「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「秋、もう一つ」

2008年10月08日 | 季節の移ろい・出来事
秋半ば。味わい深い「色」が身のまわりに多くあることを強調してきた。
ここに来て肝心なことを思い出した。秋にはとっておきの「香り」があることを。
そう・・キンモクセイのあの甘い香り、芳香というにふさわしい季節の香りである。

早春のジンチョウゲもまた、女性の襟足を連想させる「ほのかな白粉の香り」で悩ましい。が、この秋のキンモクセイは、クルマを走らせていても、仕事をしていても、キーボードを叩いていても、それこそ何をしていても、その芳香がやさしく匂ってくる。

それほど各家庭の庭木として重宝され、大切に育てられているのだろう。
我が家にも2㍍に及ぶ元気盛んなキンモクセイが、デンと構えてござる。娘がこの家にいるころ、春は花粉症・秋は過敏症で、この芳香が気になる、というので、刈り込む時期をずらせて出来るだけ花を少なくする努力もした。

折りも折り、キンモクセイの香りは甘めで強くしっかりとしているため、トイレ用の芳香剤として1970年代初頭から1990年代前半頃まで人気商品であった。しかし、その影響により実物の花の香りをトイレの匂いと勘違いする子供たちが続出し、今でも「キンモクセイ=トイレの芳香剤の香り」を連想してしまう者も多いと言う。

花の香り一つにしても、世の中一筋縄では行かないようである。ここでも森羅万象、表があれば裏がある。全てが背中合わせ。偏りすぎてはいけないことを教えられるなー。

ちなみに、キンモクセイの花言葉・・謙遜 真実 陶酔 初恋 だそうである。
上手に並べかえたら、ひとつの言葉が出来そうである。
恋の甘酸っぱさに“陶酔”して、“真実”を打ち明けられずに“謙遜”ばかり、ついに実らぬまま終わった我が“初恋”……。歯が浮きそう…。

本当の秋の香りを象徴するのは、ホラ、マッタケですよ。手の届かぬ高嶺の花というハナの香りが一番ですよねー。

        ( 写真:芳香を放つキンモクセイの花弁 )


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「“おまけ”あれこれ」

2008年10月07日 | 趣味・・エッセイ
“おまけ” 懐かしい響きのある言葉。
幼い頃、胸躍らせた思い出に浸る言葉でもある。芋アメを10ヶ買ったら1ヶおまけしてくれた…、紙芝居に何人か誘って見に行ったら、おじさんが水アメを余分にくれた…・・。色んな思い出が湧き出る、おまけ。

最近では、ガソリンスタンドで、曜日によってはティッシュ1箱とか、コンビニでお弁当買ったらお味噌汁がおまけであったり、子供のスナック菓子にきらびやかなカードが入っていたりする。 孫と散歩に行けば、色んな独自の解釈による説明がおまけとしてついてくるの楽しい。 さて、小生の人生における大きな“おまけ”の思い出話。


『田中内閣による日本列島改造論が沸騰する前年、私の結婚話が持ち上がった。勤務先は地元大手企業、給料は人並・年相応。住まいは二年前新築した。しかしローンに追われる貧乏所帯。

 先方は、山あいの小さな集落ながら、酒・米・食料品・雑貨、何でもありの小さなスーパー経営。日々現金収入のある、どちらかといえば裕福な家庭、しかも一人娘。父親は明らかに反対表明。それでも彼女の意志の固さに屈して、最終的に何とか了承となった。

 理由その1、 勤務先が大企業で収入が安定している。 その2、 ローンはあるものの、住居が新築である。 その3、 競輪・競馬・競艇など、勝負事はしないと約束したことなどなど。

 先行き不透明な経済状態の中で、娘を嫁に出す父親にとって婿殿の条件は、安定した収入による生活力の有無が最優先らしかった。自分で言うのもおかしいが、人間性や人柄などは、義父にとっては“おまけ”みたいなものだったのだろう。しかし2人にとってはおまけが全てであり、そのおまけで結ばれたような2人だった。 あれから37年、今も夫婦は続いている。』
     
    ( 2008.10.07 朝日新聞 「声」 欄掲載 )  ( 写真:現代のおまけとしてついてくる諸々 )

