「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「何てったって ・ ・年」

2009年10月16日 | 思い出話
今年もやってきた10月16日。
格別なにがどう…ということもないような、でも何となく気持ちが改まるようなこの日ではある。

昨年までは、病気入院中だとはいえ、母を交えた3人家族で迎えたこの日。
今年は完全に二人っきりになった。なんか違う。なにが違う?よく分からないが、何かどこかちょっと違う。

母がいなくなってお互い、頼るも頼られるも、守るも守られるも相手はたった一人しかいなくなった…と感じているからなのだろうか。

史上初の英語辞典を編纂したサミュエル・ジョンソン氏によると、「ハネムーン」の定義は、“優しさと喜び以外には何もない結婚最初の1ヶ月”ということらしい。あれから38年の歩み。

長かったか…?と聞かれれば、長かったと答えるのだろう。短かったか…?と聞かれれば、あっという間だったような気がする、と答えるであろう。
そのように、極めて曖昧な気持ちでありながら、どうにも表現しにくい感謝の気持ちが湧き上がってくるのも確かなのである。

但し、それを言葉や態度で表現しなさい…と言われると、ウーン…と引いてしまう。「わかっとるじゃやろ…」と。
でもね、これから先の方がこれまでより短いこともよーく分かっている。
手遅れにならないうちに、少し方向転換してみようか…。 すでに手遅れなのかも…。

一体なにをどうしたらいいのか…途方に暮れる。そうか、道に迷ったら元の所まで後戻りだ。
そして、ただひたすら健康に留意し、大きな心配をかけないように、日々呑気に暮らすことか…と開き直ろう。 これからもひとつよろしゅう…たのんますよ。
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「出番待ち」

2009年10月15日 | つれづれ噺
漁船を繋ぎ止めるコンクリートの岸壁に、一見無造作に、でも何となく人間の手で整然と並べられている感じもするタコツボ。

よく見るときれいに磨き上げられている。蛎殻やフジツボなどがそぎ落とされ、まるでスッキリ爽やか、ひげ剃り後の紳士のお肌。あるいはキリッと締まったお出かけの装いにも見える。

「こりゃーどうしたん、えらい綺麗にしてあるねー」「こりゃなにーね、この20日までタコは禁漁じゃから、21日から漬けるのにきれいに掃除してあるんよ…」

タコは今が産卵期なのだそうだ。ここらの漁業組合の申し合わせで、絶滅を防ぐために期限を設けて禁漁しているという。やはり資源の枯渇を防ぐためにそれなりの工夫と努力があるようだ。

「それに、タコツボをきれいにしておかんとタコは入らんのよ、タコはきれい好きじゃから…」と、タコの親戚でもいるようなまことしやかな話が飛び出す。
そう言えば昔昔、マユツバながら笑い話を聞いた覚えがある。タコツボからなかなか出てこないタコをどうやって出すか。 一人の漁師がタコツボの中にツバを吐いたところ、タコが「汚いことはやめてっ…」とばかりに飛び出した。それほどタコは清潔好きなんだとさ…。
マユツバ・マユツバ…。

タコツボを海底深く沈めるのは、ペットボトルにヒモを通してコンクリートで固めた自家製の重しが使われている。「この頃は漁だけじゃ食うていけんよー」という言葉が、秋風と共に身にしみる。 ちょっと浜辺に出ただけで、とっても人間くさい話の数々を聞いた。
まだまだ続きそうである。

      ( 写真: 綺麗に掃除され、出番を待つタコツボ諸君 )
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「タチを漕ぐ」

2009年10月14日 | 季節の移ろい・出来事
深み行く秋。瀬戸の夕凪に繰り広げられる風物詩のひとつ、「タチを漕ぐ」というのがある。
完全な漁師仲間の隠語で、ちょっと分かりにくい。
「太刀魚を釣る」という意味である。その一連の動作や光景を一言で言い表すと、なるほど…このことばがピッタリくる。

つるべ落としの夕日が沈むころ、太刀魚も夕食時とみえて、鰯などの小魚目がけて海面近くに浮き上がってくる。
船のエンジンは止めずに、ゆっくり船を旋回させる。スクリューから出る泡に紛らせて疑似餌を流す。こうもり傘の柄の形をした針は、長さ10㎝もある大きなもの。

一本の道糸に4・5本の針を付ける。少し大型が食いつくと、道糸を持つ指先に糸が食い込むほどの衝撃がある。上手に引き揚げる。手や足を噛まれないように針から外す…… これら一連の動作から「タチを漕ぐ…」と言われるようになったと聞いた。
           

