怠るな!

残しておきたいことと残しておいてはいけないこと

ただ時は過ぎてゆく

2024年10月30日 09時30分07秒 | たわごと

暑さ、寒さを感じながら時が過ぎてゆくものだったが、暑さ寒さの変化をあまり感じないままでも時は移り過ぎてゆくものだと、再認識させられる二十一世紀なのだろう。

そろそろ秋風が吹いてきたから、そんな気がして時の行くへに驚かされるのではなく

ぼんやりとしてる間に、ふと気付くとカレンダーはいつの間にかめくられているものなのだ

気が付けば臨終の床についている自分に気づくことにならないように、しっかり目をあけて……


あわただしく時が過ぎてゆく

2024年10月29日 16時18分06秒 | たわごと

遺品のアルバムの整理はおおかた片付いた。

あと少し、今度は自分のことだ

本を整理しなければ、

私が手元に置いておきたい本を残しておくと後の人に迷惑をかける

けれど、まだいいかと大江さん和巳さんは手元に、俳句関係も、仏教も、

フランス革命史は処分した、世界歴史も日本史も漱石もいらぬか⁇

なんせ置くところがないのだから

本棚をひとつ処分することを考えている

50年前に大工さんに頼んで作りつけて作ってもらったふたつの本棚

これまで四度の引っ越しでは手放さずにすんだが

ここで、そのうちの一台の廃棄を考えてる本棚自体がでかい900*1800*400ぐらいだったか

中の本も結構な

ため息が出る

また明日


祈りと願い

2024年10月28日 13時17分30秒 | たわごと

祈りと願いこのテーマで書こうと思っているのに

あらぬ方向に走ってしまってうまくまとまらないうちに月末が見えてきた。

もう今年もあと二ヶ月。

天候に振り回されて、陽気の加減で時の過ぎるのを見誤ってしまっている

暑さから逃れられずにいても時は過ぎてゆくことを心にはっきりと認めておかないと

これからのこの地球この日本では夏がだらだら過ぎ、気がつくと冬が来ていて年も変わってゆくことになる

 

また話がそれた

 

祈りと願いだ

広辞苑では

祈り「祈ること。祈祷。祈願。祈念。」

願い「①ねがうこと。願望。②特に、神仏に望みごとを祈ること。」

とあるが、何だかよく分からない。

辞書でこの程度だから、凡庸に生きている我々にとって区別はほとんどつかない。

つかないが、なんか違うような気がする。

最近、思い始めているのがどうも我々は神や仏に願い事をしてはいかんのではないかな、そんな考えだ。

祈りを捧げるのが本来で願ったりしてはならんのではないかと

何となく伝わるだろうか?

願いには対価を求めるところがあるように思う

祈りにはおそらく対価を求めるような感覚は少ないのではないか

したがって、神や仏には対価を要求してはいけないように思う、

 

本来神は恐れるものであって、

 

何か助けてもらえる存在ではなかったはずだ、

それが外国(とつくに)の神が来てから、特に薬師仏や阿弥陀仏が現れてから

それらの仏には願ってもよいようになり、ひいては元からいた神にも願いを始めたような気がする

 

元へ戻ろう

本来神や仏には願ってはいけないのだ、神や仏には祈りを捧げるものなんだ

そしてその祈りとは他者へ、自分以外の他者のことへの祈りが本来だったのであろう

自分への祈りなんて本来あるべくもない言葉のようにも思う。

「誰それの病気が治りますように」と…

 

 


祈りと願い

2024年10月27日 20時53分22秒 | たわごと

お釈迦さんは仏教という宗教を起こしたのではなく、人が苦しむのはなぜかを考え、苦しまないようにするにはどんな生き方をすれば良いのかを説いた。その教えを後代に伝えていく間にいろんな人が、色んな解釈を付け加えていった。その付け加えられたものがもとのお釈迦さんの言葉をおおっていろいろな色合いがついてこんにちの仏教という宗教になった。だから今ある仏教という宗教には統一するようなものは何ひとつない。同じ仏教でも真反対のことを言っていたりする。


今晩は三合飲んだだろうか

2024年10月26日 19時27分34秒 | たわごと

いっときのことをどこへやら

今晩は、3合はのんだろうか

 

 

生きていく限り課題がある

課題はあるが、

課題だけで終わってはつまらない

夢がなければ、目標がなければつまらない

 

もう一度、夢を、目標を、はっきりさせようではないか

いろんな夢があったではないか

朝にその夢を思い出して

祈る

夜にその祈りを振り返ってまた祈る

 

今日、図書館で借りた中野信子さんの本を読んで、そんな考えに行き着いた


風邪気味で……

2024年10月24日 20時03分16秒 | たわごと

昨日散歩中に雨に降られてずぶ濡れに

そのせいでもないと思うが今朝から頭が重い

今夜は2階でのお仕事をサボって早くから床についた

考えてみればこのところサボってばかり

俳句もろくな句しかできぬ

 

何とかしてと思うが、喝が入らない

ここんところ夕方に座禅を組んでいるのだが

芳しくない

前は座禅を組んでいると、ああそうだとか、こんな考えもあるとか

雑念かも知れぬがひらめきがあった

それがここんところ今週になってから、何にも思い浮かぶことがない

まあこんなこともあるわいと思っているが、無念だ

 

 


日本教?!

