怠るな!

残しておきたいことと残しておいてはいけないこと

(4)興福寺阿修羅像

2013年12月19日 22時06分45秒 | お気に入りの仏像



興福寺の阿修羅像
展覧会で見ることがあるようだが
いつも長蛇の列
人気はすごい

この写真を撮ったカメラマンにその昔聞いた話だが
「阿修羅像の腕や足はあとからくっつけたもんやから
写真には全体像をとる気がせえへん」

興福寺といえば今では奈良を代表する古刹だが
あのころ
ほとんどの僧侶が逃げ出して春日大社の神官になったという記事を読んだことがある
五重塔は売りに出され薪にされる寸前だったとも聞いた
明治初頭の廃仏毀釈

ひょっとしたらこの阿修羅像
その時の標的にされたのだろうか


そうおもってじっと目を見ると
哀れな行いをした我々を許すかのような慈悲
のまなざしのように見えてくる

この像も角度によって見方を変えてくれる
この写真にあるように私も斜め左からやや見上げる角度のお顔が好きだ
正面は固くっていやだ
よく正面からの写真を取り上げているが
つんとしすぎている

これだけ好まれている仏像なんだから
その略歴少なくとも
修理履歴ぐらい明確に示して欲しい
そして廃仏毀釈のことも重ねて説明して欲しい

ああ実物に お目にかかりたくなってきた







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(3)宝菩提院 菩薩半跏像 仏像は誰のもの?

2013年12月12日 21時21分11秒 | お気に入りの仏像



菩薩半跏像がある。この仏像もまたわたしが学生の頃気に入ってその後何度も訪ねた仏像だった。

親を連れて行ったことも子供たちを連れて行ったこともある。

仕事にかまけたり、転勤があったりでいわば空白の数十年を経て

この仏像は居を変えた

私が最初に訪れた1970年代には、勝持寺(花の寺)に客仏として安置されていた。
記憶が正しければ庭園とは別個に拝観料を払う仕組みだったように思う。

研ぎ澄まされた若者のような風貌の目に射られるような気になった。

阪急の長岡天神の駅から日に数本しか出ていないバスに揺られて着いたバス停から
十数分歩いて行った。

京都市内とはいいながら、ほとんど一日がかりで訪ねた
たぶん厨子もなかったように思う。斜め左横から見たお顔がその研ぎ澄まされた感じが強く出ていた。

向日町にあった寺が発掘のためにこの花の寺に安置されていると書いてあった。
その後何度かお伺いしたが同じように渡り廊下を歩いた離れのような部屋に安置され
てあった。


空白の数十年から立ち返って訪れると花の寺ではなくその隣りに新しくできた
願徳寺に安置してあった。
これが宝菩提院だそうだ


ブザーをならせと書いてあって、ならすと「庭はありませんよ」
といわれ、苦笑しながら仏像にお参りしたいとつげた


立派なコンクリート造りの建物に安置されてあった。

センサーがそこかしこにあって
撮影は不可ですと大書きしてあり
どこかからカメラでのぞかれてるような感じだ

ぴっちりした厨子に入っているので
斜め横からは拝むことが出来ない


展覧会場なら
自由に見ることができるが

ここではそれができない

そもそもこのお寺は本当に宝菩提院なのか?
向日町にあった宝菩提院なんだろうか?

仏像って誰のものなんだろう?
作者=仏師のものか?
施主=寺のものか?
そして時代が経って何百年以上もたったら

少なくとも国宝と名が付けば
国のもの我等日本民族のもの
そんな気がするが
何だか今日この願徳寺でこの仏像を見ていると
そうは思えなくなってしまう



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(2)観音寺の十一面観音像(続)

