怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

労働者としての一面(日の丸、君が代問題)

2005-12-05 00:11:12 | 戯言
「君が代」問題:研修でも「反対」ゼッケン、教諭ら9人戒告/東京(毎日新聞/yahoo!ニュース)

この件に関して、行き場がないのだなと感じた。
研修中にゼッケンがなぜいけない?という疑問の提示はレベルの低さを感じるが、すでに法規制も処分もでている問題に対して訴えられる場所はないのだなということだ。
この研修に強制参加させられている者たちは、徹底抗戦する場所を間違えており、おそらくその行為は労働組合活動的なもので、捨て駒的な行く末を想像してしまうので、正直、悲哀を感じる。
個人的にはゼッケンのようなことはやめて、早く実務に戻り、クールに現実を攻めていく方法をとってほしいものだと思う。
こういうことを労働組合で煽動してやっているとしたら、早くやめさせるべきだし、他の方策を考えるべきだ。
こんなことは市民の理解を得がたくするだけでなく、問題を不要に拡大させ、核心を突きにくくすると思う。

君が代、日の丸問題に関しては、法規制があるものの、東京都の異常な介入は人権問題ととらえて欲しいものだと思う。
東京都には、末端公務員の扱いに関してそういった(無駄なエネルギー放出を伴う)強攻策をとるのならば、いいかげん労働条件改善をして欲しいものだ。(これは厭味でいっている)

ネットでは「だったら教育公務員をやめろよ!」「やめてから裁判でも市民活動でもなんでもやればいい。」「私立に行け!」という短絡した思考の持ち主に出逢うことがある。
これは公務改善が内部からはできないことを認めたことになる。
こういう人は問題を直視しないだけでなく、公務員以外の仕事の労働条件改善にもきっと耳を塞ぎたいへんな人なのかではないだろうか。
「がんばってよ、室井さん。」はドラマだけの話ということがわからない人なのではないだろうか。


個人的には、このブログの隠れた(?)目的でもあるのだが、上の教育施策が間違っている以上、内部告発的な部分も含めて批判を加えていかなければならないと考えている。
そしてそのことは使われている側の権利であると思うし、公務員ならば義務的なことだとも思えるのだ。
なにかといえば、「公務員的資質」や「「公務員としての信用失墜行為」を振り上げて労働条件を始め、人権を無視する施策に明け暮れてきた東京都は重大な責任過失があり、都民をはじめ、末端公務員に多大な負荷を無用にかけてきた。
公僕としての公務員を考えれば、公務員意識と呼んでいいのかどうかはわからないが、そういったものを都合良く分断して考える「お上」にはほとほと嫌気がさす。
我々公務員は馬鹿な「お上」につかえることで成り立っているのではないと信じたいものだ。
ゼッケンをつけて臨みたいのはなにも研修の場所だけでない。

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