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メイソンとモルモン

2012-06-28 06:34:46 | 教会の歴史 

以下、多少、修正しての、再掲です。


「。WEB・ - 2008/01/11 16:16  


マスター・メーソンは”親方”というんですね、親方、職人、徒弟の他30階位も上にあって、それぞれたくさんいて、上位の者が誰であるかは知らなくても、上位からの命令に服従だとか・・・
   
   フリーメイソン
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3  

1860年代後半に、メーソンのロッジ・支部が現ユタ州内に設立された。しかし1984年後半までロッジは教会員がメーソンに加入することを禁じた。1984年初め、スペンサー・W・キンボール管長は教会員のメーソンへの加入禁止を取り下げた。(ソルトレーク新聞記事など)・・・1934年ヒーバー・J・グラント管長の時、管長会メッセージとして副管長の筆になる、”教会は、フリーメーソンを初め、正しい目的を持った他の、どのような組織とも争ってはいない。モルモン教会員となるかもしれないメーソンの人たちのロッジでの活動を妨げたりしない…”という声明があった。

1840年代、イリノイ州グランド・ロッジは、ジョセフがメーソンの儀式を変え、モルモンの神権者にのみ与えるとして、さらに州内の他のロッジの会員総数を越えるほど、増加したこともあってか、モルモンのノーヴ・ロッジの認可取り消しへと動いた。教会はグランドロッジからの制裁を拒否、そしてついにはスミス兄弟(ジョセフとハイラム)の殺害に至ったと考えられた。

    http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%22Spencer+W.+Kimball+%22+++%22becoming+Freemasons%22&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=  

1844年10月と12月、イリノイ州、ワルソー町ロッジでLevi Williams, Thomas C. Sharp そして Jacob Davisはメーソンに入会、翌春までにみな階位が上がっていった。WilliamsとDavis はマスターメーソンになった。当時州検察官、州最高裁判事等の要職にメーソン会員がおり、この殺害事件の裁判の判事(元州最高裁判事)や弁護士、ワルソー町民兵の幾人かはメーソンだった。
   http://www.phoenixmasonry.org/freemasonry_and_mormonism.htm  

(彼らは、ジョセフとハイラム殺害事件での被告であったが、皆、無罪放免となったんでしたかぁぁ・・・)

ヤング管長は言った、”合衆国人民は我々の破滅・死を求め、完遂するためあらゆる手段を尽くした。彼らはメーソンの組織を通じてそれをやり遂げたのだ。ジョセフとハイラム・スミスはマスターメーソン・親方だったが、メーソンの手により或いはメーソンらからそそのかされ・扇動された者らにより殺された。ジョセフが助けを求める合図を示したまさにその時メーソン達に撃たれたのだ・・・”(ウィルフォード・ウッドラフ日記 1860年8月19日) 
    http://i4m.com/think/history/carthage-jail-smith.htm  


choi訳--part8  。WEB・ - 2008/01/11 16:59  

”フリーメーソンは、背教した・変節したエンダウメントである。ちょうど、様々に分派してる宗教組織が背教・変節してるように。”とジョセフ・スミスは語ったという…Benjamin F. Johnson ジョセフの友人
ジョセフはメーソンは神権が起源、しかし劣質化・堕落したと…Heber C. Kimball

   http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%22apostate+endowment%22&lr=  


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