性は生なりとは申しまするが、畢竟、たまWEB、今日こうしてあり得るのも、ご先祖様たちが、男女の営みにがんばって頂いたおかげで御座候。感謝感激。
性は生なり
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%80%A7%E3%81%AF%E7%94%9F%E3%81%AA%E3%82%8A&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
んで、日本人の遠い先祖、人種といったことになりますと、その基層には、ポリネシア、メラネシア等の南方系があるんでしょうと・・・・
飛鳥昭雄 列島回転説
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E6%98%AD%E9%9B%84++%E5%88%97%E5%B3%B6%E5%9B%9E%E8%BB%A2%E8%AA%AC&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/021a26ded1d3ba78c1c71e40824942f6
で、彼らの性習俗なんかみますと、女系なんですかね・・・・
「トロブリアント諸島民は,ポリネシア系とメラネシア系の混血であり社会構造は、母権・母系制で女性上位の社会である。子供の頃から男女はsexの真似事をして遊び、子供はSEXによってではなく女性が神様から授かるという考えをもつ。父親は自身の子供の親権はなく友人のような関係である。この島ではタロイモの収穫祭で未婚の女性ばかりが民族衣装を着て踊る。男性は檳榔樹のがくへんを乾かしたもので男根を覆い、女性はバナナの葉の繊維でつくった短い腰みのを着用する。そして、この島ではヤム芋の収穫祭の時期に狂気が吹き荒れる。それは女性達が男性を輪姦するという村の長から許された古くからの儀式である。女性が成人男性に対し行うものをヤウサと言い、少女が少年に対し行うものをカツヤウシと言う。実際に多いのは思春期の少女たちによるカツヤウシである。女性は獲物を狙うように低木地などで集団で男性を待ち伏せ、襲いかかる。襲う相手は必ず他の部族であり、観光人男性もこれに含まれる。女達が集団で男性を取り囲み、よってたかって身包みを剥がしたあと、露出した男の下腹部みんなで・・・・男性器を侮辱する言葉を発しながら、女たちが上に乗り・・・・輪姦され続ける。そしてついに性交が不可能な状態となると侮辱されながら解放されるという。」
http://tama5kake.tumblr.com/post/10694153662
"""・・・古代ペルーでは、祭りの日、一族男女が集まり、かなたの丘まで、まず女群が先発し、ついで男たちが駆け上って行く。かねて目をつけていた女をつかまえるのだ。捕獲された女はその場であらゆる格好の性交を許す。ニュージーランドのマオリ族は、体中に花を着飾った娘たちが、小舟をあやつって沖へ漕ぎ出し、そのあとから、男たちが「用意ドン」の合図で追って、好きなのを女獲る結婚風習があった。また、ヒンズー教の男女は、司祭の保管した神前の箱へ、娘たちも人妻も、めいめいの下着を入れる。それを男たちがつかみ出す。選び出された下着の持ち主は、たとえ妹でも、その夜の野外乱交の相手になるという。文化人類学者、マリノウスキーは、世界各地を調査旅行し数々の研究報告を著したが、そのうちの『未開人の性生活』には、トロブリアンド島の原住民の乱交風習を報告している。そこの男女は、真っ裸で群をなし、手に手を握りながら輪を縮めていく。だんだん押し合って男女とも汗みどろになる。そうして自然に一対ができる。また、同族の男女が、広場から散って「かくれんぼ」をし、見つけた者と見つけられた者が、性交する行事もある。ひどいのは、共同除草の日である。同族以外の男を見つけたら、女たちは、その男を取り囲んで「性器覆い」をはぎとり、次々にのしかかって男を輪姦してしまうのだ。そして男がくたくたになるまで、男の顔や全身へ彼女たちのホトをこすりつけ、尿を浴びせたりする。
・・・神話時代からはるか後、奈良時代になっても「歌垣」とか「嬥歌会(かがい 掛け合いの意味)」とか称し、男女が集まって謡い踊り、乱交する行事を万葉歌人たちが歌に残している・・・・京都の大原では節分の夜、氏神の社殿へ男女参篭し雑魚寝し、てんでに取り組む風習があった。・・・・私の家に近い東京の板橋では、毎年二月になると「田遊び」の神事というのが二ヶ所の神社で行われる。集まった群集の前で、男女がいろいろに性交の演技を見せ、田の神をなぐさめ、五穀豊穣を祈るもので、「無形文化財」に指定されている・・・・子供たちの遊びである「かくれんぼ」「押しくら饅頭」「鬼ごっこ」など・・・・野外でのおおっぴらな求婚風習のなごりなのだ・・・・「ちゃつぼにおわれてとっぴんしゃん」「ぬけたぁらどんどこしょ」「井戸の周りでお茶碗かいたのだぁれ」という個所は、はっきりセックスを表している。「おっとさんが呼んでも、おっかさんが呼んでも、行きっこなしよ」という歌詞や歌いながら、手のこぶしを人指し指でつついていく遊び方は、乱交を想起させ・・・・あの子がほしい、この子がほしいと奪い合う「花いちもんめ」「かんかん坊主くそ坊主」「かごめかごめ」なども同じような意味合いを持っている。
""" (『日本の神話』 高橋鉄(1907-71)河出書房 97 p132~)
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