頭はとがって、一見獰猛そうな鋭く発達した歯が目立つ。体は全体に左右に平たく、幅は指4本などと表現される。背びれは背中全体に伸びる。尾びれ、腹びれは持たず、尾部は単純な先細りになっている。体の表面には鱗がなく、その代わりに全身が銀色に輝くグアニン質の層で覆われており、釣り上げた時はやや青味がかった金属光沢を持つが、ほどなくすると灰色がかった銀色となる。 お刺身・塩焼きなどが今、旬である。

そんな風物詩をカメラに納めよう…と、薄ら寒い海岸に出かけたが、「小イワシは湧き上がっとるのに、太刀魚がおらんのよ…。当たりが全く来ん、水温の加減じゃろうか……」との漁師さんの嘆き節を聞いて帰った。 主の来ない漁船は、手持ち無沙汰に港に舫った(もやった)まま。明日は出るのか…あさってか…。

まだまだいっぱい面白い話を聞いた。それはまた次回…ということに…。

      ( 写真: 手持ち無沙汰に、港に係留された漁船 )
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「秋のいろどり」

2009年10月12日 | 季節の移ろい・出来事
匂い立ち始めたと思ったら、白っぽい黄色な小粒の花が一気に真っ黄色に花開き、そこら中に芳潤な香りを放つ金木犀。
これほど見事に季節を感じさせてくれる庭木も珍しい。その隣に目をやると、クロガネモチの実が少し色づき始めた。
深み行く秋をいろどる、大好きな風物詩のひとつである。

「モクセイ・モックク・マツ・カタギ(樫の木)…と言われ、昔から庭を持つ者は必ず植えたもんじゃ…」と親父さんがよく言っていたな~。
そういった庭を持てることが、ひとつの男の甲斐性みたいなもので、古い町並みの「うだつ」を上げるのと似た感じの捉え方をしたようである。

ということは、モクセイは花盛り・匂い盛り。マツは小さいながら五葉のかっこいいのがある。この二つは良し。ところがモッコクもカタギもない。庭木を植えるために家を削るか…そうもいかない。所詮親父さんの目に叶う甲斐性は持ち合わせないのか…。

そこんところに対抗して、五葉の松のそばに竹を植え、さらに少し離して八重の白梅が植えてある。つまりお目出度の縁起物とされる「松竹梅」をあしらっている。
ただ御利益が……ン? あったような気もするな~。

金木犀の匂いと前後して我が家の長男の誕生日が来る。その昔は毎年みんなが注目してくれた体育の日10月10日だ。この頃では、祝日は変動相場みたいに動き回るので、体育の日即誕生日とは行かなくなった。御年34才。いまだに完璧には落ち着かない様子。体育の日と同様に胸の中は色々動いているようだ。

そしてついでながら、後わずかで記念日がやってくる。これも秋のいろどりか…。

       ( 写真: 芳香を放つ金木犀、色づき始めたクロガネモチ )
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「人並みに行楽」

2009年10月11日 | 旅行・レジャー
今、もっとものめり込んでいる趣味のサークルの仲間15人で、人並みに秋の行楽を楽しんだ。
お隣広島県の北部。島根県寄りに位置する三次市。広島県内唯一のワイン工場「三次ワイナリー」・隣接の奥田元宋・小由女美術館・少し走って国営備北丘陵公園・さらにはもっと走って、今はひなびた町並みながら、随所にその昔の殷賑の面影を残す上下町散策。それに小説「布団」の作者で知られる田山花袋記念館見学。
もちろん美味しい賑やかなレストラン昼食つき。

何度も言うように、私の地元には美術館がない。だからというわけでもないが、美術館見学となると何故か気持ちが高鳴る。

今回の奥田元宋独特の朱色使いによる荘厳な絵画の世界は、見応えを感じた。
そして特別企画展「円空・木喰(もくじき)展」も感動物であった。

なんと言っても目玉は、石見銀山産出の銀を山陽側に搬出する銀山街道の宿場町として栄えた上下町。
なんかしら、歴史と風格・気品が漂う町…という印象。そこに平安時代に端を発した「うだつ」が取り付けられている古い家並みが残っている。

「うだつの上がらん男…」とは、やることが中途半端で、なんか見栄えがしない男、甲斐性に欠ける…という負のイメージがつきまとう。そこへ行くと「うだつが上がる…」男として一人前の成功者、頼りになる男と評価されるほど、歴史のある防火壁、隣家との境界を意味する飾り付けた壁。
yattaro-はうだつが上がったのか、上がらなかったのか…複雑な心境で眺めた。

