( この写真は、夜の東京目白通りである。学習院前から目白駅方面に向かって写したものです。
時間は夜8時、この辺には店舗が一軒もありません・・・淋しい通りなのです。 《 2007年6月 撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その53
深夜の目白通り・・・自転車をこぎながらさっき貰ったS氏の名刺に印刷された
「 副編集長 」という肩書きを何度も思い出していました・・・・。
もう少し違った対応がとれなかっただろうか・・・・・。このままではヤングM
でのデビューはキビシイのではないか・・・・・。
今、描いている「 死亡少年 」がヤングMで高い評価を得れば私の勝ち。もし、
ボツになれば私の完全敗北・・・・・。そうなったら立ち直れるだろうか・・・・
犬のクソでも食べてしまった様な・・・胸の中にモヤモヤとした不快感を抱いた
ままノロノロと自転車を走らせました・・・。
人類が滅亡してしまった様に人気のない静かな目白通りを一人で行く孤独感を今
でも忘れません・・・・・。 殺伐とした気分のまま夜道の様に暗い明日へペダ
ルをこぎつづけたのです・・・・・・・。
「 ああ・・・あのS君か・・・知ってるよ。前は主婦雑誌にいたんだ・・・ 」
業界の関係者から聞いた言葉に私は驚きました・・・! 主婦雑誌をやっていた
人が漫画雑誌の副編集長を・・・?! いったいK談社は何を考えているのか・・
・・。漫画の「ま」の字も知らない人を副編集長に・・・・・・・・・! そう
いえば・・・同じ頃にJ先生がこんな事を言っていたのです・・・・
「 若いの( 新人漫画編集員 )がよォ、2,3年してやっと仕事( 漫画の )が
出来る様になったと思ったら、すぐ飛ばされるんだぜェ・・・・。もったい
ねェよなァ・・・もうサラリーマン( お役所人事 )と同じだぜェ・・・・ 」
その後、私は何人もの編集員に会ってきましたがその中には・・・
「 本当は文芸誌をやりたかったんですよねェ・・・漫画って興味なかったん
ですよォ・・・ 」
などと言う人もいました・・・・・・。
1986年夏・・・。 私は挑みかかる様な気持ちでK談社ヤングMへ「 死亡少年 」
を持ち込みます。S氏と会ってから2ヶ月ほど経っていました・・・・。
直接編集部へ行って、その場にいた編集員に原稿を渡して来るのですが、「 Cて
つや賞 」への応募作品として持って行っただけで、細かい感想などは聞きません
でした。
気分的には、一ヶ月後の発表を待つだけ・・・。そして、S英社の漫画賞に応募
するための作品「 雨のドモ五郎 」の構想に取りかかっていたのです・・・・・。
ヤングM編集部の若い編集員に「 死亡少年 」をあずけて帰る時にバッタリとS氏
に出会います・・・・。
S氏は私の「 死亡少年 」には、まったく興味を示す事もなく・・・山谷の日雇い
労働者を見る職安の受付係( と、言うよりも・・・薄笑いを浮かべた手配師 )の
様な目つきで・・・・・・
『 バイトでアシスタントやらない? 稼げるよ! 』
もちろん私がJ先生のアシスタントであり、必死にデビューし独立しようとして
いる事を充分ご存じだったはずなのに・・・・・。
元主婦雑誌のヤングM副編集長にアシスタントのバイトを勧められた時・・・。
私は青年の心意気でヤングMに「 死亡少年 」を持って来た事が逆に「 虎の尾を
踏む 」結果になってしまった事を冷や汗をかきながら悟ったわけです・・・・・
「 漫画家アシスタント 第4章 その54 」へつづく・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第4章 その52」へ戻る 】
【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
時間は夜8時、この辺には店舗が一軒もありません・・・淋しい通りなのです。 《 2007年6月 撮影 》 )
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その53
深夜の目白通り・・・自転車をこぎながらさっき貰ったS氏の名刺に印刷された
「 副編集長 」という肩書きを何度も思い出していました・・・・。
もう少し違った対応がとれなかっただろうか・・・・・。このままではヤングM
でのデビューはキビシイのではないか・・・・・。
今、描いている「 死亡少年 」がヤングMで高い評価を得れば私の勝ち。もし、
ボツになれば私の完全敗北・・・・・。そうなったら立ち直れるだろうか・・・・
犬のクソでも食べてしまった様な・・・胸の中にモヤモヤとした不快感を抱いた
ままノロノロと自転車を走らせました・・・。
人類が滅亡してしまった様に人気のない静かな目白通りを一人で行く孤独感を今
でも忘れません・・・・・。 殺伐とした気分のまま夜道の様に暗い明日へペダ
ルをこぎつづけたのです・・・・・・・。
「 ああ・・・あのS君か・・・知ってるよ。前は主婦雑誌にいたんだ・・・ 」
業界の関係者から聞いた言葉に私は驚きました・・・! 主婦雑誌をやっていた
人が漫画雑誌の副編集長を・・・?! いったいK談社は何を考えているのか・・
・・。漫画の「ま」の字も知らない人を副編集長に・・・・・・・・・! そう
いえば・・・同じ頃にJ先生がこんな事を言っていたのです・・・・
「 若いの( 新人漫画編集員 )がよォ、2,3年してやっと仕事( 漫画の )が
出来る様になったと思ったら、すぐ飛ばされるんだぜェ・・・・。もったい
ねェよなァ・・・もうサラリーマン( お役所人事 )と同じだぜェ・・・・ 」
その後、私は何人もの編集員に会ってきましたがその中には・・・
「 本当は文芸誌をやりたかったんですよねェ・・・漫画って興味なかったん
ですよォ・・・ 」
などと言う人もいました・・・・・・。
1986年夏・・・。 私は挑みかかる様な気持ちでK談社ヤングMへ「 死亡少年 」
を持ち込みます。S氏と会ってから2ヶ月ほど経っていました・・・・。
直接編集部へ行って、その場にいた編集員に原稿を渡して来るのですが、「 Cて
つや賞 」への応募作品として持って行っただけで、細かい感想などは聞きません
でした。
気分的には、一ヶ月後の発表を待つだけ・・・。そして、S英社の漫画賞に応募
するための作品「 雨のドモ五郎 」の構想に取りかかっていたのです・・・・・。
ヤングM編集部の若い編集員に「 死亡少年 」をあずけて帰る時にバッタリとS氏
に出会います・・・・。
S氏は私の「 死亡少年 」には、まったく興味を示す事もなく・・・山谷の日雇い
労働者を見る職安の受付係( と、言うよりも・・・薄笑いを浮かべた手配師 )の
様な目つきで・・・・・・
『 バイトでアシスタントやらない? 稼げるよ! 』
もちろん私がJ先生のアシスタントであり、必死にデビューし独立しようとして
いる事を充分ご存じだったはずなのに・・・・・。
元主婦雑誌のヤングM副編集長にアシスタントのバイトを勧められた時・・・。
私は青年の心意気でヤングMに「 死亡少年 」を持って来た事が逆に「 虎の尾を
踏む 」結果になってしまった事を冷や汗をかきながら悟ったわけです・・・・・
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