2013年11月28日 20時49分39秒 | お気に入りの仏像


大学生の頃、観音寺を訪ねたと書いた。
それから数十年がたった。
色々な事を経験しながら私も日本も変遷を遂げた。

仕事に就き、結婚して子供ができ、転勤があり、子共たちが巣立ち
再び関西の地に戻り、やがて暇が巡ってきたとき
無性に仏像をみたいと思った。
企業にもまれていた頃にはそんな余裕がなかった。
休日は寝るだけだった。本は企業人たるためか、時代に遅れまいとするためのHOW TO本だけだった。
転勤先の信州時代の最後に信州の寺々に三十三カ所巡礼をした。
残念ながら、こと仏像に関しては失望の連続だった。
それが再び私の心に灯をともしたのかもしれなかった。

2002年に戻ってから京都奈良の寺を車で廻った。
信州時代に拝みたくってしょうがなかった平安鎌倉期の仏像を見に行った。

浄瑠璃寺から一休寺と廻って行ったとき、「あれ、観音寺はこの近くじゃなかったかな?」
見覚えのありそうな景色を探し(その頃乗っていた車にはナビがなかった)たが見つからないことが続いた。

何度目かのトライで探し当て記憶とはやや異なった少しはお寺らしいたたずまいだった。

案内されて通され、厨子の扉を開けると金色の壁に真っ黒の仏像が浮かび上がった。
ご住職がわたしがもっていたカメラを見て撮ってもいいですよと仰っていただいたので
パチパチ何枚も撮らせていただいた帰ってみたら金の仏像のように見える。

前回載せた写真はその時いただいた観音寺のオリジナル写真で
学生の頃見たかたちはこちらだったと思う。

今はごらんのように厨子に入っておられ厨子の内面が金箔のため
写真に撮るとあたかも金色の仏像のように見えるが
実物は黒いままで何も変わってはいない。
仏像は変わらないがわたしたち見る者が変化したので
あたかも仏像が変化したように見えるのと似ている

和辻哲郎さん、亀井勝一郎さん、岡部伊都子さん、白州正子さん色んな方が仏像の見方を
伝授されてきたが若い頃はまるで教科書を見るようにして読んでいたが
今になって思えばどこか違うなあと思えてならない部分があった。

それが何かはっきりしないがひょっとしたら書き続けることでわかってくるかもしれない。

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(2)観音寺の十一面観音像(国宝)

2013年11月21日 20時07分33秒 | お気に入りの仏像


この仏像と初めて対面したのはもう45年ほど前のことになる。
大学生の頃だった。
大學は東京の私大だったので休みになると関西へ戻ってきては少しずつ寺廻りをしていた。
テキストは「京都の仏像」等の淡交社の本だった。

この仏もその一つでとにかく白黒の写真に心ひかれた。

当時は公共交通だけが足である学生の私にとって観音寺のこの仏に会うのは一日がかりだった。

当時のことを思いだそうとするが、電車やバスを乗り継いでたどり着いた京都というよりはるか遠くの田舎道だった。砂埃をモウモウと立ち上げるバスからおりて運転手に教えてもらった方向へ歩いてたどり着いたことだけは覚えている。

それまで訪れた観光寺と違って門もなければ案内もなかった。寺と言うより民家の前にたたづんでる農家のような家に「仏像を見に来ました」「この本に載っていたのです」と伝えて納得して拝ませてもらったことを覚えている。

観光の寺以外の寺にお参りしたのは初めてでそこの奥さんのような方がまあわざわざおいでいただいてと言うような言葉をかけていただいたような気がする。

黒光りの仏像のほのかなやさしさを感じた。


後にも先にもその一度だけ拝ませてもらったのがまるでまぼろしのような思いで数十年が過ぎた。

人はなぜ仏像を巡り、拝むのだろうか?
原始釈迦仏教では禁じられていた
偶像崇拝なのに
おそらく人類は偶像崇拝の禁を犯しても具現化することの効用を重んじたのだろう

その恩恵にいま浸りながら
仏像を拝んでいる自分がいる

それは像に対峙するとその時々の自分の内面がその仏像に投影されるからだと思う
従って見るたびにすぐれた仏像は違った像を結んでくれる。

道に迷っているときに真摯にすぐれた仏像に出合えば
道に迷っている自分が投影されたおのが姿を見つける

まさに学生の頃見た時は遠路訪ねあぐねた自分の姿が投影されていたのではないかと思う

私が見つけた仏像だと確信したものだった
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(1)唐招提寺のトルソー