栄えた町だけに、芝居小屋も半端ではない。回り舞台・せり上がり・花道・さらには落ちたくない奈落の底までしっかり覗いた。

大半高速道を使う往復350㎞。疲れは多少残るが楽しい一日を過ごした。カーナビチェックもバッチリ。

それにしても、行程・観光案内・会計・地図など、A-4版3枚綴りの資料を各個人に渡す努力を、水面下で軽くやってのけるリーダーの力量…恐れ入るばかり。
改めて、丈夫で元気に長生きをお願いしたくなる、秋日和の一日であった。

       ( 写真: 上下町の古い家並みに観られる「うだつ」 )
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「遠くの空から」

2009年10月09日 | 旅行・レジャー
     

中学校同期会出欠の返信〆切間近。
いよいよ追い込みの投函で圧倒的に欠席が多い。いささかガックリ…。

希望的観測も含めて、やや高い出席予想を目標に掲げた。
幹事団を叱咤激励しながら参加者を増やそうという魂胆が見え見えである。

辛うじて出席率3割は確保の見通し。
詰め腹を切らされてもいい幹事代表の首の皮がギリギリつながったのかな。

そんな寂しいはがきの束に混じって、思いもかけぬ嬉しい重いはがきが一枚届いた。
しかも投函された場所が半端ではない。

世界中で、最も高い場所に据えてある、純粋な“MADE IN JAPAN”古くからある日本郵政公社、あの赤いポストに投函されたのである。
そのポストの位置は、4000㍍級の山々が連なるスイスアルプスの中で、スイス初の自然文化遺産に指定されている有名な「ユングフラウヨッホ」の展望台屋内に設置されている。

6月に旅行したときも自らの手で、自分宛・友達宛・孫宛に絵はがきを投函した思い出の赤いポスト。

それが今回は知人の手によって投函された1枚のエアメール。素直に嬉しい。
投函の主は、先のツアーに参加した旅行会社の、うら若き添乗員さんである。
新婚6ヶ月という彼女に、夫婦で色々話しかけた部分はあった。

いきさつはともかくとして、沈みがちな気持ちを浮き立たせてくれるような貴重な1枚のはがき。 永久保存版として大切にしまっておこう。

      ( 写真: 嬉しいエアメールとユングフラウヨッホのポスト )

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「人生行路」

2009年10月08日 | つれづれ噺
長年、通勤の足として会社を往復してきたクルマ。それはそれはいつも感謝いっぱい、こいつと共に稼いでいる、まさに一心同体だなどと思ったこともある。

完全にリタイヤした今では、クルマを最大限活用してあちこちしながら世間の空気にしっかり触れて、脳の活性化を図る道具として活用しよう…と思うようになってきた。
そこでこのたびカー・ナビゲーション・システムなるものを取り付けた。

道路標識や、グーグルアースで打ち出したマップを頼りに、キョロキョロ・ドキドキしながら目的地を捜す苦労から解放された。一度セッティングしたら目的地まで確実に誘導してくれる。優れものの助っ人をやとった思いがする。ドライブが一段と楽しいものになるに違いない。京も呉も小倉もいつでも出かけられるかな…。

グローバル・ポジショニング・システム(GPS)全地球測位システムによって、たちどころに自分の現在地を測位し、目的地を捜してくれる。先ず大きく迷うことはない。

思うに、人間の生きる道を案内してくれる人生ナビゲーションは開発されないものだろうか。
自分が今ここにいる。将来ここに行き着きたい…とセッティングすれば、勉強のしかたから資格取得など全てを案内表示してくれるシステム。

このような女性と結ばれたい…という理想のタイプをセッティングしたら、やがてそのような女性と巡り合わせてくれる……。
そうなったら人間は本気で努力するんだろうか。死に物狂いでおのれの目指す道を究めようとするのだろうか。

彼女に、自分を格好良く見せるために必死の努力をするだろうか。

ウーン…どっちだろう。人生ナビが開発されるてみなければ言いようがないか……。

       ( 写真: ダッシュボードにデンと座ったカーナビ )
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「食欲の・・・」

2009年10月07日 | つれづれ噺
天高く 馬肥ゆる …… などと言われても、ここら近辺では、肥ゆるも痩せるも馬など見ることがなくなって久しい。
そう言う点では今ひとつ物足りない秋ではある。

今更言っても詮無きことながら、吾輩ご幼少のみぎりは、そこらじゅうの家に牛か馬が飼われていた。
秋が深まり、人も馬も汗をかかなくなると俄然元気が出てくる。そうなると農家の馬屋(厩)に入り込み、踏み台の上からくつわを噛ませて引っ張り出す。

かんがい用水路に入りたがる癖の悪い馬でも、寄り添い・首筋を撫で・ハイハイ…と声をかけてやる。
こちらを気に入ってくれたら極めて従順。裸の背中にでも乗せてくれる。一旦嫌われると、こちらを認めさせるまでにかなりの時間がかかる。それこそ甘いことなど言ってはいられない。無理矢理にでもまたがって、手綱をしぼり込み、馬の自由を奪ってその場を2・3周円を描くようにゆっくり回らせる
「こいつは出来るな……」と馬に思い込ませることが肝要。

