怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

国語教科書の思想(ちくま新書)石原千秋vol.2

2005-12-24 00:04:10 | 教育書
この冬は読了を目指さなければいけない読み途中の本が山積みだ。
で、なんとか賞味期限ギリギリ(=意味なし)で読了したこの本。

作者:石原の教科書に対する批評・考察はもっともなものが多かった。
が、読み終わるまで「この人は、今の教科書がどうあればいいのか具体的なイメージを示していない」と感じていた。
道徳的な国語教科書への疑念、教科「文学」の立ち上げの必要性はわかるのだが・・・。
そう首をひねっていた所、あとがきにきてその点の一部は氷解した。

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この人は読み手の主体的な読みの自由を確保し、多様に深化していく読解力、表現力を育みたいのではないのか。
しかし、一方でPISAを用いて日本の国語力の偏りを指摘しているのだが、逆に考えて、偏りはあっても、獲得している国語力の高さはどこで保障され、その点への評価や継続の可能性については言及しきれいていないと感じる。
また、PISAと同時期に改定がなされている教科書なだけに、はたして教科書がどれだけ国語力低下という問題に接続しているのかなど、教科書から離れた部分での疑問はつきない。

私自身がこの本から受け取ったものを記述しておこう。
教科書改訂後、とてもよく聞く話が、じっくり取り組める「読み」教材が減ったということ。
道徳的内容に偏っているのかもしれないが、「読み」の実践は、そんなことばかりによって進んではいないということ。
私自身、石原からの指摘を受けなくても、例えば「環境」に関わる題材であれば、この「環境」に関わる文章の情報の視点がどこにあるのか、新しいのか、現実的な取り組みはなんなのか、そういったことを考えて授業を組んでいるし、「道徳的」ないようが含まれるものでも同様にやっている。
問題は、授業時数削減や総合的な学習の時間、社会的な要請に対する安直な対応の方が深刻な国語力低下やその事項に関する混乱の引き金になりそうだということだと思う。
あまり指導する教師を歯車にとらえるのはマズイのでは?と思うし、我々教員はなめられてはいけない教養をもたなければならないと襟を正そうと思う。