より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

イエスは西暦33年、33年の生涯を終え・・・

2017-06-07 10:08:06 | 福音と教会

以下引用はNJさんブログ記事コメント欄から抜粋・・・


 「

どうもっす・・・ (たまWEB(漂流キング))
 
2017-06-05 17:13:36
 
星占い的には、4月6日は、白羊宮・牡羊座のうち、で彼らのモットーを表わせば、”I am", 偉大なる白羊宮のその自己を犠牲にすることで、最大の愛を体現、この上なく、フィットする感じなんでは・・・

白羊宮 我あり
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E7%99%BD%E7%BE%8A%E5%AE%AE%20%E6%88%91%E3%81%82%E3%82%8A

 

そんなこと言っても (あらんどろん)
 
2017-06-05 19:29:31
 
断言してる教会員もいますよ

日本では無知からクリスマスは、イエス・キリストの誕生日と誤解している人がいますが、クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日です。
 イエスキリストの誕生日は、4月6日です。
 ↓
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1065936131.html

 

承知、しかし Hideki とは? (NJ)
 
2017-06-05 21:52:10
 
上のURL、次のような断りが添えられています。

>このサイトは、教会とは関係ない個人の研究分かち合いサイトです。

私は Hideki に保守、直解主義に押し戻そうとする傾きを感じます。

 

Unknown (教会員R)
 
2017-06-05 22:50:34
 
最初に4月6日説を言い出したのは誰かわからないけれども、ジョセフスミスが言い出したものでもなさそうです。

例によってタルメージ効果で、説の持ち上げ過ぎが高じて、教会全体を都市伝説が汚染していったものと思われます。 

 

そういえば (NJ)
 
2017-06-05 23:12:37
 
なるほど、あり得ますね。同感です。

 

本当の誕生日は誰にもわからないと思いますが (ダイエット★継続中)
 
2017-06-06 09:12:17
 
インターネットで『イエスキリストの誕生日』と検索するといくつか興味深いページがヒットしました。
こちらの方は元LDS会員のようですが、現在は「4月16日」説を受け入れていらっしゃるようですね。
http://www.utopia-net.org/Japanese/0417jesus2.html
 

 

いい加減にしてほしいな~ (豚)
 
2017-06-06 10:03:01
 
>依然としてイエス・キリストの誕生日を紀元1年4月6日と思っている末日聖徒が多いことに驚いている。

おいおい、ちょっと待ってくださいよね。

2014年4月の大会でのべとなー長老の話の中にこうあります。

って言うまでもなく、教義と聖約の20章1節を読めば、教会の設立日=キリストの誕生日(降誕の日)って言うのが正式なモルモンの見解であるのは明白です。

救い主の贖罪によって,一人一人の行い と人格が改善されますように。今日は4月 6日です。わたしたちは啓示によって,こ の日が救い主がまさに降誕された正確な 日であることを知っています。4月6日は 末日聖徒イエス・キリスト教会が組織され た日でもあります(教義と聖約20:1;ハ ロルド・B・リー,“Strengthen the Stakes of Zion,” Ensign ,1973年7月号,2;スペ ンサー・W・キンボール,“Why Call Me Lord, Lord, and Do Not the Things Which I Say?” Ensign ,1975年5月号,4; スペンサー・W・キンボール,“Remarks and Dedication of the Fayette, New York, Buildings,” Ensign ,1980年5月号,54; Discourses of President Gordon B. Hinckley, Volume 1: 1995?1999〔 2005年〕, 409参照)。この特別な聖なる安息日に, キリスト・イエスがわたしたちの贖い主で あられると証します。

 

西暦元年誕生は苦しい (ダイエット★継続中)
 
2017-06-06 12:58:52
 
教義と聖約20章1節
『この終わりの時におけるキリストの教会の起こり。それは、わたしたちの主であり救い主であるイエス・キリストが肉体を取って来られてから千八百三十年であって、第四の月、四月と呼ばれる月の第六日に』
とありますね。

4月6日というのもそうですが、この部分に着目すると、イエス・キリストの誕生は西暦元年だと言ってるように受け止めるしかありません。LDS教会員は西暦元年誕生説も受け入れているということなのでしょうか?

