「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「一周忌」

2009年10月26日 | 家族・孫話
もう一年たったの…? 早いというべきか。
まだ一年しか過ぎていないの…? 月日の流れはゆるやかだと思うべきか…。
母を見送って一年。はっきりどちらとも言えない気持ちで過ごしてきた。

日々のお鉢様を上げるとき、お供えのお菓子を交換するとき、お花を差し替えるとき、遠出をして無事帰ったとき、それぞれにお焼香し手を合わせてきた仏壇を守る身にとっては、その都度が母と軽く言葉を交わすときであり、遠ざかっていたという実感はない。それから考えると、本当に一年たったの…という思いはある。

今更言うまでもなく、一周忌とは、亡くなった年の翌年に営まれる、はじめての祥月命日の法要で、特に重要な年忌法要とされている。実際には祥月命日より早めに行われている。
亡き人の冥福を祈り僧侶による「読経」や「おときの会」など善事を行う追善供養の法要が年忌法要と呼ばれる。

姉弟や近い親戚が集まってどうかすると、楽しい方の宴会になる。
不謹慎だとはおもうが、100才7ヶ月を生きた母の法要である。ついつい湿っぽさを忘れがちになる。
しかも、法要の出席者の中に、母の妹98才が元気ににこやかに鎮座まします。
認知症もほとんどなく、独り暮らしを楽しんでいる叔母が、湿っぽさを吹き飛ばす役割を果たしている。それがまた、姿形が母と瓜二つ。いまだに母に声をかけているような錯覚を起こさせる。

何はともあれ、一周忌法要を無事執り行った。一年先には3回忌がやってくる。
はてさて、何回忌までこの手で営んでいけるのだろうか。
一回でも多く年忌法要を営めるよう、お浄土から優しく見守っていてもらいたいものである。
コメント (14)
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