だが酔って
二階に上がってきた
ラジオで紅白を聞きながら
年末年始は岡山
パートナーと息子が同行
一日めは酔った
飲んで、日本酒を飲んで酔った
酔って、まめさんを食べて
嚥下だろうか、困った
息が出来なかった
ひーひーというだけで
声にならない呼吸が出来ない
ああこうやって死んで行くのかと思った
どれくらい続いたか
無事生還できたが
シンドカッタ
岡山一日めの夜だった
●「ご苦労さんの句」
先生がおっしゃる、笑いながらおっしゃるから救いはあるが。凡句、駄句のたぐいのことをいうのだろう。金子兜太先生はよく「まんまだ」とおっしゃってた「そのまんまでしょう」とそれと同じことか。
●感情表現を入れてしまった句
きれい、悲しい、などが入ってしまっては読み手の気持ちが入れなくなってしまう。「悲しい……」ああそうですかどうぞご自由に悲しんでください、となってしまう。感情を表す形容詞は省略する。
●季重なり
二つ以上の季語が入るとよくない。厳しく『季重なり!』と叱責されることが多い。先生は優しく「季語というのは俳句の主役なんです。主役が二人も三人もいたらまとまらんでしょう」とおっしゃった。
●季語
季語は今を表しているんです。他の言葉が過去であっても季語は今なんです。
●切れ字
「や、かな、けり、……」こういった切れ字を二つ以上使ってはいけません。これも初心者はよく注意される。先の季語の説明同様切れ字の前の言葉が主役だとおっしゃる。
●川柳との違い
川柳には、季語や切れは必要とされない。逆に俳句には「季語」と「切れ」が要求される
●短歌との違い
七・七が多い。したがって感情を表せることができるが俳句ではしない、切り捨てる。感情だけでなく動作までも省略させることがある。
●五七五音は日本語にとって固有の音数。中国語では馴染めない音数。残留孤児の子が俳句に苦労していたことがあるそうだ。
●桜を読む。ある意味で俳句は桜に始まり桜に終わるかもしれないと先生はおっしゃる。西行法師の「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ」を思い出す。
アンケートがあった。
1)あなたの思い出の桜はどこの桜ですか?それはいつ頃ですか?誰と見ましたか?どんな気持ちで見ましたか?
2)今見に行きたい桜はどこの桜ですか?
3)今思い出す好きな桜の句を書いてください
確かこんな内容だった。私の答え。
1)横河川の土手。牛伏寺の桜吹雪。犬の散歩。妻と。1996~2002年。やっと春が来たという思い。まもなく信州を離れるという思い。
2)福島の一本桜
3)△葉となりし桜を愛づる荒さびかな 高橋睦郎 ◎常に一二片そのために花篝 鷹羽狩行
●考えてみましょう。次の俳句の空欄に適当な助詞や副詞を入れなさい
かまつか( )佐渡( )遠流( )世阿弥( )
かまつかとは葉鶏頭のことで季語 遠流:おんる
正解は
かまつかの佐渡へ遠流の世阿弥ふと 赤尾兜子
最後のふとはわからなかった。先生はここで「ふと」というのは「ふと思ふ」の「思ふ」を省略した言葉でいきている。なかなかまねのできない切り口だとおっしゃった。
●俳句を続けていると好きな句が変わってくる。その時々に好きな句、気に入った句を見つけたら、メモをしておく。(にやっと笑って)そのメモは人には見せない、と。
●新聞俳句をよく見たらよい。あそこには「それがどうした?」の句はないでしょう参考にしなさいと。投稿は勧められなかったが……。
●俳句はキャッチボールではない。壁に当ててはねかったのを誰かに受け止めてもらうものだと。
以上書き留めたメモを見ながら思い出すまま
『「どの道も趣味で楽しんでる人の一割が道楽になり、道楽の一割が極道になるんや。極道やったってプロになれるんは、その一割やなぁ」
四半世紀前に大阪の木割大雄さんから聞いた言葉。ときどき思い出す。今日は陰暦十月十二日。
趣味道楽極道を経て翁の忌 』
これは西村和子先生が平成29年11月29日に、ふらんす堂のホームページに発表されたものだ。(したがって四半世紀前とは西村和子先生四十代前半、おそらく石橋に住んでおられたころ)
その後木割大雄さんってどんな人だろうと気にはなって、ネットで調べたりして、どうやら尼崎に住んでおられるようだとは分かった。また何冊か本も出されていることも分かったが、どういう俳句結社かわからなかった。
その木割先生に昨日お目にかかれた。毎日文化センターで俳句の講座をされており、それを昨日見学させていただいたのだ。
簡単に知音のこと添削を3年間受けたこと西村和子先生のことをはなした。見学させていただき、
年明けから仲間に入れてくださいとお願いしてきた。