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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「2週間の重み」

2024年01月15日 | ニュース・世相

            

正月元旦に襲いかかった能登半島地震。絶望と苦難と暗闇と渇望の中で2週間という日々を過ごした。
早いものでもう今年も2週間が過ぎたね~という時間の流れの速さを言う2週間とはまるで中味が違う。
どんな思いで、どんな苦悩の中で日々の朝を迎えておられるのだろう。

政府はもとより、全国各地から支援の手が差し伸べられ、物心両面から大きな支援とエールが送られている。
それでも、我が住む家を追われ、生業を奪われた上に、道路事情の悪化で外にも出られず、遠方の知己や友達と遮断され音信もままならない生活。お風呂やトイレの不自由も想像を超えるお気の毒な生活。

一日も早くそういった避難生活から解放させてあげたいと思うが、ライフラインの全てが崩壊された現実は現時点では如何ともし難いらしく、ただただ今を耐えて新たな光が差し込むのを待って頂くしかない、本当に辛いときである。

何よりも辛いのは、2週間と言う期間を経てもなお見つかっていない家族の姓名を公表して、行方の連絡を待つという行動を取らざるを得ない家族の思いである。元気で目の前に現れて欲しい。それがダメならせめて遠く離れたところからでも元気でいる便りを発信して欲しい。ありとあらゆる方法で探し出して、結末を見届けたい気持ち。入り混じる複雑な思いを、ただ想像するしかない。心からお察し申し上げますというしかない。

辛い2週間。これから先どこまでの辛さに耐えられるのだろう。ただただご自身を大切に、現実と向き合っていって欲しいと願うばかりである。

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「初詣で」

2024年01月03日 | ニュース・世相

里帰り客の都合に合わせていたら、お正月三が日最後の日の初詣でとなった。
今年の初詣では本当は早く行きたかった。わけもなく昨年までの自分じゃいけんね~と自分で思っていた。昨年に区切りをつけてもう少しシャキッとした自分を取り戻したかった。それには神様の手助けが欲しかった。そんな単純なお願いを神様が聞き届けて下さるのかどうか。そこんなよ、苦し時の神頼み。

  
昨年の後半は数々の病に悩まされ、いささかウンザリ。このままでは体力はもちろんだが気力までも失われそうな危機感があった。
病に負けてたまるか、闘うのだ!と気負い込んでいた時もあったがそれにも限界があって、長引いたり他の病が重なったりするとやっぱりね~。
そんな憂き目を少しでも和らげて、もっと元気を取り戻したい。そんな願いは生身の人間の思いだけでは如何ともし難いものがある。

などとなんだかんだ理屈をつけて神様におすがりしたいという甘い考え。それでもいい、今年は新たな病名が重ならないようお願いしたい。
年を忘れての勝手なお願いだが、なんとか聞き届けて欲しい。お賽銭も弾んだ。破魔矢も買った。いい初詣でになりますように。  

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「年の瀬というのに」

2023年12月26日 | ニュース・世相

                   

今夜を含めてあと六つ寝たらお正月という節季師走に、けたたましいパトカーのサイレンは鳴りやまないね~。
9時のニュースにチャンネル合わせたとたんに、修理工場からバックで出てきた車が、歩道を歩いている無防備の女の人と女の子を跳ねて死なせる。愛知県では何があったのか男が女の人二人を殺す。何やっとんじゃ!と怒ってみたくもなりますねー。

そんなニュースに続いては、一人や二殺すのではなく地獄絵の戦争が、イスラエルやウクライナで権力者による侵略戦争が止むところを知らず。
そういえば年賀状の何枚かに「末期がん的な世界情勢は・・・」と書いたのを今思い出しているが、クリスマスやお正月といった節目も何もあったもんじゃなく責め立て、殺戮は続く。戦争のないわが国では殺人事件に車の暴走。

ダイハツ自動車に至っては、多くの工場や事業所を閉鎖せざるを得ない不正行為発覚。ダイハツ本体はもとより、関連する一大ファミリーの中小関連企業の従業員の肝を冷やしている。冷やしているだけでいつか温まる復活があればいい。なかったらどうするんじゃ。経済が少し回り始めたと思ったら令和6年の幕開けと共にしぼみ切ってしまいそう。

