1月6日(金)の朝の散歩について。
7時半に犬の散歩に出掛ける。今日は金曜日。
大型の商業施設群の手前で左折して大きな川沿いの道を下るコースを歩く。雲は多いが晴れ。
南門を出て最初の角の家の庭の角にロウバイの蕾がふくらんでいた。
何時も朝から早くパンを焼いているパン屋さんが閉まっていた。
8時10分に帰着。
昨夕の散歩について
3時半に犬の散歩に出掛ける。
少し気温が下がってきた。参道の黒松並木に括り付けられていた神社の幟は5本毎にまとめられて横に倒してあった。後で軽トラで回収していくのだろう。
正月も終わったということだ。次はどんど焼きに節分だろう。
犬はクリスマスが終わろうが大晦日が終わろうが正月が終わろうが関係がなく、ただ冬が終わるのが嫌なだけだろう。その最後を除けば私も犬とさほど違わない。
散歩中、カメラ代わりにしている携帯に電話が掛かってきた。相手は私が犬を相手に苦戦をしているのを雰囲気から察したらしく犬の散歩中?と尋ねてきた。
私は息も絶え絶えにそうだと答えた。
犬の散歩はつくづく過程のみに意味があるのだと知る。どこまで行ったとか往復してきたとかはあまり意味がないのだ。歩行中に何かに当たるとラッキーと感じるだけなのだ。そのラッキーを求めての旅なのだ。昔からそういうことは分かっていた。いろはカルタの最初の言葉は犬も歩けば棒に当たるだった。
私の体力が落ちてきたことも犬の散歩が漫然としてきたことと関係があろう。
こうせねば、ああせねばという義務感、一貫性への興味が失せたのだ。精神も肉体もたるむ所までたるんでしまっているのだ。
散歩から家に帰るとほっとする。
4時5分前に帰着。
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