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「肩の荷」

2008年10月05日 | 趣味・・エッセイ
ここ3週間ばかり、爽やかな秋らしい、いいお天気の日が多かった割には、なんか頭の芯が重く、今ひとつスッキリしなかった。
肩も重い感じがして、ひょっとしたら思いも掛けない背後霊に取り憑かれて、肩を押さえ付けられているのかな…などと、ちょっと大げさに考えた。

背後霊??そんなわけないよなー。それほどのこともしてないよなー…と思う。
でも人間だからなー…いや、やっぱりそんなわけはない。

理由が今日分かった。原因もちゃんとあった。背後霊など全く関係ないことも判明。一安心。

何のことはない、およそ3週間前、自分で荷物を背負い込んで、肩にズッシリ荷をかけていたのだった。
背負い込むときはこれほど重く感じなかった。まあ何とかなるじゃろー…という甘い気持ちと、過去にも何度か背負った経験があり、ある程度持ち堪えられる感覚が残っていた。

でもやっぱり違うねー。その時その時で、肩に食い込む痛さに免疫などあろうはずがない。でも背負った最初の1週間でかなりの荷物を降ろしたはずである。
その後も、日に日に少しずつ軽くしていったはずなのに、最後の1週間になったころから、最初に背負ったときより遙かに重くなる感覚である。

こんなはずではなかった、一日も早く荷を降ろさなければ…と焦りが出てくる。焦りが肩に食い込む。何度も何度も背負い治す。もう背負い治しようがなくなった。後はあきらめが先に立つ。
もうこれ以上ダメだ。もう背負っていられない。投げ出す代わりに封書に収める。

軽くなった、肩の荷が降りた。ヤッタゼー!!兎に角背負い続ける期限の前に放り出すことが出来た。これで枕を高くして眠れるし、肩の荷に悩まされることもない。どんな荷物を背負っていたのか振り返ったら、なんのことはない、A-4用紙6枚が封筒に入った軽い軽い荷物だった。 なんだか夢みたいな話になってしまった……。

         ( 写真: 肩に食い込み、重くのしかかっていた「肩の荷」 )
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「秋の色 Ⅱ」

2008年10月04日 | 季節の移ろい・出来事
秋を象徴する色は色々ある。黄金色の稲穂が代表格なら、焦げ茶色のイガグリの中から、光沢のあるテカテカ茶色で転げ出る栗の実は、二番目に鮮やかな秋の色といえる。その味覚はもちろん、秋を代表する一つである。

「栗もね、ウニもね、同じなんよ。両方ともトゲトゲの中から出てくるじゃろ…」と言っていた、かー君。
あのイガイガの中から栗の実を取り出す瞬間がたまらないらしい。

この子にしてこの親有りとでも言おうか、栗林などを所有している職場の同僚に、わざわざイガグリを持ってきてもらうよう、お母さんが頼んだらしい。
頼まれた方も、子供の要求に応えようと、十分楽しめる量を持参してくれた。それを我が家の玄関前に放り出す。


待ってましたとばかりに、小さい足にばあちゃんのスニーカーを引っかけて、イガグリを上手に踏み開いて栗の実を取り出す。おっかなびっくり、トゲに触らないよう慎重に栗を拾う手が可愛い。
こればかりはじいちゃんもまだ教えた記憶がない。それにしても手つきがいい、いや足つきがいい。

小高い山を切り開いたところに幼稚園がある。高さ10㍍もある山の中腹から運動場に向けて長いすべり台が設置してある。雑木の生い茂る山肌が自然な遊び場所。毎日毎日山肌を駆け回る。この季節はドングリや栗を拾う競争も始まる。

そんな日常なので、イガグリの扱いも遊びの中で覚えたのだろう。
こんな自然がもたらす、それぞれの季節の色や木の実などに恵まれるなかで、大きく枝葉をひろげて逞しく育ってくれるとありがたい。
じいちゃんが丹精込めた芋掘りイベントも間もなくである。秋は秋でやっぱり忙しい。

        ( 写真:秋の色、いがぐりと栗の実 )
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「椰子の実」

2008年10月02日 | 思い出話
 ♪ 名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実 ひとつ …… ♪
我が家にデンと居座る「椰子の実ひとつ」遠き島から流れ寄ったのでもなければ、名も知らぬ島から来たのでもない。
れっきとしたHawaii・Waikiki・Beachでサンセットバーベキューを楽しんでいるとき、近くに落ちてきたのをこっそり荷物に紛らわせて持ち帰った、ハワイ旅行記念品である。

