「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「蝋梅」

2021年01月20日 | 幼馴染の動向

  

季節はいよいよ大寒に入った。あと2週間もすれば春立つ日、節分、と春近しを思わせるころとなった。
などとのほほんとしたことを言っていては、ホワイトアウトだの、雪の重さに家がつぶれそうだのと大変な難儀をされている地方の方からお叱りを受けるかも。でもそういった人たちのためにも、一日も早い春の訪れを待ちたい気持ちは強くなる。

師走半ばから咲き始める蝋梅は、今なお冬の花の代表格として至るところで楽しませてくれる。
でも私にとっては、あの蝋梅だけはあまり好ましい花ではなくなってしまった。特にこの冬の蝋梅は避けて通りたいような、重苦しい気持ちにさせられる花となった。

年は三つ違いで私が兄貴分、彼が従順な弟分で、少しやんちゃな兄貴と如何にもおとなしく、お金持ちのボンボンといった感じの弟。一見奇妙なコンビでもあったようだ。一時期は同じ釜の飯を食い、彼の結婚式には司会進行や、プロデュース役も買って出た。マージャンは言うに及ばず、カラオケもグループを作って、週一彼の家の離れで競い合ったものだ。そうそう、これだけは彼が先に手を出していたのを教わった。それが宮島ボートレースであった。

そんなこんな50年以上に及ぶ長い長い付き合いであった彼。私のこれまでの人生の中で、一番気持ちの休まる友であり、ちょっと手を貸したくなる少し頼りなさも持ち合わせていた。そんな彼を脳梗塞が襲い、そのまま認知症も併発して、意思の疎通がままならなくなり、段々と昔の誼が遠のいてしまった。退院して家での生活になってからも遊びには行くが、昔の丁々発止の元気な友が、病に伏せっている友を見舞うのは、双方ともに辛いものがある。
それでも、少し間をおいて訪ねるようになっても、顔を見ればすぐに思い出してくれた。

そんな彼の家には色んな花が広い庭に咲いていた。そのうちの1本が蝋梅で、奥さんが惜しげもなく切り取ってお土産に持たせてくれた。その彼が静かに旅立ったのが昨年3月。それを知らされたのは昨年10月。それほど長くご無沙汰した私も悪い。コロナによる家族葬で一切の報せもなかったのは少し淋しい。その淋しさが蝋梅の花に八つ当たりになったのかも。逆に考えれば、蝋梅が咲く頃には必ず彼のことを思い出し、追悼の気持ちを忘れないのかも知れない。功罪相半ばする蝋梅の花である。

ちなみに、蝋梅の花言葉は「ゆかしさ」「慈しみ」「先導・先見」とある。

花言葉の「ゆかしさ」「慈しみ」は、まだ花の少ない冬期に、そっと黄色い花を咲かせるロウバイの奥ゆかしい姿から。 落葉性の低木。名前に「梅」と付けられているが、全く別の植物。樹高は2~4mほど生長し、黄色い花を咲かせる。花からは、さわやかな甘い香りを漂わせる。そのため、香水や化粧品などに利用されている。

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