2024年10月23日 13時47分12秒 | たわごと

日本人はよく無宗教だと言われる。

12月25日をクリスマスケーキやクリスマスプレゼントで祝い

正月には神社で初詣をし

葬式は僧侶を呼んで戒名をつける

こんな多重人格はないとよく言われてきた

それを指摘されてもワハハと笑うだけで、特段反論もしない

こんな日本人をみて呆れられるという

 

私もそうだが、これはひょっとしたら日本教とでも呼べばいいのかもしれない

別段多重人格なのではない

長年この列島に暮らしてきた人々は、先人と同化しようとしてきたのではなかろうか

断っておくが、ここでいう同化とは同化政策の意味ではない。

例えば渡来人の大半は、土着人たちと同じように山に、川に、岩に、大木にそれぞれ神を見るようになったのではないのか。だから土着の者も渡来人が持ってきた外国(とつくに)の神=仏にもさほど嫌悪感をもたなかったのではないだろうか。

土着の古来の神道は、山に川に岩に大木にそれぞれ神を見る多神教だと言われているが

それは多様性の現れではなかろうか

あなたは今この岩に神を見てこの岩を神聖視する、

私は今この仏像を見てこの仏像に祈りを捧げる

ともにお互いの道ではないかと、だからキリシタンが禁教とされた時代に

隠れキリシタンが生き延びることができたのではないだろうか、

ひょっとして見て見ぬ振りがあったのではないだろうか

今でもそうであるように

ひょっとしたら我ら日本人は最も多様性を享受している民族なのではあるまいか

 


夜中に何度も目が覚め

2024年10月22日 09時35分14秒 | たわごと

夜中に何度も目が覚め、挙句の果てに朝寝坊

全く、ていたらくの有様で

それもこれも思い当たるのは

昨日のことか

怠け者を絵に描いたような有様

まともにこなせたのはあさのルーティンだけ、あとはダラダラ

 

さあ、今日は、

今日こそはというのに朝の寝坊はつらい

こんな時は一つずつこなすこと

当たり前の話だが焦ってもできないことはできない

ひとつづつ、予定を立てて…

そう予定だ、昨日もこれだ、予定を立てずに行き当たりばったりだった。

だいたい朝のルーティンもそうだ

「腹筋、腕立て伏せ、スクワット、ラジオ体操、ウオーキング、歯磨き、片付け、掃除機、雑巾掛け、風呂掃除、玄関掃除、iPad」これだけを10時半までにこなすことにしてるのだが、これだけのことがこなせない

一つか二つ飛ばすことになるが、今朝なんぞまだn半分もこなせてない

腕立て伏せ、スクワット、ウオーキング、ラジオ体操と難関が残っている

 

まずは予定の組み直しからですね


パートナーがお食事会へ

2024年10月21日 19時30分13秒 | たわごと

久方ぶりに昼間家で、ひとりで昼ごはん

パートナーは大学時代のお食事会へ

 

さあ一人でゆっくりしてと思っていたが

食事の後はお決まりのお昼寝に、目が覚めてから朝のウオーキングでたらなかった三千五百歩やら、何やらで結局大した戦果なく

それどころか、晩御飯の後は二階の整理と思ってたのに

風呂に入ったらその気力もなく、昼間のダラダラが尾を引き

さっさと布団を敷いて横になる始末

 

まあ今日はこのぐらいにしといたろ

明日からは承知せえへんで

と、吉本新喜劇ばりの悪態

 

 

今日の教訓

書くこと、できるだけ丁寧に書くこと、それが思考を助けてくれる。

それが明日へとつなげてくれる


秋寂(さ)ぶや遺品の写真捨てに捨て

2024年10月20日 19時50分54秒 | たわごと

実家から持ち帰ったアルバムの山

これまでに十数冊は分解した、分解して故人の写真は私が私の責任、もとい私の権限で破棄した。

まだご存命の方が写ってる写真は破棄できないので、その方へ還そうかとファイリングしだした。

まだ倍以上残ってる今夜三冊のアルバムを処理するのに小一時間、毎日同じぐらい時間をかけて一週間で終わるかな?


