6時15分に犬の散歩に出掛ける。今日は土曜日。
幼稚園、小学校のそばを通るコースを歩く。空はよく晴れている。東の空は明るくなっている。西の水平線際がやや橙色ぽくなっていた。
幼稚園の前のダイコンは葉がよく茂り、白いダイコンが地面から10数cm程、肩を出していた。小学校の前のキャベツも一つ抱えるがやっとという程大きくなっていた。
現在の1週間の散歩コースの内、日、火、木、土の4日は住宅地を歩き、月、金は住宅地と田園地帯が半々といったところ、水曜日は田園地帯が殆どで、こういうコース取りをしなければならないのは我が家が住宅地の中にあるのだから仕方がないことなのだろう。
犬はあちこち嗅ぎ回る。嗅いで他者を確認しているのだ。これを他に依存しているとは思わない。それは関わりを求めての行動なのだ。結果は問わない。生き物はその可能性を求めることに意義がある。
7時10分前に帰着。
昨夕の散歩について
5時15分前に犬の散歩に出掛ける。
黒松並木の根元に犬の糞が放置してあった。いやだなあと思ったのは我が家の前の松の木の根元だからだ。また、拾うしかないのか。所が西に向かって歩いていると、他にも2ヶ所、糞があった。2,3本おきに。
昔、パリの歩道は犬の糞だらけという話を聞いたことがある。犬の糞を避けようとすると別の糞を踏んでしまうという大袈裟な表現だった。実際はどうだったのか知らないが、観光客が減少するかもしれないということで規制が厳しくなったらしい。
単純な条例違反については単純な方法で検知できる。1週間位、犬を認識したら作動するようにセンサーを備えた監視カメラで撮影すればよい。或は監視員を巡回させる。そして、その費用は違反者に払わせればよい。事前にそのシステムを周知徹底させておく。また、猶予期間もおく。その上でやるのなら覚悟もあろう。こんなことを考えないといけない現実は悲しい。しかし、現実に合った対応を取ることが必要なのではないか。
線路の警報器の音とヂーゼルの線路を走る音が明確に聞こえて来た。すぐそこからの音のような感覚である。実際には直線で600m以上離れている。遠くのお寺の鐘がはっきり聞こえることがある。直近のお寺でも1kmは離れている。
今朝の散歩の時、川沿いの道を西に向かって歩いていたが、国道の手前、踏切の手前の位置だったが、船の汽笛が眼前で鳴っているように聞こえた。この田や川のある田園風景が映画のセットのように思えた。或は汽笛が映画の効果音のように。
犬は久し振りに浜に下りて北に向かった。ボラが打ち上げられていて寄り付くハエを追い払ってカラスが2羽、突っついていた。
突堤の真ん中あたりまで行って引き返す。
5時20分に帰着。