12月15日(木)
アメリカの論調は、保守陣営の言論の自由は制限しろ。弱者擁護、或いは弱者に義があるとの論調である。理由は言論の自由は相手に対する暴力に進む、強者(保守陣営)に言論の自由を許したら弱者への圧迫が酷くなってアメリカに抜きがたい内部分裂が生じてしまう、だから弱者擁護の論調を張って(まだ弱者は弱くその暴力は強者を圧倒していないから)アメリカの分断を防ごうというものである。
日本のマスゴミの論調はアメリカ流の一方だけの擁護を、内容は抜きにして、形式だけを真似たものである。つまりアメリカ様でも言論の自由を避けて片方だけに肩入れをしているから、俺たちもそうしようという訳である。
で日本マスゴミが肩入れする先は、今の平和状態に反する事象には何でも反対を叫ぼうと、いうものである。中国の脅威などない、武器を持つのは止めよう。自衛隊が武器を持って(空砲にしても)市街地をパレードするのは、国民を徴兵する前段階だ。沖縄から米軍を追い出せ、だって平和に反する基地があるのだぞ。お花畑はそこから進んで、日本国家の強化自体に反対する。だって日本が強くなったら、また侵略をするからとのことだ。彼らに言わせれば、力のない日本であれば、権力者に侵略の欲望が起きないからだとのことだ。そのくせ先進国に劣らない国民福祉をとか、十分な給料をよこせとか矛盾することを平気で言っている。
お花畑は更に迷宮に立ち入って病膏肓に入る。つまり日本人は在日外国人に比べて特権を持っている、解消しろと言い出してきた。国外での話ではない、日本国内での話だ。日本国内で日本人が特権を持っているからけしからんとは、もはや常識の通用しない迷宮でのお話だ。例えると地球上では水素はH2の形を取るが、広漠とした宇宙空間ならH単独で存在するかもしれないと強弁するようなものである。地球上の話をしているのに宇宙空間での可能性を言われても、馬鹿と片づけるしかない。
いやいや馬鹿なんかではない。この人達はとても偏差値の高い方々だ。1978年と言えばソ連崩壊の約10年前で日本は成長真っ盛りの頃である。その時にレフチェンコ事件が明るみに出た。石田博英という自民党の派閥の領袖に比する大物議員、勝間田清一という社会党の委員長を務めた人物、山根卓二という後にテレビ埼玉の社長を務めたマスゴミ人などが、ソ連のスパイだったと暴露された事件である。日本にスパイ防止法がないためか逮捕は免れたが、外国に取り込まれた人物がいたのである。ならば今は居ないと言えようか。あくまで疑いであるが迷宮にまで踏み込んだ人は、外国(中国などの)スパイでないと断言できようか。スパイだと考えると彼らの言動に納得がゆく。