怠るな!

残しておきたいことと残しておいてはいけないこと

年寄りの歩きスマホに寒灸(かんやいと)

2023年01月19日 03時31分05秒 | たわごと
いやぁ情けない、面目ない
歩きスマホという程ではないのだが、歩きながら何となくスマホの画面を見たのがいけなかった。
画面には予約した内科医の診察順番が表記される。
私の番号は13番。医院を出てくる時は3番の人が診察中だった。
十人あとなら一時間はあると、思ったので先ずはコンビニへ行った。請求書が来てた介護費用を払った。それから時間つぶしのウオーキング。坂道を神社の方へ上って行った、その時よせばいいのにスマホで医院の順番をまた見てやろうと思ったのが間違いだった。さっきから十分以上経っているのに同じ3番だった。あれ?そんなばかなとリセットボタンを押したが、リセットが上手く効かない。がちゃがちゃ、ふと気付くと、電信柱の支えのポールをまたぐようなカッコウに。あわてて右足を跳ね上げたら、バランスが崩れて歩道に左膝から真っ逆さま、弾みですってんころり。
上の方から自転車の御婦人。「大丈夫ですか?」
あわてて身体を起こし「あー、大丈夫です」と笑って答えたが……

情けなや!

寒灸歩きスマホの愚か者

綾小路きみまろ氏の本より

2023年01月15日 20時29分29秒 | たわごと
「人生は七十年代で決まる」綾小路きみまろ氏の本より

『私もご多分にもれず「あの人なんて言うんだっけ?」と名前がなかなか出てこずにもどかしい思いをすることが以前より確実に増えました。記憶を再生する力が衰えているのでしょう。
もっとも公演中は不思議と台詞(せりふ)を忘れることはありません。これは私なりに開発した記憶術を使いながら、しつこいほど練習をくり返すことで、体の奥深くに染み込ませているからでしょう』
やっぱりね~すごいですね
彼の人気がすごいのも、笑いが取れるのも
彼の言う「しつこいほど練習をくり返す」こんなの並大抵の努力では書けませんよ
見習わなければ……

『やる気があるから行動が起こせるというものではなくむしろ行動することで、次第にやる気が出てくる。』
これも本当にそうでしょうな、私も自分のルーティンは早口言葉から始めてます。早口言葉を言うと、何となくやったという気になって、次へ、次のステップへ行きやすいんですよね。

鉛筆で文字をノートに書いてみると思わぬ発見があった

2023年01月11日 20時59分41秒 | たわごと
俳句を始めて、6年がたった。昔若いころ詩が好きだった。現代詩といううジャンルだったか、左翼ぽい詩を時代の流れで好んでいたようなかっこをつけていたような気がする。物書きに憧れたこともあった。東京の片隅で不貞腐れてプータローの成れの果ての人生を歩んでたかもしれない。それはそれとして、現実では詩とは全く別の世界で生きてきたが、その人生も終わりになろうかという年になると、その昔の詩人に憧れた自己が顔をもたげた。また、やってみようか?また詩を書いてみようか?まだ詩を書く感性が残ってるだろうか?そんな思いから俳句に取り掛かってみた。はじめて見てわかったことは、そのむつかしさもあるが、俳句という表現手段には馴染めなさというか限界を感じることがしばしば出てきた。
例えば今当面している親の介護というか親を看取るという局面にあってそのことを、俳句に取り上げることがに非常に困難なこと思いが至った。親という一人の人間が死を前にしてまさに孤独な戦いをしているのだが、そのことはとてもじゃないが五七五では表せない。ならばということで一冊のノートを買ってきて鉛筆でひとますひとますを埋めてみた。調子がいい。ノートに鉛筆で一字一字書くことで、頭の中で考えが逆に、まとまることに気付いた。スマホで、パソコンで文字を埋めていく時にこんな感覚は味わえなかった。そうやって書いたノートを次の日にパソコンを使ってブログへとアップロードする。その時は文章の体裁や表現方法をチェックするのであって、思考回路はほとんど使ってはいない。

一人酒の……

2023年01月09日 09時21分14秒 | たわごと
 その昔、会社勤めだった頃同僚の誰だったか忘れたが、家では酒を飲まないと言う人がいた。その頃の私は家でも外でも飲んていたので、へぇ~変な人だなあ家では酒を飲まないのか?ひょっとして奥さんに頭が上がらないのか、なんておもったりしていた。
暮に息子が帰ってきて、酒を飲みながらこの夏から飲んでないという。聞いて見ると、四十代独身の息子は家では一切飲まないという。酒が飲めないのではない、私より遥かに強いのに、飲まないという。外では以前はコロナ前までは結構飲みにいってたようだが、最近は飲みに行かなくなったそうだ。
 そうなんだな、酒は一人で飲むものではなくて、人とのコミュニケーションで飲むという考えなのだな。わたしにはまったくなかつた発想だが、今から思えば正しい判断のように思える。私のように外でも家でもというのはアル中候補者というかアル中そのものなのかもしれぬ。

