ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

私の母校と別学共学論争

2005-01-20 10:31:31 | フェミニズム
別学か、共学か。埼玉の件は注目を集めましたよね。

私は実は、千葉県でいまだに県立別学校として残る、「千葉女子高校」の卒業生です。当時、なぜ千葉では比較的珍しい県立女子校で、同じような偏差値レベルの学校がいくつか家のもっと近所にあったにも関わらず、女子校を選んだのかといえば・・

「校舎がきれい」(たまたま改築直後だった)という単純明快な理由が大きかったなあ。でも、何となく「女子校」というものに憧れがあったり、共学で自分が押し付けられていたような気がして、もっとのびのびできると思ったこともあったかもしれません。とにかく、私は、自ら選んで女子校に行ってしまったのでした。そういう同級生たちはけっこう多かったような。当時、校内暴力が花盛りな時代で、暴力的な学校環境に嫌気がさして、女子校だったらそれはないだろう、、と思って選んだ、という友人もいたのを覚えています。

で、埼玉の件がニュースになったとき、私は「女子校に行きたい」という私のような子もいるだろうし、女子校だからこそ、女が活躍できる基盤があったりもする。ある意味、レズビアン的サブカルチャーもあったりもする。確かに私自身ものんびりできた。けっこう貴重な場なんだから、他にチョイスがあるならいいんじゃないかなと思ったりしました。

ただ、埼玉の場合は、トップレベルの学校というのがすべて別学、という、ジェンダーの他に、学歴やら階級的問題も絡んでいるという問題があるため、もっと問題は複雑だと思います。千葉のように、とくに私の出身校のレベルがどんどん落ちているという状態では、他に共学の選択肢がいくらでもあるのですが、そういう状態ではないわけです。

そしてもちろん、女と男、という「生物学的性」に無理に分けるということから、そのカテゴリーにはまらない、はまりたくない人たち、生物学的性と、性自認が異なる人たちを排除する、という問題は、県を問わずしてあります。

まあ、これらの問題を抜かしても、例えば千葉的なところの場合、一校くらい女子校あってもいいじゃん、みたいに適当に考えてました。ただ、そんなこんなで、ネットをみたら、やっぱり私の出身校でも、共学化への波が来ているようで、それへの反対運動なんかもある様子だというのがわかったのです。

しかし、その反対している理由ってのが、なんかねえ。中途半端なエリート意識 ー 千葉の県立女子校の中では(ってほとんど残ってないけど)、伝統もあって、トップレベルだし、部活動も強い(?)んだから、残す価値がある、とかいうものだったり。こういう気持ちの悪いエリート意識には、正直いって、反発感じますねえ。

考えてみれば、高校の時に死ぬほど教員たちに言われた「伝統」とか「女子校生としての誇り」とか何とかいういのが、私は大嫌いだったのだ。「清純」とかいう教育目標だって、冗談かと思ったよ。(まだあるのかな?OGとして、あの教育目標と、トーンが高すぎてラッキーなことに私は歌えなかった、時代錯誤甚だしい歌詞の校歌は廃止していただきたい、と思う。)

もちろんトップとか何とかいえるような教育をしているとは(現場の方には失礼ながら)当時も思えなかったし。むしろ、「女だから」こうしろ、ああしろ、服装には気をつけろ、(なぜか)スヌーピーの模様の鞄はけしからん(ミッキーマウスだったかな?忘れた。他の柄ならいいのか?と不思議に思った記憶あり)、浪人はするな、女だし、短大か、教育学部が素晴らしい(当時は短大人気時代)などなど。埼玉トップの女子校や、他のもっとエリートな女子校はたぶん違うのかなと思うのですが、私の出身校ははっきりいって、「良妻賢母教育」丸出しでした。「千葉の母を育てる」とか、校長がスピーチしていたのを思い出します。そういう意味では、私なんか母校教育の再失敗例ですね。ある意味、私が後にフェミニズムに惹かれたのは、あの学校の良妻賢母教育への反発という面があったようにも思っています。「伝統」も大嫌いになったからこそ、大学は「伝統」のない、戦後設立のところを選んだのだった。「伝統」という言葉が、どれだけの新しい動きを阻み、人々を押さえつける働きをしうるものなのか、高校時代に痛感したのです。

そんなこんなで、少なくとも自分の母校に関しては、最初は「県立では珍しい女子校だし、経済的に私立には行かれないけど、女子校行きたいって人もいるかもしれないし、選択肢として残しておいてもいいかな」なんて思っていましたが、考えれば考えるほど、さっさと妙な「伝統」は廃止して、共学化を進めた方がいいんじゃないかと思えてきました。社会に出れば、やっぱり女も男も含め、いろいろな人がいるわけで、あの、千葉県の中流階級子供が揃う女子校環境は、確かに異様だった。とくに私の母校の場合は、当時は何だか他の学校からも孤立していただけに、なおさら。私も大学にいって、再適応にはげしく苦労したのでした。

自ら選んで、作り上げた女だけの世界(女性運動とかね)だったらいいけど、おしきせの「女だけの世界」で、それもトップはほとんど男で、男の力で結局動かされてしまう構造の女だけの世界ってのは、いらない。今はそう思っています。


混合名簿

2005-01-20 10:05:28 | フェミニズム
ずいぶん前の混合名簿についての書き込みに関してコメントいただいたみたい。今ちょっと時間ないので、一言だけ書きますね。

混合名簿の運動が「ジェンダーフリー」の一環として出てきたというのは、歴史認識的に間違いです。混合名簿運動は80年代から、女性運動、そして教員組合などの中で地道な運動として始まっています。90年に行動する女たちの会が「さよならボーイファースト」というパンフを出し、それが売れたり、報道されたことなどもあって、少しずつ着実に広がって行ったもの。

それにひきかえ、「ジェンダーフリー」という言葉が東京女性財団によって「発明」されたのは95年のことです。行政主導、それに学者が乗っかって「ジェンダーフリー」という言葉を作り出し、行政のプロジェクトなどを通じて、なぜか「混合名簿」は「ジェンダーフリー」運動の一環のように語られる言説が作り出されていった。でも歴史的事実からしたら、「ジェンダーフリー」などよりよほど前から、混合名簿運動というのは存在し、着実に進んでいたわけです。

混合名簿がいかに学校現場において多大な影響を与えてきたか、ということは、12月に東大で行ったジェンダーコロキアム「ジェンダーフリー概念からみえてくる女性学・行政・女性運動の関係」の中で、具体的な現場経験に基づく報告もありました。この会の報告については、ウェブで発表することにしていますので、お楽しみに。