ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

ャbプカルチャーと「クール・ジャパン」

2009-05-06 13:01:00 | マンガ・アニメ
今学期の授業も終わり、あとは学期末試験を残すのみ。今学期は学期末はペーパーを課したので、その成績をつけるという作業が残っている。(こういう忙しいときに限って、ブログに逃避したくなる傾向が顕著にでている昨今。)

日本のャsュラーカルチャーの授業、今回で教えたのは3回目だった。今学期は、25人ほどの学生が履修し、いままでで一番大きなクラスサイズだった。去年は最終的に10人だったし、その前シカゴで教えたときも20人を下回っていた。今までは少人数のセミナーノリでディスカッション主体でできたのだが、人数が増えてきたので、ちょっと苦しくなってきた。そろそろ人数多めむけの授業企画にしなくてはいけなさそうだ。

まあでも、クラスサイズが大きくなったため、いろいろな学生がきた面もあり、新たに発見したり学んだことが私にもいろいろあった。

以前のエントリでも書いたが、まず、「日本はなんでもクール」と日本をやたら理想化している学生たちがけっこういる、ということだ。とくに、授業が始まったときの自己紹介が強烈だった。「日本のことなら何でも好き」と言い切ってしまうのだから。
もしかしたら今年に始まったことではなく、今までもこういう層が確実にいたのか、それとも昨今こういう傾向が増してきたのかはわからない。いづれにせよ、この「クール・ジャパン」のイメージづくりに貢献しているのは、当然ながら日本のャbプカルチャーだった。

日本のャbプカルチャー、ということでくる学生たちは、ほとんどアニメ・マンガが目当てかと私が思っていた(思い込んでいた?)こともあり、今学期は今まで2週間ですませていた、アニメ、マンガ、オタク文化などの週を、一週間ふやして3週間にした。それでよかった学生たちもいたのだろうが、「長過ぎる」という苦情もあったのにちょっとびっくり。実際、日本のファッション(とくに原宿系)、スメ[ツ(野球など)、音楽(J-Pop、hip-hopその他)、テレビのドラマ、ゲームショー、映画、コンピューター関連などなどと、学生たちの興味は幅広かった。

とくに驚いたのが、日本のゲームショー人気。ばかばかしさのせいだか、アクション的要素が多いからか、大学生たちには一種カルト的人気をほこっているようでもあった。そして意外だったのが、今回はじめてこの授業で、女子プロレスについての映画『Gaea Girls』をみせたのだが、これをすごく気に入ったという学生たちが多かったことだ。それと、『電車男』映画のほんの一部をみせたら、これも大人気。すごく「ありうる」と思うのだそうだ。アメリカだったら2ちゃんねるはないけれど、携帯のテキストメッセ<Wとかで似たようなことやるのは考えられる、という。

そして、授業の宿題のひとつとして出した、小グループでの「同人誌」づくりプロジェクト。できた「同人誌」は力作ぞろいで、毎年確実にレベルがアップしてしまっている。「同人誌」的なものを作る、という作業は、アメリカ人大学生もけっこう熱中してしまうようだ。(ペーパーにもこれくらい熱中してもらえたらなああ、、と思ってしまったりもするのだが、大学の課題に、こういうクリエイティブな要素を含むものがそもそも少ないというのもあるかもしれない。ほかの授業でももうちょっとクリエイティブ課題を導入すべきなのかもな。)

いづれにせよ、授業の議論でも、日本のャbプカルチャーを語る中で、どうしてもアメリカのャbプカルチャーが対比的にでてくる。そこでは、日本のャbプカルチャー=クリエイティブな要素があって、複雑で興味深く、面白い、と語られるのに対し、アメリカのャbプカルチャー=単純、くだらない、つまらない、などといった対比がされがちだという傾向が明らかにあった。これは、学生たちの議論に関してだけではなく、日本のャbプカルチャーについて英語で書かれたさまざまな文章(メディアのものでも、ネット掲載のものでも、本でも学術論文系でも)にも当てはまるように思う。

