith%22+poisoned&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
    


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1 コメント

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Unknown (たまWEB)
2012-05-31 08:04:26
姦通・罪その他、ネット情報探ってみました・・・・


姦通罪
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A6%E9%80%9A%E7%BD%AA

「戦前の「家制度」のもとで・・・・妻が夫以外の男性と性的な関係を持つと、離婚の原因になるだけでなく、姦通罪として処罰の対象となった。一方、夫が妻以外の女性と性的関係を持つと、相手に夫がいるときのみ姦通の相手として処罰の対象とされた。妻から離婚することができたのは夫が姦淫罪で罰せられたときだけで、それ以外は問題にならなかった。」
     http://hwm2.wh.qit.ne.jp/fem-yoko/ajenda.html

「姦通罪は1907年(明治40年)に公布された刑法の罰則規定として、夫のいる女性が別の男性と関係した場合に適用され、2年以下の懲役と定められています。既婚の男性が未婚の女性と関係した場合は処罰の対象外でした。」 
     http://good-looking.at.webry.info/201109/article_6.html

「道徳と不倫」
     http://qanda.rakuten.ne.jp/qa5703968.html

ghq ”姦通罪”
     http://search.yahoo.co.jp/search?p=ghq++%E2%80%9D%E5%A7%A6%E9%80%9A%E7%BD%AA%E2%80%9D&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

石打の刑
     http://nikitoki.blog.so-net.ne.jp/2011-01-09-5
     http://ameblo.jp/frombangkok/entry-10289581054.html

特殊慰安施設協会
     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%96%BD%E8%A8%AD%E5%8D%94%E4%BC%9A

国策慰安所
     http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%9B%BD%E7%AD%96%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%89%80&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

「焼てびちに思うこと ~『敗戦と赤線』を読んで」
    http://nanimite.seesaa.net/article/128456748.html

日本の民主主義の黎明期をつくった女性:加藤シヅエさん
     http://plaza.rakuten.co.jp/workstream/diary/200804200000/
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