「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「秋ふたつ・・・」

2013年10月07日 | 季節の移ろい・出来事

    

          “ 初恋の 少女少年 金木犀 ”          甲田夏湖 

季節の移ろいに合わせた香りは色々あるが、深まりゆく秋を象徴するのにこれ以上の香りはない。
それが金木犀という、あの金色をした小さな花であろう。

茂った葉の陰にひっそりと咲き始める。よく見ないとどれが花かわかりにくいほど小さいのに、その香りは天下一品。遠くからでもその存在を感じさせてくれる。

秋深しを鼻で感じさせる金木犀。その芳香を思いっきり振りまき、目に見えないところで人々の関心を惹きつける。
そのあとであの小さな花が集団をなして姿を表わし、木全体が金色に包まれる。今度は人の目を奪う。

咲き始めは先ず匂いで関心を集め、次いで花のあでやかさで注目を集める。なかなかやり手の花である。
幼くして芳香を放ち、時を経てその姿を世にアピールする。
そのような、ある意味理想とする生き方のように思える金木犀に、自らの来し方を重ねてみる。
遠く及ばないことを改めて知る。ならばどうする?どうもしない!このままでいい!と開き直る。

そうはいっても何か自分との共通点はないか探っていると花言葉を見つけた。
「謙遜」 「真実」 「陶酔」 「初恋」 とある。
オー、当たっている!という部分もある。はずれ!の部分もある。

そこで持ち合わせの薄いセンスで金木犀を一句。
          “ 長旅の 一里塚なる 金木犀 ”   お粗末!!
秋二つ、ここにも小さい秋を見つけた。

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「秋ひとつ・・・」

2013年10月05日 | 季節の移ろい・出来事

            

天高し・・・ まさに澄み切った秋の空に、どこからともなくやってくる薄い雲。
箒で掃いたような・・・と何方かがおっしゃったが、思わず大きな深ーい息をしてみたくなる、青い空と白い雲のコラボレーション。
それぞれの季節にそれぞれの良さを見せてくれる日本の四季。よくぞ日本に生まれけり・・・

そんな素敵な秋空のもと、「私のふくろう」展が開催されるのを知って、早速訪れてみた。
御年86歳を迎えたこの方は、1960年ごろというから50年以上前に、初めて訪れたヨーロッパで手に取った小物がふくろうだった。その時以来旅行先などでふくろうグッズを見つけては集めてきたのだとおっしゃる。

 

「だんだん数が増えていくうちに、私のふくろう好きを知るお友達から、お土産としてもらったり、譲り受けたりした物をすべて大切に保管してきた。いつしか、ふくろうは自分のお守りと思うようになり、身の周りはふくろうに囲まれるようになった。いわば長年にわたるコレクションをお披露目することになったのよ」と笑顔で心境を語られた。

かつては、開業医としてご夫妻で地域医療を支えてこられた実績のある「女先生」である。
もちろん会場には、一足先に旅立たれたご主人の遺影が、豊富な種類のふくろうに囲まれて飾ってある。
個人的にも「前、宇野千代顕彰会会長」さんとして親しくして頂いている。

単にふくろうコレクション展にとどまらず、その交友の広さ、ハイレベルなお付き合いから、著名な作者による書や墨絵など、見るべきものがあるたくさんあって、芸術の秋にふさわしい、一つの秋を見つけた思いである。

そして、何事も長く続けていくことの大切さを改めて思い知る。
「継続は力なり」手垢にまみれた言葉ではあるが、その中味の大切さや言わんとするところは、いつまでたっても手垢にまみれることはないのだろう。
振り返って、自分にそれほどの執着心を持って継続してきたものがあるかな? ン?ないかな?

同じふくろうでも、これほどの数が揃い、表情がそれぞれ異なると、見るべきものがある。
ご本人は「さてどのくらいあるのでしょう、数えたことないの」とおっしゃるが、300点?400点?

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「4歳のデビュー!!」

2013年10月02日 | 家族・孫話

     

娘が嫁いだ先の実家には、伝統的なお神楽集団がある。各地の公演に招かれるほどの実力を誇っている。
孫三兄弟も、夏休みの納涼祭や秋の大祭には、毎年実家におよばれ。
散々大騒ぎした挙句、優雅なお神楽見物に夜も更けるのを忘れて楽しみながら成長してきた。

そんな環境の中、お神楽に一番興味を持ったのは、兄ちゃんでもなく、好奇心の人一倍旺盛な二男でもない。まだ2歳だった三男坊の悠雅君が見事にお神楽にはまった。
母親が、地元集団のお神楽ビデオを買って、家で繰り返し見せたのも、大きくはまるきっかけとなった。
ビデオを見ながら、お囃子の太鼓や笛に合わせて舞うと言ったら舞う。座敷狭しと舞っていた。

3歳になったころから太鼓が欲しいと言い始めた。「太鼓と言われてもね~」てな調子で、大きな孟宗竹を叩かせることでその場をしのぎ、ごまかしてきた。
そのごまかしもとうとう効かなくなった。「じいちゃん、太鼓が欲しい。買ってよ・・・」と迫る。

ついに重い腰を上げて、ここから50kmばかり走った山あいにある「和太鼓製作所」を訪ねてみた。
なんと、直径9寸という決して大きくないものでも、片手をはるかに超えるン万円。それはそれは、立派なケヤキの丸太をくりぬいた本格仕上げの逸品。音もいい、金属音のような響きがあるのがよくわかる。
そうはいってもねー、いつ飽きるかわからない子供のおもちゃ。いくらなんでも手がない。手の代わりに足が出る。ついでにあごも冷や汗も出る。途中にある道の駅で昼飯食って早々に引き上げる、手ぶらのドライブとなった。

「でもな~、あれほど熱心に欲しがってるのに・・・」「買ってやったらどんな顔して喜ぶのだろう・・・」
改めてインターネットで調査開始。あるはあるは。それこそピンからキリまで。値段も色々。
ない袖は振らぬ主義のジジとババ。太鼓の大きさも値段もお手頃を厳選。ついに清水の舞台から飛び降りた。

幼稚園から帰るや、段ボールの箱を開ける手間を惜しむほどに満面の笑みで手伝ってくれる。
「この笑顔を見たくて・・・」。 いざ太鼓が出てきて、真新しいバチを手にするとちょっと照れとはにかみが顔に出る。
最初のひとバチ、ドーン!あとはもう叩く叩く。両手首を器用にしならせて、お神楽よろしく横打ちも縦打ちも。 

  
                             

徐々に慣れてくると「ヤマタのおろちが出てくるところ」ドドドドドンドン。「次は大江山」「こんどは紅葉狩り」と、生意気にお神楽演目の代表格を叩き分けて聞かせる。
こちらの耳にはどれも同じに聞こえるが、本人至って大真面目。「ここが違うんよ・・・」などと講釈を。
そして「この太鼓は何の太鼓?」と尋ねる。「お神楽の太鼓よ」と説明すると、神社やお祭りの太鼓ではないことに安心した様子。何故か、自分が叩くのはお神楽用の太鼓でなければいけないこだわりがあるような。

バチを両手で合わせ高く上げ、うやうやしく低頭してからでないと叩き始めることはない。
見よう見まねの太鼓師デビュー。さていつまで続けてくれるやら。新たな応援活動の始まり始まり!!

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