スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(ウエストサイド物語とケーポップ)

2024-01-01 13:13:09 | 日記
1月2日(火)
 能登半島地震には吃驚した。神戸の時も東北の時も揺れは大した事はなかった。しかし今回はよく揺れた。人生初めてと言って良く、恐怖を感じた。地図を見て、能登半島と愛知県は近いのだなあと、馬鹿みたいだが初めて知った次第である。
 案の定中国では「地震おめでとう」とか「汚染水放出の罰が来た」とか、盛んに書き込まれているようで、胸糞が悪くなる。てめえらクマのプーさんだってスマホに載せられないくせに、なんて卑怯で情けない根性をしているのかと、罵倒する(まあ自分の心の中でだが)。その内韓国からも、そうだとの情報が入るだろう。日本人だって早速地震を喜ぶポストをして、炎上している奴がいるらしい。まあ死んでくれと(心で)思う。
 今年の紅白はケーポップばかりでうんざりしたとの声を多く聴く。そこでちょっと考えたのだが、私の子供の頃にウエストサイド物語という映画あった。今のケーポップスタイルのダンス映画だったが、日本人は大いに好感を持って受け入れたものだ。余程の日本舞踊偏り人間でない限り、排斥したとの話を聞かない。それに比してこのケーポップ拒否は、何なのだろうか。
 私は一度だけだが何かの番組でケーポップを見た事がある。それは素晴らしいの一言で、日本人のグループは、遠く及ばないと、感じたものである。しかしまた見たいとは思わなかった。私の感覚と、合わないのである。アメリカ人かと見まうばかりのダンス技術は確かに素晴らしいが、ならアメリカ人がやれば良いとの印象が、どうしても起こってしまうのだ。つまり真似事の儚さを、感じたのだ。
 アメリカ人の一挙手一投足を忠実に再現する、その為に肉体も顔も改造する、それくらい真似事が徹底すると、却って、どうしてもアメリカ人にはなれない韓国人の、顔と肉体の差が、目立ってしまうのだ。まあ私は食べた事が無いが硬くて分厚いステーキを、韓国人から嬉々として出され、もういいよ、日本の牛肉を寄こせ、このアメリカかぶれめ、というような気分なのだ。
 ウエストサイド物語の時は初めて牛肉というものを食った初心な時代だったから、アメリカダンスを受け入れたとも言えようが、その後の日本人ダンサーのパフォーマンスは拙い真似事だった。しかしその拙さに、却って日本人らしさが出ていて、そんなに強い拒否には会わなかった。しかし韓国人は猛烈に真似したから、韓国人でもないしアメリカ人でもない国籍不明のダンサーという所まで行ってしまった。少なくとも日本人にはそう見える。そこを日本人は拒否するのだと思う。
 おそらく韓国的価値観から行けば、アメリカダンスは素晴らしい、それに忠実に近づいた私たちは素晴らしい、だからアメリカのヒットチャートで連続一位を取るのだ、日本の猿はそれを僻んで、揶揄しているという所だろう。おそらくNHKの職員も同じ考えなのだろう。芸能界の玄人(日本人の心情に思い至れない技術馬鹿)から見ればケーコップは優れているのだ。だから使うのである。