「人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む」
あの格言通りになっていくのだから

 ええことに気付いた、老人性アルコール中毒から脱却するにはこれや

「ひとり酒の戒め!」
「ひとり酒の禁止!」ではなかろうか

家で一人飲むなんてまさにアル中だわな。

三、四十年前に気付いていればね…

幽閉ー続き

2023年01月07日 19時21分18秒 | たわごと
移動のストレッチャーから母はまるで見知らぬ人を見るような眼で私を見上げた。マスクのせいで分からないのか?と思ってマスクをずらしたりしたが、反応は変わらなかった。私が母の額に手をのせようとすると、目を閉じようとする、まぶたを動かすことが母にできる唯一の意思表示なのかも知れぬ。そうやってまぶたを閉じようとするのを見ると、それは不審者からのがれようとする仕草のように思えた。写真に残さねばとスマホを向けたがそのスマホに敵愾(がい)心ではないが、見知らぬ異物かなにかを見るように私には思えた。でなければ全くの無関心の体であった、少なくともそのとき、私にはそう思えたが、後で撮れた写真を見てみると目はしっかりレンズを見つめているようにも見えた。

母は病室へ連れていかれ、私は転院の手続きでこれでもかと判子を押した。すべて終わった。また、新たな母の幽閉生活が始まる。

転院の時かあるいは最後の時が来なければ面会は出来ません。

看護士が何かの時につぶやいたそのことばを反芻しながら、どこか遠くへいきたくなった。

車で三十分ぐらいのところにある深山公園の池へ行ってみよう、昔母をつれてよく行った池だ。この時期ならコハクチョウや鴨がいるはずだ。




鴨たちはうるさいぐらいの鳴き声で、餌をあさっていた。いや餌を奪い合っていたのかも、町から近いのでよくパンを持って人々が来るのだ。自分が一番エサにありつこうとしているのだろうが、何も言わず、何の意思表示もなかった母のことを思うと、その生存競争力にはある意味頭が下がる思いだ。人はこれほどまで自己の欲求に最大限の努力をするだろうか?それにしてもこの鳴き声はどうだ。母は一声も発しなかった。声が出せないのだ。胃瘻の後遺症だ。私も母で目の当たりにしたのだが、どうやら胃瘻の人は口から食べなくなるので口が退化すると言うか一種の炎症からなのか声が出なくなるらしい。あの大岡信さんも晩年は胃瘻から、声を失われたという。母の場合は声を失うと同じくしてコロナ禍という幽閉の地に追いやられ、声だけでなく自分すらも失ったかのように見える

幽閉ー転院 垣間見た現実

2023年01月05日 19時59分05秒 | たわごと
まる二か月もの間の幽閉、外部と遮断された空間に閉じ込められ、時折窓のカーテン越しに空の片隅が見えるだけ。眼で追いかけることができる中に知った顔はない。仏教の解く「眼(げん)視覚」以外ほどんどなくした者が閉じ込められたらどうなるか?「耳(に)聴覚」はほどんど無くなっていた。補聴器は紛失するからと数年前に取り上げられていた。「鼻(び)臭覚」はあるが、食べ物や花等とは無縁になってしまっていたので、自らの汚臭がただよってくるだけだった。「舌(ぜつ)味覚」は二年前に胃瘻というあのおぞましい手術を受けたがために取り上げられてしまった。「身(しん)触覚」はかろうじて残ってはいるものの脳梗塞の後遺症で左半身付随のため右側だけ、しかも皮膚はかさかさとなってほとんどわからなくなってきた。「意(い)知覚」だけはしっかりしていたはず、しっかりさせなければ…と思ってはいたのだが……。

多分、98才の母の心の中を覗くことができれば、このようになるのではないだろうか。ニか月の幽閉とは入院だ。コロナ禍にあって、入院とは幽閉を意味する。まして高齢者の入院とは人の「意(い)知覚」能力すらも奪ってしまう。

テレビドラマ「トラベルナース」で「医師は病気を診て病気を治す。ナースは人を観て人を治すことができる」という名台詞があったが、けだし名言。
医師によって肺炎が治っても、人が人で無くなってはたまらない。

母の病気は良くなる方向になっているとしても、母が母でなくなり、私が誰だかわからなくなった…

人が人でなくなっても、病気が治れば良しとする風潮はいかがなものか

ナースは?、人を観て人を治してくれるナースは?

岡山、第一日目の夜

2023年01月04日 19時49分55秒 | たわごと
寒いので家から持ってきたハロゲンランプをつけて、布団に潜り込んでいる。

晩御飯のおにぎりは5時前にエアコンのある部屋でテレビ見ながら

やはりハロゲンランプはあったかい
助かった布団に潜り込んでラジオのニュースを聞きながら

こうしてスマホに手が伸びる

いかんいかん
今年からスマホは2時間以内と決めていたのに

今日は130分を超えてしまった


読書とネットサーフィン

2023年01月03日 19時48分15秒 | たわごと
今はネットサーフィン(この言い方も古いのか?)で事足り、
読書は暇人のやること?
のようなご時世らしいが

どおも、情けない話たが、ここ数日の間に何方かが
そのことについて書くか、話すかされていた

それを私は耳に入れたのだが(あるいは目に入れたのか?)
どぉも情けない話
思い出せない

ネットサーフィンとは言ってなかった
SNSと言ってたように思うが

さあ?何だったか?
じれったいが
思い出せない

人が居るとか居ないとか
人の存在がわかるとか

読書は著者との対話だが‥‥…