怠るな!

残しておきたいことと残しておいてはいけないこと

月がなぜ秋の季語なのか?

2017年10月05日 11時20分28秒 | たわごと
月は一年中ある。なのに季語としては秋だ。春なら春の月としなければならない。
なぜ秋の月だけが特別なのか

我々が、古来からの日本人の感性を受け継いでいるからなのです。


西村和子先生の本から抜粋

「陰暦の八月十五日が中秋の名月。その頃は暑気も去り、空気が澄んできて、月の光がことさら美しい。
そんな中秋の名月も近い月の明るい夜、右近の内侍という女房に琵琶を弾かせて、中宮定子は端近くにいらっしゃる。誰彼が話したり笑ったりしているのに、清少納言は廂(ひさし)の間の柱に寄りかかってものも言わずに伺候(おそばに奉仕すること)していたところ、「どうして黙っているの。何かお話しなさい。さびしわ」とおっしゃる。
「ただ秋の月の心を見ております」と申し上げると、中宮は「ふさわしい言葉だこと」とおっしゃった。日頃は話題の中心になる彼女がものも言わずにしんみり秋の月を眺めていたので、どうしたのかと思われたのだ。

月影は同じ光の秋の夜をわきて見ゆるは心なりけり

という古歌の心をふまえたものと見られる。月の光は一年中変わらないのに、秋の月が格別に見えるのは、しみじみものを思う人の心のせいなのだ。四季を通じて見ている月が、秋の季語に定着したのは、こうした古来の感性によるものなのだ。まして夜の明かりが乏しかった昔は、月光に対する感受性は現代人よりはるかに鋭敏だった。」




昨日の月はきれいでしたが、明日が満月だそうです。じっくり月の心を見てみませんか?

スマホいじくってると月の心だけでなく何もかも見えなくなりますよ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。