漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント 古い話で章 その50

2015年05月05日 14時32分48秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、東京池袋にある『芸術劇場通り』を椎名町方向から撮影した写真です。 およそ芸術劇場とは無縁な通
  りには風俗や飲食店の入る雑居ビルが並び、奥の方へ進むと美しい並木道になるのですが・・・・・・・・ヤクザの
  事務所や、風俗嬢の置屋などが目立つ・・・・・・・・新しい様に見えて古いままの雑然とした街なのです・・・・
  ・・・・《 2015年、4月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                     その50


    《 漫画家アシスタントが・・・・・自分のデビューに驚く・・・・・!? 》


 「 デビュー?・・・・・・そう言えば・・・・・・したね 」

ゴミ屋敷の様な4畳半で、ゴキブリとムカデを飼育(?)しつつ漫画家になる事を夢見る仲田さん( ※参
照 )も、Jプロ( ※参照 )に入ってから丸5年が過ぎていました。

風呂嫌い、洗濯嫌い、長身に長髪で人を寄せ付けない暗い人柄、才能があるんだかないんだかさっ
ぱり分からない・・・・・・・・・・
 
・・・・・・こんな人がホントにデビュー出来たのだろうか?
 
そんな疑問も残る・・・・・・・いや、ひょっとすると氏の話は嘘かもしれないと・・・・・・・・
 
でも、そんな嘘ついても余計にみじめになるだけだし・・・・・・・・・・・・・・
 
私は、すっかり白髪頭になった仲田さんの話を聞きながら( つい )失礼な事を考えてしまいました・・
・・・・・・・
 
でも・・・・・・確かにデビューしたのは本当の様です・・・・・・・・・・

それも、J先生( ※参照 )の一番弟子であると同時に、一番最初にデビューしたのがこの仲田さんだっ
たのです。
 
よほど人材に恵まれなかったJプロだったのかどうか・・・・・・・・とにかく、1974年前後に他の
スタッフ( ※参照 )よりも早くデビューするわけです・・・・・・・・。
 
J先生の弟子になってから約6年目( 1975年 )仲田さんが23歳の時でした・・・・・・・
  
当時、先生は盛んに若い弟子たちに作品を見せに来るように奨めていました。
 
ギャグ漫画が好きな仲田さんは、数本の作品を持って行っていました。
 
他のアシスタントも同じ様に漫画原稿やネーム( 漫画シナリオ )を持って行っていましたが・・・・・
・・・・何度もダメ出しされるうちに描かなくなってしまうのです。
 
しかし、仲田さんはあきらめずに先生に向って行きました。
 
画風は、当時有名だったY山光輝先生( ※参照 )の画風に似たキャラクターでギャグ漫画を描き続け
ていました。
 
いつもの様に持って行った作品(16ページ)ですが・・・・・・・・意外にも先生が褒めてくれたの
です・・・・・・・・
 
そのまま原稿を預けて数日・・・・・・・・・・何も知らされぬまま時は過ぎ・・・・・・・・・
 
その間、先生は独断で漫画雑誌Jの増刊号に掲載を推薦してくれていました。

『 月刊少年J 』の別冊はS英社の雑誌で、当時「 新人特集 」をやっていた4人の新人の中の一人と
して掲載される事に決まったのですが・・・・・・・描いた本人は知りません。
 
 「 おめィ~の漫画、新人特集に出るから 」
 
・・・・・と、告げられてビックリしたのは仲田さんです。
 
 「 1ページ削って15ページで載るからな 」
 
 「 ・・・・・ええッ? 」
 
仲田さんのギャグ漫画がデビュー作になった瞬間です。
 
ちなみに、この4人のうちの一人がY沢きみお先生( 後に『 ○んだカップル 』でブレークする )でし
た。
 
つまり、Y沢先生と同期でデビューしたわけです。
 
私は、それを知りませんでしたから、改めてJプロの先輩である仲田さんを見つめます・・・・・
 
 「 23歳でJ系の雑誌でデビューなんてすごいじゃないですか! 」
 
 「 そんな事ないよ。当時の『 少年J 』なんてマイナー雑誌で、全部新人ばっかりだったし 」
 
 「 それで、担当の編集員とはどんな話を・・・・・? 」
 
 「 担当? 知らない。 会ってない 」
 
 「 編集部へ行ってないんですか? 」
 
 「 編集? 行ってない。 全部先生がやってくれた 」
 
そして、この輝かしいデビュー作品が・・・・・そのまま最後の作品になってしまいます・・・
・・・・・・・
 
 
 
      「 漫画家アシスタント 古い話で章 その51 」( 5月10日以降公開 ) へつづく・・・・
 

            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その49」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。 
  現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
 ・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のスタッフが
  在籍。しかし今年2014年にはスタッフ2名。連載は1誌。ちょっと淋しい今日この頃です。
 ・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
  連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2014年現在、71歳。1969年当時は26歳。
 ・他のスタッフ・・・1975年当時、22歳~25歳ほどの若者が2,3人、Jプロで働いていました。
 ・Y山光輝先生・・・・・1960年代に手塚先生と漫画界の人気を二分した大御所漫画家。ロボット
  漫画の「○人28号」や忍者漫画の「○賀の影丸」は少年ファンに絶大な人気があった。
 
 
 
 

 
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 ★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
   (ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

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