観音菩薩を拝む
を書き始めてみて、色々疑問が湧いて調べたが、中々答えが見つからない
どころか、ますます分けがわからなくなってきている。
観音菩薩を拝む
で、菩薩て何だろうに思いがたどり着いた。
広辞苑頼みで、引いてみる。
まずそもそも論
「悟りを求めて修行する人。」とあり、
原始釈迦仏教では、悟りを開く前の修行中の釈迦を表すらしい。
それに対して、一世紀頃にまとめられた「ジャータカ」によると、「釈迦の前世の修行の姿を菩薩といい、前世では慈悲行(菩薩行)を行ったので、今世で、仏陀となった。菩薩とはこの前世の釈迦のことを表し、仏陀となったのは釈迦だけである。
ところが、その後作られたと思われる「般若経」によると、菩薩とは摩訶薩(マハーサットヴァ) 大きな志を持つ人、一般修行者のことになるらしい。
また、3世紀頃表された 華厳経によると菩薩の中には観音菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩等々の大菩薩、つまり仏陀になりうるにもかかわらず衆生を勇気づけるため菩薩で有り続けている
と言うことになる
つまりもともと釈迦の修行中の姿を表していたのが、前世での修行中のこととなった。この段階では釈迦一人のはずが、一般名称となつて、誰でも修行中であれば菩薩と名乗れる。つまりこの段階で誰でも修行すれば仏陀になれる道が開いた。
さらに、あれよあれよという間もなく数多の菩薩が誕生した。