怠るな!

残しておきたいことと残しておいてはいけないこと

仕切り直し

2023年05月28日 18時40分53秒 | たわごと
しばらくブログの更新が途絶えて居りました。

私個人の身に取り立てて言う変化があったわけやないのですが、
よくある話なんですが、私にも起こりました。確かに書いたブログがどこかへ消えてしまったんです。

消えてしまったものを思い出してまた一本指のタイプ打ちは…

そんなこんなで半月が過ぎてしまいました。
楽しみにしていた源孝志さんの「グレースの履歴」も終わってしまったし

そう、このの半月ってひょっとしたら「グレースの履歴」ロスかも

半月と言えば17日からの禁酒まだ続いている。こっちの方はまだ当分続けられそうだ。


さあ、これで仕切り直しということにして次からは
元の難問へチャレンジしてみたい 

老いることについて

2023年05月10日 20時18分46秒 | たわごと
釈迦の残したスッタニパータより
805 人々は「わがものである」と執着した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、とみて、在家にとどまっていてはならない。

おおよその意味は分かってもらえるだろう。
執着(しゅうじゃく)広辞苑によると「強く心をひかれ、それにとらわれること。深く思い込んで忘れられないこと。」とあるので物でも事でも(人でも)あらゆる物事に対していえる言葉だ。
常住(じょうじゅう)広辞苑によると「生滅・変化なく永遠に存在すること。特に迷いの世界の無常に対し悟りの世界の永遠性を意味する」広辞苑のこの解釈の前半の事、永遠ではないの意味だろう。
変滅(へんめつ)中村先生の註によれば「存在しては滅びるもの、生滅するもの」とある
在家にとどまっていてはならない。 この解釈は日本ではことに現代の日本では非常に微妙な言葉だと思います。普通に解釈すれば在家ではなく出家しなさいとなるが、出家ということが私には理解できていないのであやふやになる。

生きていくうちに年老いていくが、いずれ死ぬことになる。死んでしまえばそれまでなのだが、なかなか人間は死ねない。その生きている間に執着が生まれる。恐らく仏陀はその生きている間に起こるこの執着こそが苦しむを生むものだと言っているのだろう。だから在家のとどまってはならないというのは在家でいる限りはこの所有から所有に対する執着から離れることができないと言っているのだろう。

806 人が、「これはわがものである」と考える物、ーそれは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してはならない。

805の段で述べられたことを突き進め死によって終わることが説かれている。この段の中ほどにある「われに従う人」の註釈で中村先生はあえて「出家者でも在家者でもよいのである」と書いておられる。

 
さあこの続きは?

生老病死

2023年05月07日 22時52分06秒 | たわごと
人が生きる上において、避けることができないのが苦しみであると、釈迦が説いた。
中でも四苦八苦という言葉で表される四つの苦しみが、生老病死だ。
生 生まれること
老 老いること
病 病に倒れること
死 死ぬこと

この中で避けることができるのが
老いること と川端康成は考えたのだろうか?

話は変わるが、昨今のメディアでは老いることを避けるための商品が
アンチエイジング等とカタカナでもてはやされてるようだ

しばらくこのことを色んな角度から考えてみたい

スッタニパータという原始釈迦が説いた言葉を集めた本がある
その中にこうある

804 ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。たといそれより長く生きたとしても、老衰のために死ぬ。

今から2500年前の言葉とは思えないが、まさに真実だ。今の世にあっても、この通り、医学や何やかの進歩で救われたとしても、最後には老衰で人は死ぬ。ここでは老いることよりも死ぬことを厭ってある。次の章では死を前にしての執着(しゅうじゃく)について述べてある

805 人々は「わがものである」と執着した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、とみて、在家にとどまっていてはならない。

このあとは明日に続くかな?

三島由紀夫と川端康成

2023年05月07日 20時48分09秒 | たわごと
お二人とも自死を選ばれた
お二人とも文学では最高峰に達しておられたはず

病を病んでおられたとは聞いていない
病気を苦にしての自死ではなさそうだ
金銭面とも考えられない

何故自死を選ばれたのか?

仮説だが



ではなかろうかとの説が
特に川端康成氏の場合囁かれた

老いは醜いもの

との感覚は理解できる


高橋和巳と三島由紀夫

2023年05月04日 08時45分21秒 | たわごと
三島由紀夫は自死である。自衛隊員にクーデターをアジり予想通り受け入れられないと知るや、割腹自殺後、介錯を受け首はなかなか落ちなかったとの報道もあったが、詳細は不明。ただ原稿の出来具合からは間違いなく自死は予定されていた。

高橋和巳は病死である。当時としては癌告知はなされていなかった。
告知を受けず、治ると信じて入退院を繰り返していた。

高橋和巳と大江健三郎

2023年05月04日 08時37分47秒 | たわごと
先日テレビを見てたら、「三島由紀夫と川端康成」を扱った番組の再放送をやっていた。師弟関係のように見られてはいたが、川端がノーベル賞を受賞したあたりから関係がおかしくなったと、言っていた。川端が三島に君はまだ若いんだからノーベル賞を譲ってはくれまいかといったとか?そんなエピソードも交えていた。
結局川端がノーベル賞受賞後、三島は楯の会を結成して坂道を転がりだした。一方川端は三島の割腹自殺のあと二年後に自らも死を選んだ。
ふたりとも自死を選んだのだ。
同時代に生きた者にとって彼らと対象的な存在として高橋和巳と大江健三郎を上げたい。
三島由紀夫と高橋和巳年齢的には三島が6才年上だが、亡くなられたのは三島が70年11月25日高橋はその半年後の71年5月3日ほぼ同じ頃だ。当時私は22才二浪の末にたどり着いた東京でもがいていた。三島の死によって右側のきな臭さが一段と激しくなり、それに呼応するかのように赤軍派の雄叫びが激しくなり、やがてはそのことから目を背けるようになった。