せっかくの機会、著者中原氏の体験をば・・・
「生死の境で見た奇妙な‘夢’は、今から十年前に九十四歳の長寿をまっとうして他界した祖母の‘夢’であった。子供のころから、この祖母にはずいぶんかわいがってもらった。
没後しばらく、祖母の遺影は私の部屋に飾られていた。曽祖父、曾祖母、祖父など、梅の家(註 家業の料亭・旅館)の歴史とともに歩いてきた先祖の遺影は、いずれも座敷に誇らしげに並べ掲げられているのだが祖母の写真をおさめた額縁だけはあまりに大きく・・・私の部屋に置かれることになり・・・深夜、仕事を終えて布団に横たわると、いやおうなしに遺影が目に入る。朝、目覚めた時も、まず最初に目に飛び込んでくるのが、この写真であった。そんな祖母の姿が、あの‘夢’の中に出てきたのである。
夢は一般的にはモノクロームである。中にはカラー版の夢を見るという人もいるらしいが明らかに少数派。色彩のないモノトーンの世界---私の夢も普通はそうであった。臨死体験を経た今も、通常見る夢は白黒である。ところが、危篤状態のさなかで私が見た‘夢’は明らかに総天然色だった。
ひどく暗いところに閉じ込められていたような、ボンヤリした記憶がある。
『ここはどこだ? 私はいったいどこへ紛れ込んでしまったというんだろう』
森閑と静まり返った得体の知れない闇の中で、出口を求めて彷徨している自分がいる。ここはまるで薄気味悪い旧い屋敷の廊下のようだ。行けども行けども、あたり一面漆黒の壁が私の行く手を遮っている。
ドーン、ドーンと拳で行く手を塞ぐ壁を叩き、必死になって出口を探す。だが、叩いても叩いても、向こうからは何の反応もない。不気味な壁は延々と続いている。不安が増殖して、息苦しさに耐えられないほどだ。
その後すぐなのか、あるいは大分時間が経ってからなのかは分からない。場面が変わって、私は渺茫(ビョウボウ)とした空間に、一人ポツンと立ちつくしていた。
どうやら、風もなく凪(ナ)いだ水辺にいるようである。水面で金色に輝くさざなみが、やけに美しい。ダイヤモンドダストの輝きのようである。
周囲はとても静か。前に広がっているのは、川か沼の入り江のように思えた。足元には、遥か彼方の向こうまで、延々とピンクの蓮がビッシリと咲き乱れていた。ピンクの花弁は先端部分が色濃く、がく片に下がるにしたがって淡い色になる。その特徴から、蓮だと分かった。大きく丸い盆のような葉のグリーンと、ピンクの花のコントラストが、夢の中ではひときわ美しかった。
あたり一面には、乳白色の靄(モヤ)だか霧だかが漂い、まるで雲の中にいるようだった。風はなく、いくぶん黄色みを帯びたその空には、音もなくフワフワと、次から次に靄が流れてくる。
何とも言えぬ心地よい世界だ。浮上感がある。空は、輝いてはいないが明るかった。点と線より光と空気を重視する『朦朧体』と呼ばれる画風の山水画の世界、とでも言おうか---とても言葉では言い尽くせないほど美しく、穏やかで幸福感に包まれた安らぎの世界であった。
靄でかすんだ対岸に、仄かに人影が見えた。足元までは見えないが、靄の中でも顔だけはハッキリ分かる。十年前に亡くなった祖母だ。私の部屋にある遺影と、まったく同じ柔和な表情で、対岸にたたずんでいるのが、ハッキリと見えた。
対岸に向かって進もうとすると、祖母が大きな声で叫んでいる。
『保、こっちに来たらダメだ!』 『ひきかえしなさーい!』 『まだ早すぎる、戻りなさい!』 『戻るんだ!』
口を動かして喋(シャベ)っているのが見えたわけではない。ただ、はっきりした大きな声だけが聞こえてきた。日頃、大声を上げたことのない祖母が、そんなふうに叫ぶのは聞いたことがない。私は意外な思いにとらわれていた。あまりに奇妙な感じだったので、今でもその情景をよく覚えているのだ。
自分が前進しつつあることが分かったのは、視点がどんどん前方に移動していたからである。自分自身の身体は見えなかったが、ちょうど、テレビカメラが正面に向かって進んでいったときの映像を見ているのと同じように、視点だけが前に進んでいた。
意識不明の危篤状態が続いたICUでの二ヶ月間で、はっきり残っている記憶は、ここに書いた不思議な‘夢’だけである。
