バーバ心の詰まった宅急便
何かしらいいことを期待したくなる弥生3月。いよいよ今日から。
梅の花は今を盛りと咲き匂い、3年間の高校生活に別れを告げる高校卒業式の日でもある。昨日まで続いた好天気がもう1日待ってくれたら良かったのに。残念ながら朝から冷たい雨に見舞われた。それでなくとも、彼らの3年間は新型コロナウイルスの陰に怯えながら、何かと行事や活動が縮小される窮屈な生活を強いられてきた。
せめて卒業式は、在校生や保護者の祝福を浴びて晴れやかに大声で校歌を歌い、進路が異なる友と笑顔の別れ、笑顔の再会を誓う姿を熱望していたのだが。現実は在校生不在。保護者も人数制限、校歌も声を出しては歌えない。お世話になった地域の人や来賓などの祝福もシャットアウト。本当に気の毒な現状を目にした。但し、これらの原因のほとんどは彼らの手の届かないところで発生したこと。運命のいたずらとも言うべきことなので、落ち込むことなどではないことを自覚することだ。そして、人生には想像だにせぬことが起こり得ることを肝に銘じて、強く逞しく幅広く、くじけない人生を送って欲しいと願うばかり。
いつまでも続くコロナ禍は、長いこと孫にも合わせてくれない。3月3日のお雛様にはせめて雛あられでも食べさせようとのバーバの願いを込めて宅配便発送を計画。あれもこれも欲張ってしまう。そんな感情も2月は、いまだ寒さに閉じ込められて行動を起こせない億劫さがある。なにの、3月の声を聞いたとたんに「孫の笑顔を呼び覚まそう」などと、身体が動くようだ。それが春と言う季節の特徴なのかも。
弥生三月春はそこに。何か面白いことに期待しよう。身体を動かそう。