パトカーのサイレンもない、空襲警報のサイレンも爆弾が炸裂する音もない静かな地球。そんな日が訪れないものか。人間って賢い動物なんだろうけど、愚かで救いようのないアホな部分と救いようのない怨念に包まれていきているんじゃねー。弱肉強食のサバンナと全くかわらないね。
と嘆いていても六つ寝たら新年だ。せめてこの身の健康とバランスの取れた精神状態をキープする節目の出発点としたいものだね~。

 

 

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「国際雑穀年」

2023年12月17日 | ニュース・世相

                  
                      雑穀と呼ばれる代表格、キビ アワ ヒエ

手話言語国際デーとか国際なんとか記念日など、数え上げればキリがないほど、数多くのネーミングを冠したXXデーというのがある。
そんな一つで、今年は「国際雑穀年」だという。話を聞いてみると、これからの世界の食料事情を左右するウイークポイントにもなりかねないという。

世の恵みを象徴する五穀豊穣といわれる我が国の主食品。米、麦に続くヒエ アワ キビである。
そんな米、麦に後れを取る雑穀がいま世界から注目されているのか。それはね、雑穀は過酷な環境の中でも育ちやすい。いわゆる、エリートではなく逆境に強い叩き上げのしぶとさを持っている。インドやアフリカでも栽培しやすいことから、世界の飢餓を救うかもしれない貴重な穀物として見直されているという。

こんな話すきなんだね~。コメムギをエリートとすれば、少しぐらい肥しが足りなくても、太陽の恵みが少なくても逞しく成長する雑穀。名前なんてどっちゃでもいいや、人様に美味しいと言って食べてもらえるならこれぞ穀物冥利に尽きるっていうところか。
兎に角地球上から飢えを感じる人が一人でも少なくなればこれに越した倖せはない。がんばれ雑穀。いつの日か雑穀の雑が取れて穀物の王になるかもしれない。

このような形で世界が注目してくれることは有難い。我が国では、米の生育を邪魔する雑草よりもうひとつ厄介者のように扱われて来たヒエ。そのヒエでさえ、というかヒエだからこその値打ちを見直すための国際雑穀年だとすれば有難いことである。農業を見直すきっかけになるかも。

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「今度はサルかよ!」

2023年12月11日 | ニュース・世相

                        
                             写真はネット拝借

イノシシの出没は今や当たり前にちかくなった。農家の人たちが作物を守るためにイノシシ囲いを施した農地は別として、イノシシ囲いのない空き地などは、タンパク源のミミズを求めて至る所掘り起こされる。
この頃はクマの出没も伝えられ怖い世の中になった。そしたら今日は「サルの目撃情報について」という緊急メールが、地元の小学校から入って来た。

ナヌッ!イノシシにクマ、今度はサルかよ。校長先生も対応に大変なようだ。児童の安全を守る責任者としては、いち早く緊急メールを流して関連する地元有志や登下校見守り隊、さらには保護者への我が子を守る要請である。児童の安全を守るのは、保護者より先に校長や担任の責任になり兼ねないご時世。緊急メールが入るのも納得である。

運悪くサルに出会った時の行動指針もメールにちゃんと記されている。
・急に走り出して興奮させないようにする。
・サルと目を合わせない。
・攻撃や威嚇は絶対にしない。  
皆さまも気を付けてお過ごしください。と結ばれている。今までサルに出会った時の身の振り方を教わって来なかったので、参考にしようと思っている。

それにしてもサルなんて、一度いい味や居心地を悟ったら居続けるんじゃないかと心配する。もっとも、イノシシもクマも人間が怖くなくなっているし、人間の住む近くにはご馳走がある、なんて思わせてしまったんじゃないか。反省して対策を講じなければ、様々な動物に席巻されてしまうかも。少子化で人間は減る一方だし。もうちょっとガンバローやニッポンですね~。

 

 

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「幼子の命を」

2023年09月12日 | ニュース・世相

              