それは、私のもっとも嫌いな(生理的に嫌悪感さえ感じる)宗教臭さが強く感じられる‘夢’であった。
迷信とか宗教とか霊魂とか---およそ非科学的と思われる世界観に対して私は強く反発を感じるのだが、それは、ある幼児体験に起因している。私の生家は古くからの商家である。そして、一般に古い商家には稲荷信仰がつきもの。わが家も例外ではなく、祖母が熱心な信者であった・・・・
あとがき
自由に歩ける足の機能、仕事、生家・・・命とひきかえに私は多くのものを失った。たったひとつしかない命が助かったとはいえ、私にとってはあまりにも大きな代償であった。
退院後しばらくは何も手につかず、放心したような無気力な虚脱状態がつづいたが、そんな時期でさえ、あの不思議な‘夢’だけは、納得できないままに、私の心の隅で、いつまでもとれないこだわりやわだかまりのようになって残っていた。
入院中、まだ麻痺のとれない指先のリハビリのため始めたワープロの特訓中、神経内科部長の三好甫先生から『患者さんの立場から何かを書いてみたら・・・』と、書くことを強く勧められたことがあった・・・
筆舌に尽くしがたいほどの失意、不安、苦悩、絶望のどん底にあった私を、終始あたたかく見守りつづけ、励ましつづけてくれた家族の者たちにも感謝する。とりわけ、今日まで私をささえ、ともに病と闘ってくれた妻にありがとうの一言を捧げたい。
人間が茫然自失の絶望の淵にあるとき、己を救ってくれる究極のものは、やはりあたたかい家族の愛情ではなかろうか。私は、あの絶望の地獄で、家族の愛の持つ強さと逞しさを知った。
」 (下 同書 p30~、p217~)
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あの世の一日は、この世の一年ということなのか??
““ 奈良、薬師寺の僧、景戒によって平安時代の初期に編纂された『日本霊異記』という仏教説話集がある。この中に臨死体験を思わせるような蘇生の話が十例ほど含まれており、全体の10%を占めるという。
『AZ第一六号 死の瞬間特集』(新人物往来社)に、そんなうちの一例を平易に解説した記事があったので引用する・・・
「聖徳太子の死後、その侍臣である屋栖野古の連(やすのこのむらじ)という公家が急死した。しかし、その死体からあまりよい香りがするため、推古天皇は埋葬を七日間延期するよう命じた。すると屋栖野古は三日後に息を吹き返し、死んでいる間の体験をつぎのように妻子に語ったのである。
ふと見ると、五色の雲の道が北のほうにのびており、まわりにはえもいわれぬ芳香が漂っている。道を行くと脇に黄金の山があって、麓では亡き聖徳太子が私を待っておられた。太子とともに黄金の山に登ると、山頂にひとりの僧がいた。
太子はこの僧に深々とお辞儀をされ、『この者は私の家臣ですが、八日後に災難に遭うので、それを避ける仙薬をいただきたい』と頼まれた。
すると僧は数珠を一つ私に飲ませ、三度念仏を唱えるように教えられた。
僧と別れると太子が、『すぐに帰りなさい』といわれるので、私はさっきの雲の道を引き返して来たのだが、驚いたことに、気がつくとこの通り生き返っていたのだ。
その八年後、屋栖野古は戦いに巻き込まれたが無事だった。あの世の一日はこの世の一年にあたるというから、八日後に災難に遭うという太子の言葉は正しかったわけである」
臨死体験との共通項を挙げるなら、「雲の道」「芳香」--幸福感、「黄金の山」--境界・光、「聖徳太子」--死者との出会い、といったところだろうか。ほかに臨死体験事例で"フラッシュ・フォワード"と呼ばれる未来予知の現象も見られる。
”” 『わたしの臨死体験記』 中原保 1993 文藝春秋 p99~
この引用したAZ誌解説記事ですが、原典『日本霊異記』解説書を見ますと、上巻第五の後半あたりになりますかにゃ。8日後の剣の難とは蘇我入鹿の乙巳の変に該当と。
あの世は365倍の栄光・衝撃・重大性に包まれている?? 霊として人は365倍の存在になってしまう?? 365倍のスピードで物事を理解しては、良心の痛み・咎めも365倍??
