怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

学校評価(教師によるもの)を前に

2005-12-11 00:22:25 | 教育
今年度の分掌は教務。
はっきりいって、この手の白黒つけるものは苦手。
(やっぱ特別活動とか生活指導の方がいろいろ独自性も出せて楽しさがあるなぁ。)
ま。意味のないぼやきはそれぐらい。

さて、学校評価も前倒し。
以前はたいてい3学期に会議があったので、冬休み中や3学期早々に一年度を振り返る余裕もあった。
しかし、昨今は11月に評価用紙が配られるものなのか・・・。
(半年ぐらいしかたってねーよ。なんの評価だか。)
ま、(心に嘘をついて)百歩譲って、「単なる事務仕事だ!」と、「仕方ない!」としてすます。(^^;

でも、中には、直接的に学級経営等、自分の指導yくぁ言動に関係するような「学力向上プラン」(これは東京都独自かな?)なんてものもある。
これの評価はどうなる?

実は、このプランとやらがやっかいなのは、毎年「改善」を求められるということ。
昨年度、「改善案」として出されたはずが、半年程度で「改善」を求められる。
「おいおい、学力を際限なく向上しようっていうのか?」
そんなつぶやきも思わずもれる。
中長期のスパンでものを見ずに、学校の教育活動が否定されている例の最たるものだろう。

例えば、少なくとも「2年関に渡る持ち上がり担任」なんて当たり前ではないのか?
1年目に行った教育活動を否定的にみろというのではないのか?と疑ってしまう。
毎年リフレッシュすることもなく、実践の中でもみくちゃになりながら自己改革を臨む人が多い現場で、そんなプランは単なる言葉遊びでしかないことは明白だろう。
「改善」は「継続の否定」が常識ってことかい?都教委さん!。

教務の打ち合わせで思わず口をすべらせた。
私「これって、改善が先にあるのですよね?」
教務主任「よりよいものにしていくということです。来年度は○○の点を変更できるでしょう?」
私「文言の変更や軽重の切り替えの問題かな?」
教務主任「今年度実施してみて、来年度に向けて人もかわったし、いろいろ意見もあるだろう。」
私「改善の改善の改善は何が待っているのだろう?」
(突き詰めると議論が進まないので、みな苦笑い。)

「改善の改善」は「また改善」なのだろうな。ふう。

だいたい、学校評価といいつつ成果をふまえて前進するなんてどこまで周知徹底されているのだろうか?
我々が向き合っているものとは別に、「言い訳」のための安全弁作りをしていっている感触にやるせない気持ちになることがある。
お上から降って来るものの多くはそんなものだ。
ここでいう「改善」は「現状肯定」は含まれないのだから。