怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

あきらめの時代の恐怖(公務はやるけど先生はやらん)

2005-12-17 00:10:48 | 戯言
教職員組合の組織率30年連続低下 文科省調査(asahi.com)

前から言っているが、私は日教組の体質が嫌いだ。
労働組合としてのレベルというのだろうか、とにかく活動団体として第六感が否定的にはたらくのだ。
いろいろ論証をあげてもいいが、活動の下手糞な集団だと思う。

今、その議論はおいておいて、今回のニュースをきっかけとした「組合の組織率の低下をどうみるか」という自分なりの視点を記述しておきたい。

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組合は25%程度の組織率しかないということは、歴代の首相の支持率などと比較して考えれば、もう「支持されない」、もう「言うことが信じられない」、そんな様相だということではないだろうか。
既得権や教育実践の足跡などを見る限り、歴史的な成果の一部は評価できるものもあるが、現在(ここ10年くらい)の活動については全然評価に値しないものが多いと考えている。
実践的な部分や組合としての主張などについては、同じ労働組合でも、全教の方がまだ(イデオロギッシュだが)筋を通している気がするし、へんではない。
(ま、こちらの方が支持率的にはヤバイが・・・そればかりでもねぇ)

翻って、周囲を見回して非組合員を考える時、そんな組合の声をごま臭いものと耳を塞ぐ者も多いと見える一方、「あきらめのムード」がただよい、「時流に流される体質」まで獲得している者までいるように思える。

決してレトロではなく、また労働組合活動とは離れた視点で、私は、教師集団が今まで獲得してきた、あるいは実践してきた教育活動の成果を評価したいとも考えている。
民間教育団体では、非常に有効な教育技術も開発されているし、指導要領にのらない部分でも、子どもの育みに有効な教育は可能である事例はたくさんある。
私は、そういった意味で、もっと「教育」というものは可能性があってよいものであるし、学校・教師に、そのための自由を与え、そこの専念できるように教育のシステムを改善していくことは有効であると考えている。

しかし、現実は逆向きである。
我々の周りで、あきらかに「創造的、共同的教育活動への希望」は失われ、「成果」と「管理」が押し付けられて、教師は「お役所的公務員」であることを余儀なくされつつある。
こんな「センセイ」やるのも疲れるのである。
そんな人が周りに増えていませんか?と聞いても、そう聞くような人にはわかりにくいだろうけれど、「そうだよ」と感じているとは応えてやりたい気もする。