昨日の朝、起きてYahoo Japanをあけたら、右側の「トピックス」の中に、大相撲表彰式で「ヒョーショージョー」と場をわかせて、パンナムトロフィーを授与していた、デービッド・ジョーンズさんが亡くなられたというニュースをみつけました。
慌てて私は日本の両親に電話してみました。両親はそのニュースをまだ知らなかったようで、「えー、どこに載ってたの?」と聞く。早速Yahoo Japanを教え、朝日のサイトにも載ってることも見つけて教えたのでした。
なぜ、私がすぐ両親に電話をしたかって?両親とも、元パンナム勤務で、ジョーンズさんとはいわば元同僚の関係だったからです。「しばらく話も聞いていなかったが、ネブラスカにいたのか~」などと言っていました。もうすぐ、元パンナム日本支社旅客部員同窓会があるらしいので、その時に話題になるだろうとのこと。私自身も、たしか大好きだった高見山の引退相撲のチケットを、ジョーンズさんだか、ほかのパンナムの人だかのつてでとっていただいたようなかすかな記憶があり、間接的ですが、確かお世話になっていたのです。
幼い頃から相撲好きだった私にとって、ジョーンズさんの「ヒョーショージョー」は随一の楽しみ。千秋楽があんなに楽しみだったのは、輪島と北の湖の決戦もあったけど、ジョーンズさんだったなあ。ドキドキワクワク感、思い出します。
懐かしくなって、2ちゃんねるの関連スレッドなどを見に行ってしまいました。皆さんよく覚えているよね。パンナムトロフィーの前に「しいたけ一年分」の表彰があったとか(しいたけトロフィー、ビジュアル的に印象深く残っています。まだあれはあるのかな?)、ジョーンズさんが最後に"Pan American...」と始める英語部分がすごーく格好よかったとか(確かに)。そして面白かったのが、「パンナム」という会社についてのイメージ。「ウルトラクイズ」「兼高かおる世界の旅」と「ヒョーショージョー」がくっついてくるのね。そういえば、ウルトラクイズの決勝はパンナムビル屋上でしばらく行われていたんだった。あと、首都高にあったパンナム看板(私はなぜかあれが大好きで、通るたびにパンナム看板と騒いでいた記憶が)。
パンナムが太平洋路線を売却したのは、確か私が高校生くらいのときだったか。ある日突然、一夜のうちに親の会社がかわるという体験をしたのでした。そして、仕事から帰ってくる父親の、「ユナイテッドは本社シカゴだから田舎っぽい」的な愚痴をけっこう聞かされたのですよね。パンナムニュ<?[クだもんね。(その後、確かマイアミに移ったんだったかな。あれも衝撃的な出来事だったんでしょうね。私も父親にくっついて、マイアミに行った記憶があります。)従業員にナイスすぎて、経営も放蕩系だったと思われるパンナムがつぶれて、ずいぶんたちました。そうこうしているうちに、ユナイテッドも経営が危なくなっている今日この頃。そして、そういうシカゴに今住んでいる私。
会社がつぶれたからかもしれませんが、パンナム元社員の人たちの同窓会ぶりと、あの会社へのノスタルジアはすごいなあと思います。ちなみに、うちの父はパンナム携帯ストラップをしていたりして、母親はパンナム同窓会の幹事だそうです。ある意味、アメリカ航空産業がもっともよかった時代、新しいタイプの飛行機がどんどん出てきて、人々の移動範囲が俄然広くなった時代、そして、バブル前で、日本から誰もが海外に行かれるわけではなく、飛行機があこがれの対象だった時代を象徴しているのかも。当時は学校時代に、空港見学とかありましたもんね。これも今あるんでしょうか。
と思ったら、日本だけの現象ではなかった!アメリカ(?)にもいたようです。元パンナムを懐かしむ人が。このサイト、かなり気合いがはいっていてすごい。このパンナムノスタルジア現象、興味深いものありますね~。
