怠るな!

残しておきたいことと残しておいてはいけないこと

春来たるこの期に及び何できる立ちふさがるや梅原猛

2024年02月14日 20時06分07秒 | 俳文
春が来た七十五歳に春が来た
五月初旬生まれなので誕生日が来る頃は夏になっている
季節で言えば私の場合生まれたのが夏だから
新しい年は夏から始まって春に終わる
七十五歳も夏から始まった
始まったときは前の見えない季節がなかった
秋になり、終止符が打たれた
そういえば七十五歳の秋も季節がなかった
冬になり、あたふたとはしつつ時は過ぎていった
そして今最後の季節の春になった

春来たるこの期に及び何ぞする

梅原猛さんの五木寛之さんとの対談を図書館で借りて読んでいたら
以前買った本、確か一読はしたはずの「梅原猛の授業 仏になろう」をもう一度読みたくなった

日本の仏教を見ると大きな流れがいくつもある
平安時代の
最澄の天台宗
空海の真言宗
鎌倉になって
日蓮宗、浄土宗、禅宗
明治の廃仏毀釈
そして今
それぞれをどう捉えるか?
梅原猛さんのこの本「仏になろう」はそのへんを
うまく捉えてくれてるのだが

ちょっと?

それをまとめたいのだが、できるわけないはな
そんな気になっている

そもそも仏教が何故日本に伝わったのか?

そのへんを梅原猛さんはほとんど取り上げないが

伝わってどうやって根付いたんだろうということだ

仏教伝来538年なんて、受験勉強じゃないんだから

細かく突き詰めなきゃならんのやが
大雑把に言えば
日本が国家になりたかったからではないか
国家としてまとめるには神道ではなく仏教が都合良いと
権力者が考えたからではないか
だから大金をそこに注ぎ込んだ

日本を始め大乗仏教の国々には仏像がつきものになっている
飛鳥時代、奈良時代の仏像で現存するものの多くが
その頃の最先端の技術と労働力に財力が必要な

銅像、さらに乾漆を使った技法

国が最大限の力を入れて仏教をいわば国教化したのではないかと思う

平安時代になってくると仏教に対しての見方が変わってきたのだろう

権力者が統治だけでなく現世利益の方に仏教の価値を求めるようになってきた

こんなことをまとめてみたいが、?できるのか?

自分のために書き続けることが出来ればありがたいのだが

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