年寄りの一(ひと)日短し秋の暮

2024年10月19日 11時04分33秒 | たわごと
年寄りの一日短し秋の暮
 
人はそれまで生きてきた日数分の一日をこれからの一日で過ごす
 
一万日生きた人が経験する今日という一日は、三万日生きた人が過ごす今日という一日とでは、同じ一日でも三倍の速さで過ぎてゆくと言うことです。
三十歳の人が経験する今日という一日は九十歳の人が経験する今日という一日の三倍の長さながあるのです
 
だから年寄は時を惜しむのです
時を惜しまなければならないなです

心不全って……きついですよ、多分

2024年10月18日 20時44分24秒 | たわごと
西田さんが亡くなられ、死因が虚血性心不全とか
ご存知ない方は、突然死で死の苦しみがなかったように書かれてるが、心臓に血液が回らなくなると言うから、心筋梗塞をやったものから言えば結構きついですよ
恐らく七顛八倒の苦しみではなかったかと
昔から生老病死と言うように死ぬことは苦しいことだと思いますよ
覚悟しておきましょう

この前、先祖崇拝の事を書きかけで終わったのですが、

結論から言うと
先祖崇拝は片手落ち、少なくとも今世間でいう先祖崇拝はおかしい
〇〇家のご先祖様といえば
ほとんどの場合父系先祖だけしかみてないのでは
父系だけがご先祖で
母親の方はカウントもされないしモノの数にも入ってない
稀に有名人がいればその人だけを持ち上げる
「母方の祖父が吉田茂ですがね」などと

これはやっぱりおかしいでしょう二親がいなければ子供は存在しないのだから
その二親にはやはり二親がいるのだから
さあこうやって何代前まで少なくとも姓名に生年月日、死亡年月日がわかるだろうか?
人に聞かずとも言えるだろうか

三代前までの十四人全部スラーッと言える人いないのでは
名前だけでも言えるだろうか

怠け心が

2024年10月18日 05時08分56秒 | たわごと
年をとってくると疲れやすくなるのか
往復四百キロ運転して帰ったら、
もう駄目で、酒に手が出る
そして翌朝は、怠け心が鎌首をもたげ
朝のルーティンを、サボってしまう
頼まれて一時間半ほど運転してもどれば
仕事をしたとばかり、朝っぱらからでも
寝てしまう

年にかこつけなまけ放題

ご先祖様〜

2024年10月15日 20時01分05秒 | たわごと
さて、「ご先祖様〜」と言った時どのようなことを思い当たるだろう
少なくとも日本人ならどのような人に向かってご先祖などというだろうか?

というのは最近思い始めていることのひつが「先祖崇拝」なのだが広辞苑には載っていないんです。
広辞苑にあるのは「祖先崇拝」で「祖先が子孫の生活に超自然的な影響をもたらすという信仰に基づく宗教的な行動。」とあるが何の事なのか一読しただけではよく分からない。よく分からないことの上に、祖先の前にカッコ付きで(ancestor worship)と書いてあるのだが?

祖先が子孫に超自然的な影響をもたらすって?はて何のことどういうこと
ご先祖さまとはいうがご祖先さまとはいわない

老齢化で頭が回らなくなったのか?

元に戻すと、ご先祖様と言った時ドラえもんののび太ではないが、何やら武将が現れてのび太お前の何代か前の〇〇だと言ってるような漫画を想像するが、ご祖先さまには何も想像できないせいぜいネアンデルタール人か何かが出て来るやもしれん

従って広辞苑にはないが「先祖崇拝」について考えてみようと思ってる
「先祖崇拝」ってなんだろうから本当の先祖崇拝って言うのはまでかければいいがまたいつか

酒が飲めなくなったなんて言ってましたね………

2024年10月13日 21時39分33秒 | たわごと
結構タイトな予定だった先週が終わって
気づいたら、月火以外毎日なんかかんか言いながら飲んでたようで

酒が飲めなくなったなんてどの口が言うたんやと、ほっぺたを引っ張られるところ
何とか今日はセーブ出来ました
今週一週間はおとなしく禁酒せんことには

優勝争いをしてると思ったら、親会社の主権争いかなんか知らんが
優勝してもでけんでも監督の首を替えることに決まってたそうで

相変わらずやなと思ったら
なんと昨日今日と
ボロ負けでんがな!

さあ今週は食事当番
今夜は残りモンのコロッケ類を温め直して、
これまた残りもんのお味噌汁
こしらえたのが大根、蒟蒻、椎茸、油揚げ、豚肉の煮物
お昼はラーメンやった

明日は魚か
衣被、俳句の季語なんだけど食べてませんな、テレビで京都の小料理屋さんで
里芋の唐揚げが出てたけど、チャレンジしてみますか?
下茹でやら味付けやらめっちゃめんどくさそう

今週も考えようによっては先週以上にタイトになりそう
全て個人の自己責任で……