菩薩半跏像がある。この仏像もまたわたしが学生の頃気に入ってその後何度も訪ねた仏像だった。
親を連れて行ったことも子供たちを連れて行ったこともある。
仕事にかまけたり、転勤があったりでいわば空白の数十年を経て
この仏像は居を変えた
私が最初に訪れた1970年代には、勝持寺(花の寺)に客仏として安置されていた。
記憶が正しければ庭園とは別個に拝観料を払う仕組みだったように思う。
研ぎ澄まされた若者のような風貌の目に射られるような気になった。
阪急の長岡天神の駅から日に数本しか出ていないバスに揺られて着いたバス停から
十数分歩いて行った。
京都市内とはいいながら、ほとんど一日がかりで訪ねた
たぶん厨子もなかったように思う。斜め左横から見たお顔がその研ぎ澄まされた感じが強く出ていた。
向日町にあった寺が発掘のためにこの花の寺に安置されていると書いてあった。
その後何度かお伺いしたが同じように渡り廊下を歩いた離れのような部屋に安置され
てあった。
空白の数十年から立ち返って訪れると花の寺ではなくその隣りに新しくできた
願徳寺に安置してあった。
これが宝菩提院だそうだ
ブザーをならせと書いてあって、ならすと「庭はありませんよ」
といわれ、苦笑しながら仏像にお参りしたいとつげた
立派なコンクリート造りの建物に安置されてあった。
センサーがそこかしこにあって
撮影は不可ですと大書きしてあり
どこかからカメラでのぞかれてるような感じだ
ぴっちりした厨子に入っているので
斜め横からは拝むことが出来ない
展覧会場なら
自由に見ることができるが
ここではそれができない
そもそもこのお寺は本当に宝菩提院なのか?
向日町にあった宝菩提院なんだろうか?
仏像って誰のものなんだろう?
作者=仏師のものか?
施主=寺のものか?
そして時代が経って何百年以上もたったら
少なくとも国宝と名が付けば
国のもの我等日本民族のもの
そんな気がするが
何だか今日この願徳寺でこの仏像を見ていると
そうは思えなくなってしまう