★雨模様の午前中、昔録画した明慶さんの彫刻教室をみていた。思い出したのは彫刻刀の切れ味の悪さ。明慶さんの彫刻刀との違いに、砥石が欲しくなった。砥石どこで売ってるかなぁ。ネットで調べたらあるモンですな。半額セールで丸刀用も含めて三千百五十円。運賃や代引き手数料入れても四千三百五円。土曜日に梅田へでも行って探そうかと思ったがどっちが良かったか。
★廃仏毀釈:《仏教を廃し釈迦(しゃか)の教えを棄却する意》明治政府の神道国教化政策に基づいて起こった仏教の排斥運動。明治元年(1868)神仏分離令発布とともに、仏堂・仏像・仏具・経巻などに対する破壊が各地で行われた。と辞書にはある。
これだけでは何にも分からないので、色々資料を探し始めた。昨日図書館で借りたのが、『「法隆寺日記」をひらく』その中の一節。明治28・9年頃の法隆寺管主が語った速記録が次の文章。
「抑(そもそ)も我法隆寺ニ於テ今ヨリ三十六・七年前、安政、万延年中ノ頃破仏家平田篤胤風ノ国学 大(おおい)ニ流行ス 我本寺若輩ノ僧等モ之レヲ学ブ
彼ノ破仏之説ヲ深ク信シ仏法ハ浅間敷(あさましき?)者ト思ヒ誤マリ甚敷(はなはだしき?)ニ至テハ我等坊主ニナリシハ自分ノ本心ヨリ出シニ非ス 父母師匠ニ誘ハレ父母ノ進メニヨリ坊主ニ成シナリ
今想ヘハ国家ノ罪人 今父母ノ誤リヲ速(すみやか)ニ帰俗シテ之ヲ謝罪セント 遂ニ退寺離散ス 又朝野ニモ廃寺廃仏ノ論ニ立テリ」
( )内は私が勝手に書いた読み方、必死に辞書を引いたたまもの。抑もなんて読めるか。
平田篤胤?ってよく知らぬがどうやら彼の思想が明治政府にとって非常に都合が良かったようだ。それにしても明治の文章が読めぬとは情けない。
明治初頭の十年間に吹き荒れた嵐の最中には法隆寺の若き僧侶もこんな風だったとは。