「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「お見舞い」

2024年03月19日 | 健康イチバン!

                                           
              山間の静かな集落、住環境と生活環境の矛盾に悩まされている。

我が家から車で60kmばかり走った山間の静かな集落にある、娘の嫁ぎ先を久しぶりに訪れた。お舅さんの病気見舞いである。
娘夫婦は早くから我が家から10分のところに居を構え、孫が三人いるわけで、遠かろうが近かろうが関係なし普段から行き来しているが、私たちにとっては、あの曲がりくねった山道の長距離運転は何かの必要がないと、なかなか思い腰が上がらない。

今日は、お舅さんが心臓疾患でペースメーカーを装着して退院された話を聞いてお見舞いに訪れた。
小一時間話をする中でもほとんどがお互いの病気の話。イヤだねーと思いながらも次から次へ、痛いの痒いの入院中の待遇がどうの、病院食がどうの、コロナで面談を認めるところと一切認めないところがあって・・・などと話は尽きない。
本当は、夢も希望も満載の孫三兄弟の話で盛り上がるはずが、病気の話で盛り上がってしまった(苦笑)

私より6歳年上の米寿。幸い病気の峠は越えたということで、頭脳も言葉も昔と変わらぬお元気さで一安心。すると、すぐ我が身と比較して、私もあの年になったとき、お舅さんのように元気に笑っていられるじゃろうか、などと思ってしまう。

家の玄関を出れば広大な農地が広がる。向こうには一面黄色を競う菜の花畑が広がる。山高く空高く空気は澄み、鳥は鳴き花は咲き乱れる。そんな住環境はまさに人間にとって楽園の感も確かにある。しかし、本当の生活環境としても楽園だろうか。そうではないようだ。
年々歳々空き家は増え人口は減る。商店など成り立たず、買い物は遠く晴れた隣町までクルマで出かけるしかない。生活弱者と呼ばれるのを甘んじて受け入れるしかない集落の現況である。

住環境と生活環境の、あまりにもかけ離れた現実を目にするとき、かつて地方の元気を支えた農業や林業が忘れられようとしている。
ちょっと違うんでないかな~。国土の大半は山また山に囲まれて耕作面積は極めて少ない。それに輪をかけて、耕作する労力は年老いて干上がる寸前。なんとかしないとまさに、熊・猿・イノシシに蹂躙されてしまいそう。飢えを凌ぐために、大量の食料を有するどこかの国に勝手放題に乗っ取られのではないか。今の中山間地を見ていたら、そんな「おとろしさ」を感じてしまう。

これも、お見舞いの話の中で深刻に盛り上がったテーマの一つなのである。

コメント
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