「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「夕日、しばしの安らぎ」

2019年11月09日 | 宴会・会食

                                   
                                                   2019.11.8  17:00  燃えて海面に輝く夕陽

世の中には、様々な自然現象を広告塔にして、観光客誘致に力を入れる観光スポットが数多くある。
そんな中の一つに、絶好の夕日を売りにした露天風呂を吹聴するお宿がある。そんなお宿で開かれた旧知の友と語り合う小宴会に参加した。

我が家を出て、瀬戸内海沿いに下関方面に向かって車を走らせること1時間20分。下松市中心部手前を海側に曲がる。日立造船笠戸島工場を有する「笠戸島」。
古くからあった国民宿者を全面的に改装した、宝の島 笠戸島「大城」(OOJOU)。
「瀬戸内海の島々と美しい夕日」「四季の味わいと名物笠戸ひらめと笠戸とらふぐ」などのうたい文句通り、しばしの間夕日と戯れる。

本来なら露天風呂の湯船に浸かり、心地よい晩秋の風を受け流して夕日を眺めるはずであった。しかしそれでは絶好のシャッターチャンスを逃すことになる。
ここは一番お風呂を後回しにして、部屋のベランダに椅子を持ち出し、この目に焼き付けるとともにカメラに残そうとがんばった。
何枚かシャッターを切ったうちのやっとこさの1枚。少し雲に邪魔された部分は認めるが、先ず先ずの光景をご覧じろ。

宴会の方は、言わずもがな。久しぶりのお泊まり宴会という気楽さもあって、呑んでしゃべって。
日にちに制限のある別件作業に追われる窮屈さの中ではあったが、しばしの安らぎを与えられる有り難い時間となった。
ホテルの中のカラオケルーム貸し切りなど、引き受け幹事の顔役ぶりがうかがえるおもてなし。ありがたし。

たまにはこんなのもありかな。ほぼ1日を棒に振った分「明日からまた気合いを入れて」との、ほどよい気分転換をプレゼントされた。

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「孫に引かれて芸術鑑賞」

2019年11月04日 | 季節の移ろい・出来事

     

この季節は、「秋の〇〇展」とか「秋を楽しむ」といったイベント案内が舞い込む。
可能な限り出掛けていって、来場者名簿に住所氏名を書き残して来る。そうすることが、主催者を応援することになるし、一つの励みになるであろうと思っている。
もちろん、自分には出来ない分野の芸術を、少しでも判ろうと努力する気持ちは失ってはいない。

三連休で里帰りした姫孫に、じいちゃんの趣味を押しつける気持ちなどさらさらないが、紙さえあれば色鉛筆やボールペンで絵を描きたがる感性を、少しでも助長
出来ればジジの本望である。あっちこっち連れて歩いた。
先ずは市民文化会館で開かれている「秋の盆栽展」。手のひらサイズの小さな鉢に植えられた高さ15cmほどの盆栽でも15年20年たっているという。
こちらは、いくら何でも姫孫には興味なし。「次に行こう」と手を引っ張るの少し待たせて、作者の努力の経緯とうんちくを聴いてあげる。

次は、市内で最も大きなイベント会場の一角でやっているパステル画展へ。
さすがこちらには、6歳の姫孫も相応の興味を示すパステル画がずらり。シメシメ、とジジの知る限りの説明と解説を分かりやすく付け加える。
そしてメインは、画展の鑑賞者に「アルバ」という南米楽器の生演奏を提供するコラボレーション。

ハープという聞き慣れた楽器に似た、大きさはハープの約半分ほどで弦は32本。まるでピアノの音を聞くほどに迫力のある楽器に初めての遭遇。
奏者も素敵な中年女性で「おぼろ月夜」「コンドルは飛んでいく」「コーヒールンバ」などの演奏を目の前で堪能。
犬も歩けば棒に当たるではないが、無精も歩けば素敵な芸術に当たる式で、孫姫共々素敵な文化の日を過ごした。

アルバ奏者の女性は、さるところで初めて出会ったこの楽器に魅了され、自分が始めて17年になるとのことであった。
実際にペルーなどで現地演奏も聴いて参考にしたという。その演奏技術もさることながら、「これは」と感じたことに徹底して興味を示し、学び、努力を重ねて人前で演奏できる腕前になるプロセスを思うと、そんなまねをしてこなかった自分の生き方とのギャップを感じる、そんな芸術の秋でもある。

