ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

アメリカの日本研究とオタク世代

2007-01-14 02:17:50 | 人類学
来学期に日本のャsュラーカルチャーに関する授業を教える予定なので、ぼちぼち準備活動をしている。

英訳されているマンガ状況を調べたりしているのだが、圧涛Iに最近のマンガのほうが訳されているのに驚いた。私が昔読んだ、記憶に残る「名作系」マンガより、むしろ今日本で流行っている旬のマンガが多く出版されているようだ。リアルタイムに近い形で、日本のマンガを、英語で読めてしまうのだ。ついでながら、amazon.comで"yaoi"で検索したら、けっこうたくさん出てくることもわかった。どうやらamazon.comは、わざわざやおい系マンガに(yaoi)と記述してくれているようだ。ある意味便利ではあるのだが、購買者から苦情でもでた結果の(yaoi)印なんだろうかな??

私がアメリカにきた90年代初期は、日本語を学んだり、日本に関する授業をとる学生は、大部分がビジネス関係に興味をもつ人たちだったように思う。当時はバブル終期で、日本について学べば仕事もありそうだし、お金も儲かりそうな雰囲気があったのだろう。また、「日本の成功の秘訣を学ぶ」的なノリで、教育などに興味を覚える人たち。そういう学生の他には、昔も現在も、常にいるであろう、オリエンタリストっぽい興味の学生たちも少々いた。古典文学だの、伝統美術やら券\の歴史だのに興味を覚える人たちのほか、「ぼくは忍者です」と自己紹介する人々もいたり。(自称「忍者」たちは、大学近辺で「忍術」講座を受けていた人たちらしい。)

その後、バブルの終焉とともに、ビジネス系の興味の学生たちがどっと中国研究に移行していき、日本研究には日本のャsュラーカルチャー、とくにアニメ、マンガ妙に詳しいオタク系学部生が圧涛Iに増えた今日この頃。今の学部生などみると、マンガ、アニメから、原宿ファッションに至るまで、妙に詳しいのだ。

というわけで、日本のャsュラーカルチャー授業への需要はかなりあると思われるのだが、私がいる大学ではいまだ誰も教えていなかった。まあ単にそういう興味をもつ教員がいなかった、ってこともあるのだろうが、ャsュラーなものを「下」とみる傾向も一因のような気がするし、それに加えて、日本のマンガやアニメがここ10年ほどで急激に隆盛したアメリカでは、それ以前に日本研究トレーニングを受けた研究者たちにとってマンガというジャンルがあまりに未知であり、詳しすぎる学部生に対して、「脅威」のようなものを感じているのかもしれない、、という気もする。自分がひそかに脅威に感じていることを隠す手段として、「下らない」「マンガやアニメで、間違った日本イメージを学ぶ」などという批判を出してくるのかなとも、、。

今の大学生の世代が大学院に進み、研究者になる頃には、アメリカ(のみならず海外)の「日本研究」というフィールドは、圧涛Iにオタク系興味をもつ人たちが占めてくることになるかもしれない。アニメやマンガを見下そうとする上の世代と、それらにこそ興味をもつ下の世代とで、分野の中での世代間闘争的な要素も出てくるのかも。今の「オタク」系学部生たちのマンガやアニメの詳しさは相当なものがでてきているし、そのために必死に日本語も勉強したりしている。一昔前の、日本語ができなくても日本研究者を名乗れてしまった時代とはほど遠い状況になりつつある。(残念ながら、そういう研究者、まだいるんだけどね。)

現在のアメリカでは、あまりに軽く、表面的すぎる日本のャsュラーカルチャー研究が生産されてきているのも事実だ。だから「ャsュラーカルチャー研究は下らない」と言われる面もあるだが、私は密かに、今の「オタク」学部生世代が研究者になったら、日本研究自体にもいいインパクトが与えられるのではないかと期待もしている。日本語ができないなんてとんでもないし、表面的な、「日本文化を紹介するだけ」では許されない、という状況になってくるのではないか、と。

おそらく、昨今の日本のマンガやアニメ状況に私より圧涛Iに詳しい学部生たちが授業に来るのだろうと思う。勉強になりそうだなー。そこで学生たちが何を考え、どんな発言をするのか、今からかなり楽しみだ。