犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

木枯らし

2013-11-19 07:53:35 | 日記


 7時15分前に犬の散歩に出掛ける。

 新聞を取りに外に出た時、テラスの上の光と影の明瞭なのに驚く。上を見上げると丸い月が出て煌々と輝いていた。その左にオリオン座が位置を占めている。四囲はいかにもこれから湧き立つと思わせる白い雲が月に照らされて光っていた。太陽の反射の反射で光っているのだ。
 散歩に出掛ける時は空は雲におおわれていて、特に南は雲が何千条もの糸のように垂れ下がっていた。あの下は屹度雨が降っているのだろう。

 散歩前に自分が朝食をとって、次が犬なのだが、北の玄関で食べさせることが習わしになっている。犬を連れて行く時、渡り廊下で犬がくしゃんくしゃんとはくしょんをした。風邪を引いたのか。それともこの下から犬猫の忌避剤が香って来たのだろうか。ただ、この犬は忌避剤をものともしないのだが。
 忌避剤といえば、猫専用の物もあることを知った。それはそうだろう。普通、犬は人の敷地に入ったりしないだろう。猫が入るのだ。入るのは仕方がない。しかし、落し物がいつもであればあまりいい顔は出来ない。
 歩いている時、先程のクシャンクシャンを思い出して、クシャン朝ペルシャという歴史用語が口を衝いて出た。それを初めて知ったのは高校2年の世界史の時間だったろう。意味のつながりがなく音だけで連想してしまったのだ。しかし、若い時の記憶というのは長く続くものだ。ある音楽家が20代、30代の時に受けたものを元に創作をしていると言っていた。そうなのだ。若い時は苦労を買ってでもせよと昔から言われている。先人は分かっていたし、継承されているのだ。

 木枯らしが吹き電線をビュービューと鳴らしていた。川の中央あたりに川の中の流れが見えた。他の所は小波、漣でいぶし銀のように光っているのに、その約1m幅の流れはてかてかと光を反射していた。風の当たり方が違うのだろうか。水温が違うのだろうか。昨朝もそれが見えた。

 丘陵の頂越えのコースを歩く。頂を越えた所で車のヘッドライトで照らされた雨が見えた。降り始めだった。南で降っていた雨がこちらに来たのか。国道を渡るかどうか思案したが、渡った判断が間違っていたのか。ここは家から一番遠い地点になる。雨でずぶ濡れになったことが思い出され、即決で行動に移った。少し戻って市の施設に向かった。そこのポーチで一休みしよう。しかし、一休みになる前に雨はあがった。通り雨だった。それで市の施設の敷地を通って駅に向かった。いつもと逆である。ドングリが何百個も地面に落ちていた。駅の陸橋を渡って国道に出て帰路につく。

 8時前に帰着。


 昨夕の散歩について

 4時半に犬の散歩に出掛ける。リードは横浜の親戚が持ってくれた。

 西風が強い。ふざけているのではなく前に進むにスローモーションのようになる。寒風が衣類を通して肌に突き刺さるように冷たい。私は3枚しか着ていない。一枚一枚が風通しの良い衣類である。寒くはあるがそのうち慣れるだろう。
 歩く人を見るとダウンジャケットを着用してのんびりと歩いている人もいる。マフラーの人も見た。誰もかれも防寒対策を講じているようだ。犬に衣服を着せている人もある。
 半袖の人がいた。これぞ我が同士と思わなくもなかったが、その人はジョガーだった。

 電線で切り裂かれた風がビュウビュウ鳴り続ける。11月も中旬を過ぎ、もう冬といってよいだろう。

 公園で柴犬を連れた人と出会う。1日3回、せがまれるようにして長時間の散歩に出掛けているそうだ。この柴犬は幸せなのだろうか。きっとそうだろう。

 海に行く。これまでにないほどの高波が押し寄せていた。サーファーの黒い姿が波間に見える。

 この犬は寒いのが好きではないのではないかと思わせることもある。座椅子の上でちゃっかり丸くなっていたり、こっそり布団の上にいたりする。直後だったら触れると犬の体温が残っているし、時間がたっていても砂などが上がっているので分かるのだ。
 散歩中は寒かろうが暑かろうがバンバン元気である。夏より元気そうなところからすると、やはり暑さよりは寒さの方が好きなのだろう。

 5時に帰着。

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