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「この笑顔を見るために」

2019年11月02日 | 晴耕雨読

            

久しぶりにゆっくり里帰りした姫孫二人。何は置いても先ずは芋掘りをさせねば、と待ち構えていた。本人達もその気になり切っていた。
芋掘りもやはり時期というものがあって、あまりにも時期を逸すると地中で良からぬ虫に襲われる。何事にも一番敵した良い時期はある。
早速掘り始めると、あるわあるわ。大ぶりな坂田の金時が次々と顔を出す。可愛らしい手を泥だらけにしながら、芋の姿を探していく。

     

芋が姿を見せると、それはそれは大きな歓声を上げ、はち切れんばかりの笑顔を見せる。
この歓声。あふれる笑顔。これを見るため5ヶ月前の暑いときに、腰をかばいながら耕し、畝を作り、苗を買って植えたのである。
日照り続きの夏は何度も何度も水やりをして、まさに育て上げた少しばかりのサツマイモ。

6歳のお姉ちゃんが掘り出すのに苦労した、本人の顔より大きいのは800gもあった。
2歳の妹が彫り上げたのは、本人の顔と似たような丸さで、こちらは500gであった。本当はこれほど大ぶりでなくてもいいのだが。
毎年のことで変わり映えのしない話ではあるが、大きな歓声を上げて喜ぶように肥やしをやって、同じように育てても、収穫猟は毎年異なる。
素人なりの手抜きなしだが、天候や雨量、日照時間、など手の届かない自然界の思惑によるのだから、ただ黙って受け入れるしかない。

夕方にはラグビーワールドカップ日本大会の優勝戦が行われた。日本チームがベスト4をかけて戦って敗れた南アフリカの優勝で終わった。
監督やコーチが必死になって育て上げたチームでも、最後に勝ち残るのはたったの1チームだけ。非情と言えば非情。当たり前と言えば当たり前。
みんなそれぞれに工夫して、汗と泥にまみれて努力しているのに、結果とはこういうことだ。
何を今さら・・・・・・ではあるが、自然界の厳しさと、勝負の世界の厳しさには共通するものがあるようだ。

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「世紀の損失」

2019年11月01日 | ニュース・世相

      
         この手で撮った、在りし日の沖縄首里城正殿(2013、2月)

11月1日。ピンの揃い踏みの日。
いいことの多い月にしたいと、月初めの恒例行事ではあるが、神棚のサカキを替えお神酒も塩も新しく捧げた。柏手打って祈りも捧げた。
そんな日にもかかわらず、降って沸いたような世紀の損失が目の前に。沖縄のシンボルでもある首里城全焼のニュースでこの月がスタートした。

かつては新婚旅行のメッカであり、観光客が殺到する賑わいを見せた「うちなー」沖縄。
特にこの首里城は、沖縄を訪れた全ての人々が、観賞し、記念写真を撮り、城内を見学して沖縄の歴史に浸る場所でもある。

それ以上に、沖縄県民にとっての心の拠り所であり、沖縄の人の象徴でもあった朱色に染められた首里城。
何がどうなってこんなことになったのか。実に惜しいことをしたものである。うちなーの人々の落胆が伝わってくるようだ。
初めて訪れたのは、新婚旅行ではなく会社を卒業して10年以上立ってからの完全観光目的であった。
たとえ観光とはいえ、その強烈な印象と、沖縄復興の証としての艶やかさは、今もこの目に焼き付いている。

あれ以来6年以上たっているので、今一度行ってみようか、などと話が持ち上がりかけたところだけに、残念な思いが強い。
ひめゆりの塔、摩文仁の丘、戦没者の碑。沖縄には今も胸を締め付けられるいくつかの悲劇の跡が残っている。
基地問題も、大きな負担を沖縄に押しつけて、本土の各地はその負担を分け合おうとはしない現実。なんとか打開する日がくるといいのに。

さて今日で、今年の残りも2ヶ月しかなくなった。
終わりよければ全てよし!と言われるような2ヶ月を過ごしたいものだ。本格的寒さに備えて身体を動かすことで健康保持。過食を抑え、忘年会もほどほどに。
うまくいくかな~。これこそ他力本願ではなく、ひたすら自力本願なのであろう。

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