ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

シカゴからなんとか帰り着いた

2009-03-30 19:59:00 | 日々の出来事、雑感
水曜から昨日の日曜まで、シカゴで開催されたAssociation for Asian Studies学会に参加。荻上チキさん、小山エミさん、斉藤正美さんらとご一緒させていただいた。その内容の報告はおいおいしていくとして、昨日の帰りの展開がかなり大変だったので、まずはそれから。

昨日のシカゴは雪。けっこう盛大にべちゃべちゃした雪がふっていた。飛行機大丈夫かなあ、、とも思ったが、空港までのタクシーも、その後の飛行機もまたすんなりでてくれた。そしてデンバー着。坊主マンいきの飛行機ゲートにむかったが、飛行機がきておらず遅延と電光掲示板には書いてある。ゲートについたら、その前に同じゲートから出発するアトランタ便がかなり遅れていたようで、人があふれていた。

そしてアトランタ便がなんとかでて、坊主マン行きの飛行機もきたのだが、ユナイテッド職員さんによると、坊主マンの気候が悪いため、飛行機の重さ制限がきびしく適用され、子どもが多ければなんとかなるが、降りてもらうボランティアが必要になるかもしれない、ということだった。坊主マンの天候が悪いということで、もしかしたらデンバーにスタック?というイヤな予感がしたが、2人ほどをのぞいた全員の客が結局飛行機にのりきれた。

そして飛行機は出発したのだが、、坊主マンがブリザード状態で風も強く、結局着陸できない、ということに!この飛行機はカリスペルにかわりに行くことになりました、、というではないか。カリスペルってどこだよ、、と地図でチェックすると、限りなくカナダ国境近くのモンタナの北部にある街。飛行機にのっているまわりのひとたちによれば、カリスペルから坊主マンまではクルマで最低5時間、大雪という状況を考えると7時間かかってもおかしくないとのこと。こりゃ陸移動は無理だ。。

カリスペルに着陸し、カスタマーサービスの人の説明があるから待て、といわれ、その間、小さな飛行機のドアはしばらくあけっぱなし状態。私は前から2番目の席だったので、寒いこと。結局、寒い中、1時間くらい待っただろうか。そして、この飛行機はカリスペルにおいておくことはできないので、やっぱりデンバーに帰る、というアナウンスがあった。デンバーに戻って、翌日朝の便で、坊主マンに、、ということらしい。カリスペルで降りることもできるが、カリスペルでおりた人たちは自分の責任で坊主マンまでいって、あずけた荷物は明日坊主マン空港にとりにこい、、とのことだった。ついでに、カリスペルのレンタカーは全部出払っていて一台もない、というアナウンスもあった。カリスペルの空港まわりは、どうみても何もなさそうに見えたし、私には大人しくデンバーに戻るのがいい選択肢だろうと思われた。

それでもカリスペルで降りてしまった人たちが10人ほどいただろうか。なかには、デンバーに戻るために出発する直前になって、怒り爆発状態でおりていった白人おじさんもいた。天候だから、航空会社のひとに怒りをぶつけたところでどうにもならないと思うのだが、、出発直前にその人が降りたため、また人数確認しなおしたり、事務手続き的なことが新たにふえて、待たされ、大ひんしゅくだ。

そんなこんなでデンバーに戻るべく出発した飛行機。だが坊主マン上空付近になって、「坊主マンの天候がマシになったから、着陸できるかもしれない」というアナウンスが。どきどきしながら状況を見守ったが、結局無事着陸できたのだった。4時すぎに着く予定だったのが、着いたのは8時すぎ。それでも、その日中につけたのは奇跡的な展開だった。

空港のまわりはそんなに雪深いようには見えず、クルマの雪下ろしもそうめちゃくちゃ大変というほどではなかったし、なんとかいつも凍り付いてあかなくなるドアも、若干凍ってはいたが、開いてくれた。しかし坊主マンの町中にむけて運転していると、どんどん雪が深くなっていて、、けっこう帰りの運転も緊張を強いられるものだった。

家に帰り着いたときにはさすがに疲れ果てていた。シカゴで風邪をひいてしまったのだが、その風邪が悪化する要素てんこもりの帰途の旅路だった。とくに、飛行機ドアあけっぱなし状態が続いたのがきつかった。

家に帰ったら、ユナイテッドからメールがきていて、おわびのために4000マイルくれるという。もちろんありがたくいただいたのだった。最近飛行機のるたびに、なんだかんだといろいろ起きて、マイルをもらうという展開が続いているなあ。

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