1985年6月というから、23年前の話になる。
移民として渡った伯父が、人並みの成功を治めて優雅な生活を送っているので、是非元気なうちに遊びにおいで、という言葉に甘えて、それこそ往復の旅費だけの緊縮経費で行ってきた。もちろん夫婦揃って海外旅行初体験。
現地では甥っ子が、どこの観光地に行っても全て顔パスで、長蛇の列を横目に、スーッと目的地に案内してくれるのが気の毒なような、6泊6日の素晴らしい体験と、豪華な大名旅行であった。今でも、土産話には事欠かない。

一口に23年前というが、家庭環境は随分変わった。当時、長女が中学2年生、長男は小学5年生。その子たちが珍しがった椰子の実を、今は長女の子供達が遊び道具の一つに使っている。もちろんその頃は母も若く元気バリバリの現役商売人。子供の世話を頼んでどこにでも出かけられた。時間的余裕はあったが、残念、家計に余裕はなかった。
その母は100歳を迎え病床に、子供は片づき、夫婦二人の生活に。本来なら悠々自適のところを孫にかき回される……やはり、世の中全て持ち回りなのかなー。

ハワイ旅行の忘れもしない土産話をひとつだけ。
かの有名な全米オープンなども行われるハワイカントリーのクラブハウスで、農場経営者の引退パーティ(リタイアパーティ)に伯父達と参加した。約束の時間、集まったら何はともあれ、しっかり食べてしっかり飲む。その後で、厳粛なセレモニー・アトラクションへと流れていく。司会者が伯父の娘婿、つまり従兄弟。ステージではハワイバンドの有名グループが演奏している。いきなり「日本から来られたゲストを紹介…」といってステージに上げられた。歌を歌いなさいという。ハワイアンバンドをバックに歌を…と言われてもねー。
開き直ったねー。ちょうど千昌夫のハワイ公演ポスターが貼ってあったのを思い出した。「旅の恥は……」ヨーシ、“白樺~青空 南風~……” やったねー。バンドマンが思わずウクレレと手拍子を添えてくれた。大爆笑・大喝采。
あのクラブハウスで、ハワイアンバンドをバックに演歌を披露したのは、最初で最後らしい。若かったねー。

       ( 写真:渇きに渇いた、23年前の椰子の実と躍るフラ人形 )
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「おはん」

2008年10月01日 | 晴耕雨読
天高く 読書に 燈火 馬肥ゆる … 秋を言い表す定番の言葉を並べてみた。
ついでに、人恋しくなる秋、を付け加えると完璧なのだろうが、今更、人恋しがっても相手にされなければ、空しさだけが残るので敢えて入れなかった、ということにしよう。

人並みに読書なるものを試みた。
かねてより是非一度手にしたかった本が、親しくして頂いている友人の手許にあることを知っていた。思い切って拝借を申し出て、燈火親しみながら読み上げた。

「おはん」の初版本である。 著者 宇野千代 挿画 木村荘八 昭和32年6月5日初版 定価 300円 という今では手に入らない貴重品である。

「よう訊いてくださりました。わたしはもと、河原町の加納屋と申す紺屋の倅でござります。生まれた家はとうの昔に逼迫してしまひ、いまではこのやうな人の軒先借りて小商ひの古手屋、もう何の屈託もない身の上でござりますのに……」から始まって、男と女の情愛を見事にえがいた「野間文芸賞」受賞小説。
先だって岩国で行われた「宇野千代顕彰会主催、13回忌法要事業」の一環でアンコール上映された映画「おはん」も見た。

ここで内容を説明しようとは思わない。読書感想文は、近く行われる宇野千代顕彰会読書感想文コンクールに応募される人にゆだねたい。

この季節にこのような貴重な一冊に巡り会えたことを喜びたい。
昭和32年で300円と言えば、単純計算で現在に置き換えると、8000円くらいに相当する。
しかも、生粋の岩国生まれで、娘時代を岩国で過ごした、その当時の地名や町並みの思い出がふんだんに織り込まれた「おはん」であった。

いいものは年を取らない。さらに、年を経ればその値打ちが益々上がる……。 羨ましいなー。
残念ながら、年を取って古くなるばかり、値打ちは下がるばかりの我が人生とはえらい違いだなー。まあ責めて、薬にはならないまでも、毒にもならないよう、静かに生きて行こう。 勝手気ままなブログでもしたためながら…。

        ( 写真:初版本の「おはん」ブックケースと本文 )

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