イエスの誕生が西暦元年ではないことは現在ではかなり良く知られています。詳細は割愛しますが Wikipedia の「西暦」の項でもこのようにあります。
『ヘロデ大王在位中にイエスが誕生したことは明らかであり、ヘロデ大王の死は当時の文書などにより紀元前4年という説が有力視されているため、イエスは少なくとも紀元前4年には誕生していたと考えられている』

ですので、4月6日というのは可能性の一つに数えられるかも知れません(反証が無いため)が、西暦元年誕生説は数々の反論材料があり、これはかなり苦しい説だと言わざるを得ませんね。

ただ現役の教会幹部が公式な場で述べたとなると、LDS教会ではそれを信じているのだと理解するのが普通だと思うのですが。
 

 

預言者の言葉は最も信頼できる (豚)
 
2017-06-06 14:55:36
 
>ですので、4月6日というのは可能性の一つに数えられるかも知れません(反証が無いため)が、西暦元年誕生説は数々の反論材料があり、これはかなり苦しい説だと言わざるを得ませんね。


モルモン教は、14歳の少年ジョセフが神から啓示を受けたことに始まりますので、学術的な根拠より、「啓示」が優先され、「預言者の言葉が最も正しい」とされるのは当然の事でしょう。

一般のキリスト教会でも、科学的には認められない「処女受胎」が信仰の中で事実になっているのではないですか?

それに、キリストの復活(死者が生き返る)を信じていないキリスト教徒も少ないと思います。

学問と相いれないことでも、信じてしまうのが、信仰者と言うものじゃないでしょうか?


>ただ現役の教会幹部が公式な場で述べたとなると、LDS教会ではそれを信じているのだと理解するのが普通だと思うのですが。

このスレッドで、モルモンの会員と称する人で、紀元1年4月6日キリスト誕生説を信じていない人がるのは、私には驚きです。

 

他にも・・・ (豚)
 
2017-06-06 15:11:32
 
モルモン教会が、紀元1年4月6日をキリストの誕生日だと主張している資料は他にもあります。

下記はインスティチュートの新約聖書のテキスト22ページです。
末日聖徒の公式ホームページで閲覧できます
https://si.lds.org/bc/seminary/content/library/manuals/institute-student/new-testament-student-manual_jpn.pdf

 
(3-4)ルカ2:1-20 イエスは紀元前1年4月6日にベ ツレヘムでお生まれになった
キリストの誕生のとき,ヨセフとマリヤはベツレヘムに 住んではいなかった。彼らの住んでいたのはナザレという 町である(地図参照)。しかし預言が示すとおりに,周囲の 状況によって二人はベツレヘムでキリストの誕生を迎える ことを余儀なくされる(ミカ5:2参照)。 ジェームズ・E・タルメージ長老は,キリストの誕生日 についてのいろいろな学説を概説した後でそれを現代の啓 示と比較し,こう断言している。
「わたしたちは,イエス・キリストがユダヤのベツレヘ ムにおいて紀元前1年の4月6日にお生まれになったことを信 じる。 」(『キリスト・イエス』p.100)
このことについて,ハロルド・B・リー大管長はこう述 べている。
「1973年4月6日という日は,特に意義深い日である。そ れは,この日がこの神権時代における末日聖徒イエス・キ リスト教会の設立を記念する日であるということだけでな く,わたしたちの救い主であり,主であるイエス・キリス トの生誕を祝う日でもあるからである。 」(「シオンのステー クを固くせよ』『聖徒の道』1973年10月号,p.465)

紀元1年4月6日にキリストが生まれたかどうかは、知りませんが、少なくとも、モルモン教会の教義にはそのようにうたわれているのは事実です。
 

 

うぅぅんんと 月日はあれとして (たまWEB)
 
2017-06-06 15:59:17
 
紀元33年に、33歳くらいで亡くなったとすると、紀元前1年生まれかなぁぁ、

「回答日時:2006/01/31 22:09
 

キリストの死亡日については実は確定的なことがわかっていませんが、新約聖書の記述を見る限り、過越しの祭りの準備の日だということがわかっています。これは、春分の日の翌日で、しかも満月の日に設定されており、曜日を考えると、二つの可能性があります。一つが、No1の方の挙げた、AD30年、4月7日。もう一つがAD33年4月3日です。この二つで決着はついていませんが、現在、どちらかというとAD33年の説が優勢になりつつあるようです。というのは、ルカによる福音書には、キリストが処刑された日の、昼から3時ごろまで全地が暗くなったという記述があります。これが、地中海地方全体にみられた実在の天文現象であることが、古代文献の記述からわかってきたからです。これが起こったのがAD33年なのです。
また、蛇足ですが、ダニエル書の預言を正確に計算すると、キリストはAD32年以後も生きていることが暗示されるので、この点からもAD33年説が整合性があります。(もっとも、ダニエル書の件は、預言の神秘性を信じない人にはただのオカルトです。)
ただ、AD33年説をとると、キリストの死亡年齢や、宣教期間が、伝えられた期間より長くなってしまうので、そこの部分の整合性はわかっていません。いずれにせよ、決着はついていないというのが現状です。