「正太 「そう、この世に生まれてくると、魂は、霊的に「目隠し」をされた状態、手探りの状態の中で修行することになるんだ。しかも肉体に宿って、物質世界の不自由な生活の中、その水圧の中、重圧の中で修行することになるんだね。だから「この世の修行は、あの世の修行の10倍ぐらいの密度がある」ということなんだ。「この世の10年はあの世の100年に相当する」と言われているんだよ」
勇二 「この世の10年はあの世の100年!」
正太 「あるいは、この世で1個よいことをすると、あの世で10個よいことをしたくらいの価値があるんだね。よいことをすることが大事なんだということが、はっきりとわかるあの世の世界じゃなくて、それがなかなかわかりづらいこの世でなした善行というのは、あの世で1が10になって返ってくるんだよ。魂が目隠しされた手探り状態の中で、天国的な生活を展開することには、あの世での修行の5倍10倍の値打ちがあるし、数十年間、この世で天国的な生活を送った人には、その行いがあの世では10倍にもなって返ってくるんだね。この世というのはそうした価値ある世界なんだ」
勇二 「10倍、そりゃすごいね」 ・・・・
“この世の修行はあの世の修行の10倍くらいの密度がある”
」 https://blog.goo.ne.jp/shinmi777/e/9033a814c6688afa94f42df763fa34e8
「 霊界では、グルグル巻きの状態の縄で首を縛られている人の姿も見ましたが、それはその人が自殺したのではなく、他人の首を絞めて殺したカルマを現しています。「私はこのようにして他人を殺めました」という罪がそこに映し出されているのです。
ボロ雑巾のような恰好をした男性も、生前はさぞりっぱな服を着こんで、亡くなる時も家族がそれなりの恰好をさせて見送ったことでしょう。でも、いくら肉体にそのような施しをしても、決して心の中までは隠し通すことはできません。
心が貧しく、汚れていれば、死後の身なりもそのように憐れな形で映し出されるのが霊界の法則です。
肉体世界で、他の人に気に入られようとして、いくら表面的に着飾ったり、言葉や態度でつくろってみても、あの世は心が百パーセント映し出される世界なので、死ねば必ず、現世では人には見せなかった汚れた部分がストレートに出てしまうのです。・・・・
とはいえ、ずっとそのままの姿でいるというわけではなく、大神殿の入口に辿り着くまでの時間の経過とともに、少しずつまっとうな人の姿に変化していきます。
それは、前述の審査役の人たちと同じように、心の浄化が進んだランクの高いスピリットたちが、死後間もない人たちにいろいろと諭すことによって、ほとんどの人たちが自らを省みることができるようになり、さらには善悪を認めることができるようになったからです。
あの世の一日はこの世の一年といわれるように、霊界での時間経過は肉体世界とは比べようのないほど速く進んでいて、心の状態がすぐに現象として現れます。
」 “あの世は心が百パーセント心が映し出される世界”
http://honchu.jp/selection/index.php?name=selection_kimura-2&num=1393
臨死 https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E8%87%A8%E6%AD%BB
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