などと昔話に浸っている場合ではないのだ。台風が近づいている。
海に近いここらは、船だまりと呼ばれる入江がいくつもある。台風など時化(しけ)るときにはここに避難し船をつないで荒波から守る。

普段は潮が引くと粘土状の地表が現れ、白鷺の格好のエサ場となる。大体一つの入り江に1羽ないし2羽が、せわしなく虫やこがになどをあさる。これぞ食欲の秋。ちょっと眺めている間にもどれだけの量をついばむやら…。

それにしても、縁もゆかりもない白鷺が、食欲の秋を満喫するのをカメラを構えてアキもせず眺めている。 
これもひとつのアキだな~~。

       ( 写真: 一つの船だまりを我が物顔にお腹を満たす白鷺 )
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「次を目指して…」

2009年10月06日 | つれづれ噺
昨年9月に始まった新聞の連載、五木寛之著「小説 親鸞」。
今年の8月31日、354回をもって、その前半を終了した。

ブログの世界での話題沸騰もあり、我も試みんとて新聞切り抜きを始めた。
ついに毎日くせになり、切り抜きを貯め込む羽目となり分厚く段ボールに重なった。

思い切って我流製本してみることにした。幸い私の周りには器用この上ない手作り製本の先輩がおられる。行き詰まったらそこへ駆け込めばなんとかなるだろう…みたいな他力本願もあって、何はともあれスタートした。

1~150回までと、151~最終回までとでは紙面の大きさが異なっている。前半が2㎝長い。これで前・後半の仕分けは必然的に決まった。
相手は新聞紙である。紙腰が弱い、紙質は落ちる。これでもかつては紙の製品チェックのプロである。

なんとか新聞紙のご機嫌を取りながら、分厚い背中に糊付けから始まり、しっかり固めて表紙作り。ただの1枚も抜け落ちることはない。糊が効いている。
あーでもない・こーでもない…。久しぶりに本気になって試行錯誤の繰り返し。
出来た。ついに出来た。前編後編の2冊。われながら見事な仕上がり…と言うことにしよう。製本の先輩からも取り敢えずOKをもらった。

世界にこれしかない小説親鸞のオリジナル製本。やりゃー出来るじゃん!!
これにヒントを得て、次なる目標は…。

いつの日にか、自分で書きためた物が、この手で製本できれば大儲け。

比叡のお山や、京都六角堂、さらには吉水草庵を舞台に、修行・苦行を積んだ親鸞若き日の物語りだけに、yattaro-もこれを機会にもっともっと修行を積まなければ……。 手遅れなどと言わないでね~~。

    ( 写真: この手で作り上げたオリジナル製本「小説 親鸞」上下巻 )
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「生き残ることって…」

2009年10月05日 | つれづれ噺


我が愛する広島カープ。昨日で今年のペナントレースは終わった。
CS(クライマックスシリーズ)へ向けて首の皮1枚で綱渡りしてきたものの、ついに落ちた。

もっとも、借金が10以上あるにもかかわらず、3位に入れば無条件でリーグ代表権に挑戦できる。しかもそこで運良く勝てば日本シリーズを戦えるという。
なんかしら厳しい勝負の世界の割に、ちょっと甘さを感じる部分もある。

まあいずれにしても、秋風の吹くこの時期に5位と6位の争いでさえ、CSという一つの目標がある間は、選手も張り合いがあろうし、応援するファンにも一縷の望みを託して観客動員には大いに貢献する制度のようではある。

勝負の世界とは、今更言うまでもなく弱肉強食。強い物が生き残れる。生き残るために極限までの努力をする。

動物や植物の世界は一体どうなっているのだろう。
今から150年も前に進化論を述べたチャールズ・ダーウィンの言葉を借りると。
「この世で生き残ってきた動物はすべて、強い動物でもない。賢い動物でもない。それより、その時どきの環境の変化に対応できた動物だけが生き残ってきたのだ」 と。

ことばこそ平坦だが内容は厳しいことがなんとなく分かる。
その時どきの環境に対応できないものは、死を意味したり絶滅を招いたりするということだ。 身に詰まされるし思い当たることもいくつかあるな~…。
こうして曲がりなりにも無事円満に定年退職を迎えられた裏には、否応なしに環境に対応させられたことも少なくなかったような……。もちろん積極的に対応した部分もある。

さてカープは早くも来季の監督人選というストーブリーグ突入。
厳しい環境に対応しながら強く・勝てる・リーダーシップ旺盛な監督を望みたい。
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