香港に拠点を置くフリーランスのジャーナリスト、ジャパンタイムズウィークリーの元編集者、島津洋一(Yoichi Shimatsu)氏の衝撃の暴露情報では、新型コロナウィルス原型の作成に最初に成功した人物は東大教授河岡義裕氏というこったな。
2011年にウィスコンシン・マディソン大学で上級研究員であった時の河岡氏の論文に、インフルエンザ・ウイルスにHIVタンパク質を挿入させることで、ウィルス粒子・ビリオン (virion 細胞外におけるウイルスの状態であり、完全な粒子構造を持ち、 感染性を有するウイルス粒子)を何十倍もの速度で増殖させることができ、その経過を論じてあるということですがな。
さらには島津氏の調査では、新型コロナウィルスを吹き付けられた数多くの大コウモリを沖縄経由で武漢近辺に持ち込ませ放ったということだ。裏で安倍政権につながるグループが指揮・暗躍してるらしいとのこと・・・
その英語サイトは
「
河岡氏については・・・
「2014年10月21日 4000万人を殺した1918年のインフルエンザウイルスを改造する狂気じみた研究
河岡義裕氏は、1918年に4000万人の命を奪ったインフルエンザ「スペインかぜ」ウイルスを改造した新型ウイルスの作成者として知られるウイルス学者です。なぜ「ヒトの免疫で対抗できない」と言われるほど危険なウイルスを、世界から批判を受けてまで作る必要があったのかが明かされています。・・・
」https://gigazine.net/news/20141021-1918-flu-re-creating/
「2014年7月4日 世界の科学者たちが反対表明!
しかしこのような研究に対し、周囲から疑問の声が上がった。万が一、作製された危険なインフルエンザウイルスが実験室から流出したとなれば、人間は対応する術を持たず、世界規模での惨事につながることが懸念されるためだ。今年のはじめに河岡教授が行ったプレゼンテーションを聞いた他の科学者たちは、あまりのリスクの高さに恐怖を覚えたという。「この研究は明らかに狂っています。何もかもが非常に危険だ」と語る
」https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201407_post_4398/
「東京大学の河岡義裕教授が、免疫システムを回避するインフルエンザ変異株開発、これは生物兵器。2014-07-05 阿部ブログ
・・・N1H1変異株の開発が行われたのは、米ウィスコンシン大学のインフルエンザ研究所(マディソン)。この研究所のバイオセーフティレベルは3。ウィスコンシン大学は、変異株が実験室から流出する恐れはないと主張しているが、この手の研究内容は簡単に流出する。今回の研究は、日米同盟の流れでのバイオ研究であり、戦争放棄を明言している日本では行えない研究だった。ウィルス研究は、典型的なデュアルユースなので、真の研究意図は秘匿し易い筈だが、今回は世界的な反響を巻き起こした。河岡さん、功名に走ったかな・・
」https://blog.goo.ne.jp/abe-blog/e/432e44961d083afdced194b7f8f60bfe
「1918年の「スペイン風邪」ウイルスを再現
その河岡氏は今回の新型では何と言ってるんか??
” 中国政府の国家衛生健康委員会の馬暁偉主任は26日の会見で、「ウイルスの感染力が増している傾向がある」と述べた。ただ、その根拠は示さなかった。また、「感染初期は症状が軽くて隠れた感染者が多くおり、防疫が難しい」とした。馬氏によると、潜伏期間は10日ほどで、最短で1日、最長14日間。感染源は特定されていないという
河岡義裕・東京大医科学研究所教授(ウイルス学)は「ウイルスがすでに人から人へと感染しやすいよう変異していると考えられる」。さらに、「症状が軽い患者は動き回ることができるので、それだけ他の人に広める機会は増えるだろう。感染を完全に防ぐのは不可能だ」と話す。
” https://www.asahi.com/articles/ASN1V73G5N1VULBJ00B.html
Yoichi Shimatsu 福島 https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=yoichi%20shimatsu%20%E7%A6%8F%E5%B3%B6
Yoichi Shimatsu サリン https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=yoichi%20shimatsu%20%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3
やっぱり生物兵器でしょうな!!
「1543年、種子島に流れ着いたポルトガル人と共に火縄銃がやってきます。そこから1年後には、種子島で国産の火縄銃が作られました。これはものすごい事です。知識も何もなかった所から、なぜ最新技術であった火縄銃をあっという間にコピーする事が出来たのか、それは元々砂鉄が多くとれた種子島では下地となる技術があり、さらにそこに刀鍛冶・八板金兵衛がいました。知らない技術であったため、特にネジという仕組みに気が付くのは大変だったといわれていますが、それ以外は刀鍛冶の技術力を持って一気にコピーしていきました。キーテクノロジーはネジとバネです。ネジの仕組みを知らなかったためネジには手間取ったが、しかしバネに苦労したという記録は残っていません。これは当時の刀鍛冶のスキルがいかにレベルが高い物であったかを証明するものです。金属に強度と柔軟性を持たせるという技術はとても高度なものですが、刀鍛冶であった金兵衛はそれがたやすくできました。刀鍛冶の技術力がすでにバネ程度は余裕で作れるレベルであった事を示しています。
日本中に拡がる種子島
さらに種子島は日本中に伝えられ、各地で量産されていきます。これも当時の日本に同レベルの刀鍛冶が沢山いた事を証明するものです。日本全国に高水準の刀鍛冶・金属加工の技術者が沢山いた事が火縄銃を量産できた最大の理由です。もちろん時代背景もあり、当時がたまたま戦国時代であり、各地の大名らから多くの火縄銃が求められた事も技術が発展していった大きな理由になります。室町幕府をのちに倒すことになる織田信長はその代表格です。たくさんの鉄砲を集めてのぞんだ武田勝頼との長篠の戦いでは3000丁とも伝えられる鉄砲を戦場で使用し、最強騎馬軍団を倒したといわれています。それまでの戦いの主力であった騎馬隊から完全に鉄砲の時代へと変化しました。のちの関ケ原の戦いでも島津を始め主役は鉄砲隊になっていきます。そんな事が実現できた背景には、日本中に優秀な刀鍛冶がおり、その技術力がすでに火縄銃を創り出せるレベルにあったという事が大きな要因です。
」https://kandamasayoshi.com/2020/02/25/%E3%80%90%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%80%91%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83%E3%82%92%E9%87%8F%E7%94%A3%E3%81%A7/