「日差し」…太陽の光、日光、その照り具合
「陽ざし(射し)」…太陽の光、日光、その照り具合
「日射し」…太陽の光のことを意味する表現

こうして並べてみるとこの三つの言葉は、大きく変わらずほとんど同じような意味合いを持っている。
ならば使用されている漢字のそれぞれにどれほどの意味があるのだろうか。ひもといてみたくなる。三つの「ひざし」の意味に違いはないが、使用されている漢字の意味には違いがある。それによって読む側の受け止め方が違ってくるのではないかということ。つまり、書く方も何らかの意図を込めて使い分けていることになるのだろう。その結果が微妙なニュアンスとして変わってくるということか。

小難しい国語の時間はここまでとして、陽ざしにまつわる悲しい出来事が今日も報道されている。
娘さんから2歳の幼稚園児を預かった母親が、幼稚園に送り届けて自らの職場に行くはずであった。何をどう間違えたのか幼稚園に寄らずにそのまま自分の職場に直行。車内に2歳児を残したことを忘れて仕事に専念。煮え返る車内に残された2歳児は9時間後に車外に連れ出されたが時すでに遅し。
大切な大切な、可愛い盛りの2歳児の命は、幼子を慈しみ可愛がるはずの祖母の手で葬られるという、思いがけない悲しい結末となった。

今年の春から何度となく繰り返された、幼稚園児の車内放置事件、降ろし忘れによる熱中症死亡事件、さらには保護者が買い物やパチンコなどで、幼い命が奪われ事故や不祥事。そんな幾つかの実例が厳しく報道され責任が追及されているさなかに、またこんな痛ましい事案が発生する。いずれも過去の事案ではない。忘れるどころか自分自身の熱中症対策も併せて、暑さに対する警戒心は並大抵ではないはずなのに。悲しい、空しい話が続く。

9月の中旬を迎えても、あさから照り付ける今年の「日差し」「陽ざし」「日射し」は強い。直射日光に当たるだけで眩暈がしそう。
漢字もひらがなもどっちでもいい。この強い危険な日差しから命を守る行動だけは今一度肝に銘じて、本格的な秋を待つことにしたい。

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「晩夏の憂い」

2023年08月26日 | ニュース・世相

                 

子どもたちの夏休みが終わりに近づくころになると、なんとか無事に二学期を迎えて欲しい、元気に登校を始めて欲しいと願う気持ちが強くなる。
私自身の5人の孫のうち4人が新学期を迎えるという身内事情もあるが、地元の小学校では夏休みには竹細工教室も行い他人様の児童と触れ合って来た。つい先日は二学期に備えて、二つの小学校で環境整備作業と言う樹木の剪定や草刈りなどに地域活動として住民がこぞって汗を流してもきた。そんな事情もあって、うちの子よその子関係なしに「元気な笑顔の二学期を」期待する。

そんな中で二学期を目前に児童の痛ましい事故が起きた。夏休み終盤のお楽しみイベントのはずであった夏休み体験教室ウオータースライダーによる児童同士の衝突事故で、尊い命が奪われた。運営した自治体の監督責任が厳しく問われている。一緒に参加したはずの親はどんな立ち位置だったのだろう。
夏休みに帰省する孫の一番の目的は、すぐ近くの海の公園に行って数時間を見ずと戯れることである。

運転手兼お菓子や飲み物のスポンサー兼安全監視役のジジは責任重大である。時計片手に水分補給の設定も。いっときだって居眠りなどしちゃいられない。相手は海にはしゃぐ命知らずなのである。自分で行動して疲れるのとは違う数倍の疲れを感じるのが監視役の宿命である。
子どもは遊びに夢中になる。夢中になれば我を忘れる、注意も警告も耳に入らなくなる。そんな中でも本気で子どもを守り、コントロールすのは誰か。珍しい遊びに夢中になる複数の子どもを、少人数の主催者や担当者だけに任せていいのか。保護者はどこまで介入すべきなのか。考えてみたいものだ。

竹細工教室の時も「安全に妥協は無し」という掛け声で指導者を励ました。のこぎり・切り出しナイフ・ナタやキリなど普段使わない危険な工具を使うのだから、ケガは隣り合わせ。それでもけがをする危険な行為には大声出してでも止めなさい。それは児童を守ることであり、竹細工教室に理解を示す学校を守ることでもある。そして、一度はそういう危険を伴う工具の使い方を教え、自分の手で作品に仕上げる達成感を味合わせてあげたいと願うのである。