苫小牧福音教会・・・」
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140414/p1

キリスト 十字架 ニサン
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%20%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6%20%E3%83%8B%E3%82%B5%E3%83%B3

 

山の神は4月6日生まれ (オムナイ)
 
2017-06-07 03:30:08
 
らくごしゃさん(記)
>6日に生んでイエスさまと同じになればいいなと考えたそうです。

何を隠そう我妻は4月6日生まれ。

当然のごとく教会内では誕生日に祝福される事が多いようです。
ただし彼女の夫を除いてはw

「誕生石のダイヤモンド。婚約、結婚、とうとう銀婚式でもいただけませんでしたね。」とか。

ダイヤモンド婚式までにはなんとかしようとは思いますが。。

https://www.fairmormon.org/answers/Jesus_Christ/Date_of_birth#BYU_Studies.2C_.22Dating_the_Birth_of_Christ.22

質問:1830年4月6日に教会の組織より1830年前にイエスが生まれたと、末日聖徒は信じていますか?

教会の会員と指導者は、この話題について様々な意見がありました。末日聖徒の礼拝に大きな影響を及ぼすことはありません。
・・・
イエス・キリストの末日聖徒教会は、キリストの誕生の正確な日に正式な立場をとっていません。
ーーーー
教会員Rさん(記)
>例によってタルメージ効果で、説の持ち上げ過ぎが高じて、教会全体を都市伝説が汚染していったものと思われます。 

こういった霊的な事柄以外のものが定説化するのは微笑ましく受け止められているぶんには良いのですが、学術的にも真に受けられると困り者ですね。

豚さん(記)
>モルモン教会が、紀元1年4月6日をキリストの誕生日だと主張している資料は他にもあります。

そのでの引用はAD(紀元後)元年ではなくBC(紀元前)1年です。

ダイエット★継続中さん(記)
>現在は「4月16日」説を受け入れていらっしゃるようですね。

あ、このヒストリーチャンネル私も見ました。
説得力ありました。
ただまぁベツレヘムの星は三賢者のくだりだから、誕生より数年あとの物語というのが定説なので。。往々にして学者さんは専門の分野に拘束されるのであれかなと。

たまWEBさん(記)
>紀元33年に、33歳くらいで亡くなったとすると、紀元前1年生まれかなぁぁ、

新約聖書なかで宣教にでたのが30歳というのに論拠がありそうなんですが、遠藤 周作さんのイエスの生涯のなかでヨハネ8章を引いて
宣教をしているイエスに向かって人が言った「まだ50歳にもなっていないあなたが・・」という部分から実際にはもっと歳とっていたかもとありました。

個人的にはそう思います。30歳というのは当時のユダヤ人の一人前の男を指す慣用句なのかも。

 

答えはモルモン書にあり (あらんどろん)
 
2017-06-07 05:12:19
 
さて救い主のお生まれになった日についていろいろな意見が出ていますが、ここで末日聖徒らしくモルモン書から理解を得ましょう。

第3ニーファイ8:5
さて、第三十四年一月四日に、全地でこれまでにまったく知られていないような大きな嵐が起こった。
同8:23
そして、光?の?まったく?見えない?状態?が??三日?間?続き、すべて?の?民?の?中?に?大きな?悲しみ?と?わめき?声?と?泣き声?が?絶えなかった。

この「光?の?まったく?見えない?状態?が??三日?間」というのは予言されていたキリストの死のしるしですね。これはイエスがゴルゴダの丘で十字架にかけられ、命を捨てられ復活されるまでの間、モルモン書の民の住まう地で起こりました。

モルモン書の記録の日付、第三十四年一月四日に着目してください。モルモン書の民は救い主の誕生のしるし、夜になっても全く暗くならない日が起こってから新しい暦を始めていたのです(第3ニーファイ2章8節)。その日から三十四年目、そして一月四日と言うことは・・・そう、イエス・キリストが十字架にかけられた日付の4日前こそが、お生まれになった日と言うことです。

