怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

今年もよく読んだなぁ。書籍のマイベスト。

2005-12-30 22:44:19 | 教育書
ざっと読んだ本の冊数を数えて、昨年と同等の50冊以上は読めているようだ。
三桁は夢かな?(でも挑戦しつづけるぞ!)

さて、月並みだが・・・読んだ本のマイベスト。

やっぱり今年最大の収穫は全生研の書籍にふれたこと。
2冊になってしまうのだが、今年のベスト・オブ・ベストにしておきたい。
「子どもとつくる対話の教育(山吹書店)鈴木和夫著」
「子ども集団づくり入門(明治図書)全生研常任委員会著」
この2冊は大きい出会いになった。
キーワードは「対話」。
今までの私が「教育技術」に目を奪われ、実は「力をつけた」とか「自信になった」とか思っていたのは幻想で、以外に知らず知らずそんなヤツがはまる罠にはまっていたことを気付かされ、目から鱗というよりは、第三の目をすえられたような気分である。

教育施策を考えるに当たってのベスト。
読みがいがあって、これからの足場になったものとして特筆したいのが、
「義務教育を問いなおす(ちくま新書)藤田英典著」
激動の教育改革の時代にあって、即応性もよく、つまらない時流に溺れずに、一教師として、どういう指針をもてばよいのかを考える基盤になった。
こういう本があると、つまらないお上の施策を受けても、粘り強く対応していける気がする。
(まだまだ捨てたものでない。こういう人がいるのだから。)

気楽に人にすすめられるものとして、ポピュラー賞を。
「<教育力>をみがく(寺子屋新書)家本芳郎著」
は、今年受け持った教育実習生にすすめた本。これも教育技術的なものに留まらない内容だった。

思想的刺激のベストには、発刊は少し古くなるが、
「デモクラシーの冒険(集英社新書)姜 尚中/テッサ・モーリス‐スズキ共著」
は子安先生との出会いを含めて感慨深い。今年の選挙も忘れられないセットになった。

マンガ部門は、
「夕凪の街 桜の国(双葉社)こうの史代」
をあげておくのが妥当かなと思う。
「今年の!」という意味合いなので、実際に、今年読んで刺激・娯楽の両面を満たしたかと言えば、ちょっと違うが、タイミングということだ。

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漢字学習「読み」優先の弊害(マスコミの不見識)

2005-12-30 17:10:56 | 教育
1日に複数のエントリーは避けてきたのだが、頭にきたので書く。

漢字けない中学生 正答3割弱 「読み」優先の弊害(yahoo!ニュース)

このニュースはなんだ?
マスコミのまた一方的な言論暴力だ。
ニュース元は産經新聞。
さもありなんだ。ベネッセの情報丸飲みでいいのか?
「読み」優先がなぜ行われたのかを分かっているのだろうか。
週5日制で時数削減のあおりを受けている教科学習。
国語も例外ではない。
だいたい学習漢字数なんて、増えたことはあっても減ったことはない。

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問題にすべきは文科省の見通しなき施策の繰り返しによる現場の混乱だ。
事実、文科省が「基礎基本の徹底」なんていい出す前から、「これはたいへんだ」と、現場では「漢字の書き」の定着に力を入れるよう自己修正をしてきている人が多いのだ。

さて、一方で今回用いられたテストについて。
まず時期が1学期中だということ。
つまり、おそらく漢字の定着がされていない時期に行われているハズ。
このことはこのテストの実施上の問題があるように思う。
続いて問題内容。(以下に記事から引用する)
【特に正答率が低かった問題例】
・水中で□息(ちっそく)しそうになる→窒〈1年0.4%〉
・□(よい)の明星→宵〈1年0%〉
・仲間から□外(そがい)される→疎〈1年0.8%〉
・強風のため□行(じょこう)運転→徐〈1年0.8%〉
・野球チームの監□(かんとく)をする→督〈1年0% 2年2.3%〉
・ホウレンソウを一□(いちわ)ゆでる→把〈1年0% 2年0.4%〉
・□下(のきした)で雨をしのぐ→軒〈1年0.4% 2年2%〉
(引用終わり)
果たして普段使われ、応用範囲の多い言葉なのだろうか?
百歩譲って100%習得すべき漢字なのかもしれないとしよう。
10年前の子どもでも得点が少ない漢字であったらどうするのであろうか。
だいたい「弔辞」「謹んで」「迅速」「卸値」「快諾」『諮問』「詐欺」「傍観」などは、大人でも書き取りの得点率が悪そうだが・・・。

最後に、国語教科の現状についてもふれておきたい。
国語の教科書が、「情報化社会」の現実を見据えた結果なのか、「情報伝達」に偏っていることは多くの識者が指摘している。
豊かな読みをする時間のないカリキュラム構成で、単なるユニットとしての言葉では、「漢字」を学習する上でも、学習の「厚み」がなくなってきているのではないだろうか。
そして、ダウンスパイラル的に子どもの国語への学習意欲は失われてきているような気がする。
私の担任する子ども達には部首解説や言葉の用いられ方、語感などを含めてじっくり「漢字学習」を行っている。
子ども達も「言葉」への興味が増し、よく言葉の意味や漢字の成り立ちを理解しようとする意欲を継続している。
「漢字学習」離れを食い止めたいのならば、「豊かな学び」を取り戻すことが先決だと、私はそう思う。

When I'm Gone(EMINEM)

2005-12-30 08:33:07 | 音楽
RAPミュージックは耳になじまず、正直、MCハマーの時代もPublic Enemyの時代もビュースティ・ボーイズの時代も、「すげえな」「ボディにくるな」「メッセージが強烈」ぐらいに受け取れたもののはまれなかった。
今でもダンサブルな傾向のものや、なんかどうでもいい内容だな的のRAP系ミュージックはゴメンである。
The Rootsのどのような硬派な方がまだいい。ウータン・クラン、DJ Shadow、まあ、少しは聴いたものもあるな。
でも、やっぱ身体に合わない。
日本人のものは真似事にすぎず、「最低!」としか思わなかった。

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そんな風に思っていたのだが、先日、MTVか何かで、日本語の字幕(しかも縦書き)入のこの曲のPVを見て驚いた。
2000年最大のヒールとか呼ばれていながら、悪ガキ兄ちゃんだと思っていたEMINEM。
この曲は我が心情に響いた。

子どもを大事しなくちゃね。
そう思った。
いや、それだけなのだが、すごく響いたのである。つまりは感動したのである。

RAPが、フォークミュージックなどのそれに比してさえ、いいストーリーテリングの方法なのだと確認できただけで、素晴らしい成果と受け取れた。