ケガをさせたら全てが終わる。来年の開催も危うくなる。そんな危機感をもって子どもたちの笑顔を求める地域活動もあるということ。

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「OSO18」

2023年08月24日 | ニュース・世相

                    
                      恐怖のヒグマOSO18  ネット拝借

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「追悼の日々」

2023年08月21日 | ニュース・世相

                    
                          土砂災害の傷跡  資料  

広島市で77人の犠牲者が出た「広島土砂災害」から9年が過ぎた。遺族の皆さんが災害発生地を中心に追悼行事を営んだというニュースに触れた。
思い起こせば、中学時代の古希同窓会を行って、まだその熱気が幾分か残っているタイミングでの大惨事発生であった。すぐ手の届くところに置いてある同窓会名簿から、該当地区に住んでいる5・6人に電話して安否を確かめたのを今もはっきり覚えている。

不幸中の幸いで、電話した相手からは「事務所はつぶれたが自宅は無事だったよ」とか、土石流が少し離れていたから命拾いしたよ、など生々しい声を聞かされたが犠牲になった同級生はいなかったことに、少しの安堵を覚えたのを思い出している。あのときから9年と言う歳月が。
何年過ぎようが、身近な大切な命を突然の災害で奪われた心の傷が癒えることはないと思う。改めてご冥福の祈りを捧げるしかない。

改めて今思うのは、「災害は忘れたころにやってくる」などと呑気なことを言っていたのは遥か昔の話なのだということ。
この頃の災害は、忘れたころどころか、いつどこで川を氾濫させ大水害を起こしたり土砂災害を発生させるか全く予測できない。それほどに急転直下の災害発生はどこでも突然に襲い来るのである。

地域における「防災のすすめ」や「独自のハザードマップ作り」など多くの試みが行われている。
災害から身を守るのはまさしく自力本願である。他人の力を頼りにすることは大切な要素ではあるが、先ずは普段の生活の中で今一度、我が身を守る、大切な家族を守る具体的な方策を項目別に作成しておきたいものである。防災の日が近づいている。

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「おじサロン」

2023年08月17日 | ニュース・世相

                                                                

待っても待っても大地を潤し、地表温度を下げる雨が降ってくれない。
送り火を焚く頃になると、そぞろ吹く風にも幾分かの涼しさを感じ始める、と言われてもいるのに全くそんな気配を感じさせない夏。この暑さいったいいつまで続くのだろう。そんな暑さ対策と高校野球の魅力に惹かれて、エアコンとテレビのおこもり生活があまり苦にならなくなった。
但しこれも、すぐ目の前に秋が近づいている、高校野球も佳境に入って優勝争いが見え始めた、そんな魅力があるから我慢できる。

今日の紙面に「おじサロン」という編集委員コラムが載っていた。
「余計なお世話だ、ほっといてくれ。一人で生きて何が悪い・・・」という中高年の男性たちからの予想外の強い反応にびっくりした。という現代社会の現実を目にした感想から始まる記事であった。

頷ける部分もあるし、もうちょっと人間らしく世間と関わって生きて行くのも悪くないよ、と反論したい部分と相半ばである。
いま、世界では孤独の健康リスクが問題視されているという。それらが昂じると「孤独」が「孤毒」、つまり毒されてしまう危険があるという。
そんな危険から身を守る一つの方法として、孤独を愛するおじさんたちのお友だちづくりのコミュニティ「おじサロン開設」というストーリー。

肩書を外し、名声も地位も外して互いを認め合い、共感する付き合い方こそが「おじサロン」の真骨頂なのだが。
私の知る限りでは、現役を遥か前に終えた人間の集まりのはずなのに、過去の肩書や専門的知見をひけらかす人のなんと多いことか。そんなものを首から外し、ゆるーく人の輪に入ってこれるホンの少しの努力が「おじサロン」の入会資格とでも言えるのかも。孤独も集団も厄介だね~~。

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