2013年11月11日 20時41分49秒 | お気に入りの仏像


前にも書いたようにこの仏像に初めてあったのは高校2年のときだった。
その頃は講堂の片隅に放置してあった仏像が今では新宝蔵のメインに輝いている。
その事をまとめたのが次の文だがエッセー募集で応募したが佳作にも選ばれなかった。

 薄暗いお堂だった。当時は有名な寺院でも仏像を積極的に展示をして見せようとはしていなかった。それが国宝や重文でもなければほったらかしだった。歩くと床がきしむ。ほとんどの観光客はこの講堂内には見るべき国宝等は何もないといった風情で所々に置いてある仏像をちらっと見て立ち去って行った。闇に半ばとけ込むように置いてあったその像の堂々とした姿に何か惹かれる様な気がしてカメラのファインダーを覗いて見た。手がなかった。首のところで裂けてその上には何もなかった。脚はあったが、指が無かった。パーツとしての手や仏頭が無くなっていたのではない。明らかに破壊されていたのだ。人力ではなく何か異形の力によってはぎ取られたかのような姿だった。壊れたもの、壊されたものだからこんなところに置いてあるのか、この仏像にどんな物語があるか知らないが、『今 ここに居るぞ』というような声が聞こえそうでシャッターを押した。一九六五年高校二年生の夏だった。七~八年後、東京の老舗デパートでこの仏像に再びお目にかかった。「唐招提寺 小原豊雲 トルソーと花展」この時初めて胴体のみの不完全な彫刻をトルソーと呼ぶことを知った。今度は、新たな群衆がこの仏像を称賛していた。その後幾度となく訪れた唐招提寺でその仏像は昇進を遂げていった。今ではスポットライトを浴びて、「唐招提寺のトルソー」と呼ばれて、宝物館の主役の座にいる。だがこの仏像にそのいわれは無かった。誰がどんな考えでこの仏像を破壊したのか、説明は一切ない。一つの仮説が浮かんだ。あの仏像に初めて出会った頃は、知らなかったがひょっとしたら「廃仏毀釈」の嵐に踏み倒されたのじゃないだろうか。もしそうなら異形の力の主は近代化の波に踊った群衆達だったろう。襲ったのは群衆であり、一瞥だにしなかったのも群衆だったし、喝采したのも群衆。しかしこの像はいつも泰然としていた。『今 ここに居るぞ』

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お気に入りの仏像

2013年11月07日 21時09分40秒 | お気に入りの仏像
高校の時、唐招提寺へ行った。
歴史研究会という同好会を作って、その仲間たちと
夏休みに飛鳥や大和路のいくつかのお寺を廻っていた。
高校2年の夏だった。かれこれ50年前になる。
その時さびれた講堂の片隅に置かれた、放置されたと言った方がいい様な扱いの仏像
を見つけ、持っていたポケットカメラもちろん白黒フイルムのハーフサイズで撮ったのが
最初に気に入った仏像だったかもしれない。

あまり世間では見向きもされないかも知れんがそれだけよけいに贔屓にしたくなるような
そんな仏像がいくつかある。

ランダムに思いつくまま、思い立ったときに書いてみよう

仏像は、私の気に入った仏像はなぜか変化する。
変化というより、2度目に見ると
前と違う仏像を見ているような気がすることがある
「あれっ この仏像こんな顔やったか?」
「こんなに鋭い目つきやったか?」

同じ仏像を何度も見に行っていると
そのシチュエーションが違う場合がある
暗いお堂と博物館のような展示会場では全く違って見えた
お寺自体が変わった仏像もある
前は単体だったのに
いつの間にか金網のほこらに入れられた仏像もある

前と同じシチュエーションでも
違って見えることが何度もある
同じだったことの方が珍しい

その時々に私を映してくれているのかもしれない

今度は「唐招提寺のトルソー」




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