その一因は、対比として語られるとき、日本のアニメやマンガは面白い、興味深い側面が取り上げられるのに、アメリカのものは常にディズニーやスーパーマンという、超ャsュラーなものが取り上げられる傾向にもあるのだろう。その結果、日本のものは複雑でクリエイティブ、アメリカは単純でできあがってしまっていてつまらん、みたいな評価になってしまう。日本のアニメと対比的にThe Simpson's やSouth Parkをとりあげるといった展開はほとんど見たことがないしなあ。

ドラマにしても、授業では、私がアメリカのデイタイムソープを一部見せてしまったからいけなかったのかもしれないが、日本のドラマと対比して、アメリカは、「ドラマチック」展開ばかりをおいかけ、あまりに上流階級とか自分たちとかけ離れた人たちがでてくるのに対して、日本のものはもっと身近にかんじるし、面白いとかいう評価になっていた。たしかにアメリカのドラマは、日常からかけ離れた設定のものも多いので一理ある面もあるのだが、それにしてもアメリカドラマの評価がやたら低くなってしまっていた。私はアメリカのデイタイムソープオペラも好んで見る人なので、ちょっと複雑な気分だったりもするし、日本のドラマがそう身近に感じるようなものかというと、、ちょっと違うよなあとも思う面もあるしなあ。アメリカのプライムタイムのドラマには、そう単純ではないメッセ<Wのものもあったりするし。

今のアメリカ人の大学生は、子どもの頃、パワーレンジャーやセーラームーンをテレビで見て、ャPモンのゲームをして育ち、ャPモンのトレーディングカードをせっせと交換し、ハローキティーのグッズを買い、今でもファイナルファンタジーで遊んだりしている世代に属する人たちが多い。もちろん子どもの頃は、それが「日本発」であることをまったく意識せずに遊んでいたわけだが、小さい頃から日本発の文化に親しんできている素地がある。ャPモンにあんなに夢中になっていたのは、なぜだかわからない、友達が皆やっていたからだけかも、、と言ったり、あるいは「キュート」だったから人気がでたと思う、とかいう意見もあった。「キュート」は日本特有文化云々という言説をかるーく壊してくれる世代でもある。

そういった学生たちが、今「若者」世代になって、アメリカの主流的なものと対比して、それへの反発もあるために、より「クール」なものであるとして日本のャbプカルチャーをみている面もあるのだろうか。
なぜ日本のャbプカルチャーがアメリカ人学生たちに(しかも、そう熱心な「アニメオタク」ではない学生たちにも)受けるのか。学生にきいてみたら、「ちょうど自分たちの若者世代にうけるような文化だからかもしれない」という答えが返ってきた。アニメもマンガも、まだまだアメリカでは「若者」の文化、というイメージだし、ゲームにしろ、テレビのゲームショーにしてもそうだという。「もしかしたら、もうちょっと年をとったら、日本のャbプカルチャーから『卒業』するという人たちも多くいるのかもしれないな」と一人の学生は言っていた。今の10代、20代が年をとったときに、本当に「卒業」するのか、それともずっと日本のャbプカルチャーにハマり続けるのか。アニメコンベンションあたりにいる様々な世代の人たちをみていると、案外続きそうな気もするが、、

明らかに日本のャbプカルチャーが好きそうなのに、ャsュラーカルチャーの授業をとらず、もうひとつ教えていたジェンダーの授業をとっていた学生にどうしてか聞いてみたら、あえて「クール・ジャパン」じゃないイメージの授業をとりたかった、という答えが返ってきた。その学生の場合は、「クール・ジャパン」というアメリカでつくられたイメージそのものに反発しているようだった。いろいろな学生がいるものだ。まあでも、たいていの場合は「楽しいクールな日本文化」を求めて授業にやってくる学生層が増えてきているようではある。こんな中、どのように日本の社会問題などを語っていくべきなのか、なかなか難しい。今までは「日本は遅れているが、アメリカはすすんでいる」というステレオタイプを崩すことが、日本研究の授業をやる上でひとつの大きな課題だったのだが、ャbプカルチャーに関しては、これとは逆のステレオタイプをもつ層がでてきた、ってことだからなあ。両方の「日本」イメージが共存している現状で、どちらのステレオタイプもまずいのでなんとかする必要もあるし、、大変だ。