モルモン書はニーファイが言うように「明瞭な言葉で」霊的な真理を教えてくれています。

イエスの復活は、イースターとして現在まで引き継がれ、今の暦で言うところの3月下旬から4月上旬に行われます。そこから考えると、4月6日とはあながち大外れではないでしょう。また福音の回復における様々な出来事は、過去の霊的な事象の記念であったり、将来の予表を示していることを考えると、末日聖徒イエス・キリスト教会の設立が単なる偶然で4月6日に行われたのではないことは言うに及びません。

・・・と言うことを私は改宗して間もなくモルモン書を読んでいて気づきました。その後、タルメージの「基督イエス」で教義と聖約20章よれば云々と書いてるのを知りましたが、モルモン書読めばはっきり分かるじゃんと思っていました。

4月6日とは日付の当てっこではないのです。この世のあらゆる事象が単なる偶然か、それとも全知全能の父なる神の計画によりこの世が作られる前から準備されていたことを受け入れるかと言う深遠な課題なのです。

・・・と言うことをかつての私は信じていましたねェ。で、今は・・・言いませんが(笑)
 

 

うぅぅんにゃるほぉぉお (たまWEB)
 
2017-06-07 08:12:08
 
第34年ということは、満年齢33ですかぁぁ、西暦33年に亡くなったのであれば紀元前1年生まれっすね。

ジョセフがイエスの生涯に関わる時節に言及してるのが教会歴史にもう一ヶ所ありましてね(dc20の他 1巻337ページ)、その記録は、1833年4月6日土曜日に総大会第3回目での感想を述べてるふうなところで、教義と聖約と比べると92と93章の間の時期になりますかぁ、
えぇぇと、
’人が永遠のいのちを得られるように救い主がご自身の命を犠牲にされてから1800年が経ちました’
といった文言があるんですよねぇぇ。

まぁ、少なくともジョセフの理解、霊感のうちには、西暦33年死亡というのはあったんだということに。まぁ、プラス4月6日というのも汲み取れますかぁぁ・・・

"The day was spent in a very agreeable manner, in giving and receiving knowledge which appertained to this last kingdom?it being just 1800 years since the Savior laid down His life that men might have everlasting life, and only three years since the Church had come out of the wilderness, preparatory for the last dispensation. The Saints had great reason to rejoice: they thought upon the time when this world came into existence, and the morning stars sang together, and all the sons of God shouted for joy; they thought of the time when Israel ate the "Passover," as wailing came up for the loss of the firstborn of Egypt; they felt like the shepherds who watched their flocks by night, when the angelic choir sweetly sang the electrifying strain, "Peace on earth, good will to man;" and the solemnities of eternity rested upon them. (DHC 1:337) "
 

Unknown (教会員R)
 
2017-06-07 08:13:12
 
ニーファイ新暦が先にできてから、ローマ教皇が西暦を決めたんですよね。

そもそもの一般的な西暦自体が当てっこで作られたものなので、別文化として編み出されたニーファイ新暦の日付とは整合性はないと思いますけど。 

 

よく見れば (たまWEB)
 
2017-06-07 08:35:31
 
この日(1833・4・6)は、ちょうど1800年、教会が組織されて3年が経過と読めますかぁぁ、やはりジョセフは西暦紀元前1年4月6日生まれという理解・霊感があったんでしょうねぇぇ・・・

’もう一ヶ所ありましてね’というのは受け売り、教会歴史読んでないので・・・

暦に関しては、いろんなのがあったようでユダヤ教宗派でも異なるとか、ローマに抵抗の意味合いでも、クムラン暦とか・・・失われたエノク暦とか・・・

教会員で自前の研究者では天文学博士号のジョン・プラット氏のHPが詳しいみたいだなぁぁ
http://www.johnpratt.com/index.html

 

あれ、待てよ (たまWEB)
 
2017-06-07 08:52:44
 
その1800年というのは亡くなってからであり、生年月日に関し言及しておらず、生涯が33年というのは、20章があってのことになりますかぁぁ・・・
ちなみにそのプラット氏、ユダヤ暦やエノク暦の復元比較等で紀元前1年4月6日支持というこっちゃ・・・
 

」     昔の「聖徒の道」  2017-06-05 (NJさん記事 コメント欄より)

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