「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「惜しいな~」

2016年04月21日 | おせっかい

                

十数年来、この季節を楽しみしてきた仲間がいて、一日をゆっくり楽しむ恒例行事があった。
名付けて「藪の中のクラス会」。
竹藪を持つ同級生のもとに、気の置けない仲間が集まって、タケノコ掘って茹で上げる。その間、ワイワイガヤガヤの酒盛り・BBQに打ち興じる。
上手に鳴くウグイスの声がかき消されるほどの賑やかさ。

始めた時は男ばかりのたった3人であった。
1人増え2人増え、最高は男性5人、女性5人、合計10人の大所帯にふくらんで、数年続いた。
女性群は前日からスーパーに買い出しに行き、お昼ごはんやBBQの準備に追われていた。

あれから14年の歳月。ピークの頃から言うと、逆に1人減り、2人減り始めた。
今年に至っては、最初に始めた当時の男3人と女性が1人。なんとか4人残ったという寂しさを味わうしまつ。
別段誰が悪いわけでもない。強いて言うなら悪いのは歳月という時の流れか。
それぞれに歳を取ったということなのだろう。本人の病はもとより、連れ合いの看護が必要になった人もいる。

そう考えると、実質15回目の薮の中のクラス会を迎えられた我々3人は、元気をもらっている親や、お天道様に感謝すべきなのだろう。
来たくても来れない体調不良を抱えるのは、本人も家族も辛いことだろうと、容易に想像できる。
特に今年は、その日がなんと最高のタケノコ日和。うららかな青空に、藪を通り抜けるそよ風の気持ちいいこと。
しかも「美味いものは小人数」という。シシ肉のBBQをたらふくご馳走になった。
一方で、「仕事は大人数」と言われるように、掘る・皮を剥く・茹でるの一連の実労働は、人数が少ない分、手間もかかるし負担も大きかった。

それでも、来られない仲間の気持ちを思うと、まだまだこの歳でこれほどの楽しみをキャンセルとは「惜しいよの~」と思ってしまう。
なんだかんだ言ってもやはり、人並みな元気と体力を維持できていることは感謝以外の何物でもないような。

さて来年は・・・?いったい何人が集まれるのだろう。そういう自分こそ気を付けなければ。
「あいつも来れなくなったの? 惜しいな~」 などと言われんように・・・。

コメント (4)
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