慌てて私は日本の両親に電話してみました。両親はそのニュースをまだ知らなかったようで、「えー、どこに載ってたの?」と聞く。早速Yahoo Japanを教え、朝日のサイトにも載ってることも見つけて教えたのでした。
なぜ、私がすぐ両親に電話をしたかって?両親とも、元パンナム勤務で、ジョーンズさんとはいわば元同僚の関係だったからです。「しばらく話も聞いていなかったが、ネブラスカにいたのか~」などと言っていました。もうすぐ、元パンナム日本支社旅客部員同窓会があるらしいので、その時に話題になるだろうとのこと。私自身も、たしか大好きだった高見山の引退相撲のチケットを、ジョーンズさんだか、ほかのパンナムの人だかのつてでとっていただいたようなかすかな記憶があり、間接的ですが、確かお世話になっていたのです。
幼い頃から相撲好きだった私にとって、ジョーンズさんの「ヒョーショージョー」は随一の楽しみ。千秋楽があんなに楽しみだったのは、輪島と北の湖の決戦もあったけど、ジョーンズさんだったなあ。ドキドキワクワク感、思い出します。
懐かしくなって、2ちゃんねるの関連スレッドなどを見に行ってしまいました。皆さんよく覚えているよね。パンナムトロフィーの前に「しいたけ一年分」の表彰があったとか(しいたけトロフィー、ビジュアル的に印象深く残っています。まだあれはあるのかな?)、ジョーンズさんが最後に"Pan American...」と始める英語部分がすごーく格好よかったとか(確かに)。そして面白かったのが、「パンナム」という会社についてのイメージ。「ウルトラクイズ」「兼高かおる世界の旅」と「ヒョーショージョー」がくっついてくるのね。そういえば、ウルトラクイズの決勝はパンナムビル屋上でしばらく行われていたんだった。あと、首都高にあったパンナム看板(私はなぜかあれが大好きで、通るたびにパンナム看板と騒いでいた記憶が)。
パンナムが太平洋路線を売却したのは、確か私が高校生くらいのときだったか。ある日突然、一夜のうちに親の会社がかわるという体験をしたのでした。そして、仕事から帰ってくる父親の、「ユナイテッドは本社シカゴだから田舎っぽい」的な愚痴をけっこう聞かされたのですよね。パンナムニュ<?[クだもんね。(その後、確かマイアミに移ったんだったかな。あれも衝撃的な出来事だったんでしょうね。私も父親にくっついて、マイアミに行った記憶があります。)従業員にナイスすぎて、経営も放蕩系だったと思われるパンナムがつぶれて、ずいぶんたちました。そうこうしているうちに、ユナイテッドも経営が危なくなっている今日この頃。そして、そういうシカゴに今住んでいる私。
会社がつぶれたからかもしれませんが、パンナム元社員の人たちの同窓会ぶりと、あの会社へのノスタルジアはすごいなあと思います。ちなみに、うちの父はパンナム携帯ストラップをしていたりして、母親はパンナム同窓会の幹事だそうです。ある意味、アメリカ航空産業がもっともよかった時代、新しいタイプの飛行機がどんどん出てきて、人々の移動範囲が俄然広くなった時代、そして、バブル前で、日本から誰もが海外に行かれるわけではなく、飛行機があこがれの対象だった時代を象徴しているのかも。当時は学校時代に、空港見学とかありましたもんね。これも今あるんでしょうか。
と思ったら、日本だけの現象ではなかった!アメリカ(?)にもいたようです。元パンナムを懐かしむ人が。このサイト、かなり気合いがはいっていてすごい。このパンナムノスタルジア現象、興味深いものありますね~。
でも最近は食事内容、健康保険、銃、水質、時差ぼけ、訴訟社会
ですっかりあこがれは消えましたが。つい最近までアリゾナツーソンのサンシティーに家を持とうかと思ってたくらいです。